アラム・ハチャトゥリアン
Aram Ilich Khachaturian(1903-1978)
アラム・イリイチ・ハチャトゥリアンは、1903年6月6日、グルジアに生まれたアルメニア人。
製本業を営んでいた生家は貧しく、正規の音楽教育は受けられなかったが、幼い頃からアルメニアやアゼルバイジャンの民謡・民族音楽に親しんでいた。
ソヴィエト政権が確立された1921年、兄と一緒に行ったモスクワでベートーヴェンの第9交響曲とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いて感動。音楽家を志して、1922年グネーシン音楽専門学校のチェロ科に入学。1925年、グネーシンの推薦により作曲家に転入。1929年にモスクワ音楽院に進み、ミヤスコフスキーに作曲法を師事。
モスクワ音楽院在学中から民族色の濃い作品を発表していたが、大学院修了の1937年に「ピアノ協奏曲 変ニ長調」で俄然注目を集め、1940年の「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」が巨匠ダヴィッド・オイストラフの独奏で初演されたことにより、国際的に名前を知られるようになった。その功績により翌1941年にレーニン賞を受賞。
ポピュラー・ヒットとなった「剣の舞」を含むバレエ「ガヤネ(ガイーヌ)」、劇音楽「仮面舞踏会」も好評。一時期、形式主義的退廃音楽家と批判されたこともあったが、1959年に名誉を回復。
ソ連人民芸術家の代表的な存在と認められ、1950年からは世界各国を訪問。民族友好の文化使節としても活躍した。
1963年に来日し、京都市交響楽団、読売日本交響楽団を指揮。ダイナミックでエネルギッシュな音楽とともに、ユーモラスで庶民的な人柄が人気を博した。
二度目の来日は1976年に予定されていたが、腎臓の手術で見送りとなり、1978年5月1日死去。
これだけは聴いておきたいハチャトゥリアンの代表作
「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」