なんとも楽天的で小粋な、ルネ・クレールらしい喜劇映画。
このあとチャップリンが製作した「モダン・タイムス」(1936年)と同じテーマでありながら、クレールの作風は微笑ましくも好ましく、チャップリンがいささかヒステリックに描いた文明批判とは大きく趣を異にしている。
ひとつは男同士の友情がメインであること。エミール(アンリ・マルシャン)は一目惚れした女(ローラ・フランス)にプロポーズしてふられる。金持ちになったルイ(レイモン・コルディ)の美人妻は愛人と家を出ていくが、ルイはそれを喜ぶ。
女性との縁が切れたふたりは、仲良く肩を組んで放浪の旅へ。
女好きなチャップリンは男同士の友情をストーリーのメインに置くことは殆どない。なにかあったっけ? 「街の灯」の酔っぱらい紳士は花売り娘の気を惹くための金蔓として利用してるだけだし。「黄金狂時代」も金鉱目当てのパートナー。短編時代から男の友情をテーマにしている作品は記憶にない。若い女性の尻ばかり追い回している。
友情らしきものが見れるのはバスター・キートンと共演した「ライムライト」くらいか。
ふたつめは歌。「自由を我等に」は全編に風刺が効いた歌詞の歌が仕込まれていて、陽気なメロディと歌声が、闊達明朗な気分にさせてくれる。「モダン・タイムス」の「ティティナ」のように個人芸をひけらかす派手さはないけれど、フランスの家庭料理のように素朴で温かい味わいがある。作曲はジョルジュ・オーリック。
なにを造っているのか分からない「モダン・タイムス」と違って、「自由を我等に」は蓄音機工場というのが音楽映画にふさわしいアイテムでたいへん宜しい。工場のセットは「モダン・タイムス」ほど大掛かりではないけれど、クレール映画の常連ラザール・メールソンによるもの。これも見事。
サイレントからトーキーへの過渡期、映像と音(セリフと音楽)の映画的表現において、ルネ・クレールはあきらかにチャップリンより一歩抜きん出ていた。青は藍より出でて藍より青し。チャップリンが真似したくなるのも分かる。野口久光氏は本作をクレールの最大傑作としている(「想い出の名画」文藝春秋より)。
並んだ木製玩具の馬を上手から下手へ移動撮影し、カメラが折り返し逆に移動していくと、それらを作っていたのが囚人服の男たちで、刑務所の作業場であったことを説明するファーストシーンから才気煥発。さらに蓄音機工場でそれを再現する名人技。
映画を見る喜びを満喫させる。ルネ・クレールはいいなあ。
点