サイレントからトーキーへ、過渡期のフランス映画。ときおりセリフが消えてサイレント芝居になるが、ストーリーは伝わってくる。映画とはそんなものだ。
やっぱり(巴里)ルネ・クレールはいいなあ。大好きだ。
他愛のない青春の恋愛劇をやさしい眼差しで丁寧に描いて素晴らしい。悪党も根っからのワルじゃない、どんな人物にも愛嬌があって面白い。
パリの実景は一切なく、下町風景はすべてラザール・メールソンによるオープンセット。
雨に濡れた石畳の舗道。灯りが入った酒場の看板。アパートメントの窓を1階から最上階へ上下移動して室内の住人の様子を撮ったショット、ヒッチコックの「裏窓」に24年先行している。床に落ちたパンと花束を使った時間経過、光と影のコントラストに列車の騒音を重ねた喧嘩の場面、その他いろいろ、映画話法のお手本。
主人公は街角で歌いながら楽譜を売っている。主題歌が有名な映画だけど、野口久光「想い出の名画」(文藝春秋)には「この映画は結局ストーリーでも音楽でもなく、映像と音の美しいハーモニーなのである」と書かれていた。まったくそのとおりだと思う。
本作と「巴里祭」(1933年)は、高校時代に教育テレビ(いまのEテレ)の「世界名画劇場」で見た。この番組は主にヨーロッパのクラシック映画をノーカット字幕で放送していたので欠かさず見ていた。日曜日の夜10時から月一回の放送枠だった。(ビデオが普及する以前の)ほんとうに有り難い番組だった。当時の映画雑誌「スクリーン」に連載されていた淀川長治の日記を読むと(同時刻ご自身が解説している番組が放送されているというのに)淀川氏も毎回ご覧になっていたようだ。
酒場のカウンターにダンデイな装いの黒人青年を発見。
フランス人の人種偏見は有名なので、時代(1930年製作)を考えてちょっと驚いた。
点