俺たちに明日はない|映画スクラップブック


2022/02/04

俺たちに明日はない

俺たちに明日はない|soe006 映画スクラップブック
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BONNIE AND CLYDE
1967年(日本公開:1968年02月)
アーサー・ペン ウォーレン・ベイティ フェイ・ダナウェイ ジーン・ハックマン マイケル・J・ポラード エステル・パーソンズ デンヴァー・パイル ダブ・テイラー エヴァンス・エヴァンス ジーン・ワイルダー

日常に退屈していたウェイトレスのフェイ・ダナウェイは、刑務所を出たばかりのウォーレン・ベイティと出会い、スリリングな強盗稼業に精を出す。大恐慌時代に実在したバロウズ・ギャング、ボニー・パーカーとクライド・バローの物語。

俺たちに明日はない

ボニーとクライドが、待ち伏せしていた警官隊に 87発の銃弾を食らって射殺されたのは 1934年5月23日。フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」はそれから2年半後の 1937年1月にアメリカ公開されている。二人をモデルとした映画はその後も「夜の人々」(1948年)「拳銃魔」(1949年)などが作られたが、登場人物の役名に実名を用いたのは本作が初めて。

余談:1958年に「鉛の弾丸(たま)をぶちかませ」(原題:The Bonnie Parker Story/監督:ウィリアム・H・ウィットニー)が作られている。ドロシー・プロヴァインが演じたボニーは原題にあるとおり実名だったが、クライド・バロウはガイ・ダロウに名を変えてジャック・ホーガンが演じている。(タランティーノが舌舐めずりして歓びそうな)ギャング・アクション。AIP配給2本立てのB級プログラムらしい。未見。

銀行に抵当で家を差し押さえられた農夫に拳銃を貸して、憂さ晴らしに管理会社の所有物件であることを示す看板を撃たせる。農夫は使用人の黒人にも銃を回し撃たせる。この場面が映画のテーマ。
ここに黒人を登場させたのが良かった。ジョージ・A・ロメロ「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のラストにつながる、アメリカ映画のなかの黒人。

銀行を襲ったクライドは、窓口に立っていた貧しそうな農民からは金を盗らない。
指名手配され二度と母親と一緒の生活は望めなくなったボニーが、最後に親族とピクニックをする場面。母親からの厳しい言葉。覆水盆に返らず。

デヴィッド・ニューマン&ロバート・ベントンの脚本は実話に基づいた創作ではあるものの、クライドの兄夫婦の登場、ボニーの家族とのピクニック、最期の銃撃場面など、過去の映画より、より史実に近いエピソードを採り入れている。
タイトルに幼少時のセピア写真をインサートしたのも効果があった。

河原でキャンプしているホームレスの人たちから飲水を貰う場面もなかなか良い。大恐慌時代の世相は、プレストン・スタージェスやフランク・キャプラのコメディ、ジョン・フォードの「怒りの葡萄」でも知ることができる。

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バロウズ・ギャングを逮捕しようと狙ってきたテキサス・レンジャーの男(デンヴァー・パイル)。拘束され、記念写真を撮られ、ボートで川に流される。このときの屈辱がギャングを執拗に追う動機となるのだが。クライドは最初っからこいつの胸に付けている星のバッヂが気に入らない。嫌悪感が剥き出しになっている。ふざけてキスしたボニーに彼が唾を吐いたあとの怒りようはない。誰も止めに入らなかったら川で溺死させていた。

これまで見てきた3本(「暗黒街の弾痕」「夜の人々」「拳銃魔」)との相違は、制服(テキサスレンジャー)がはっきりと敵役になっているところにある。
制服=体制側の人間に理屈抜きで敵意をみせるのは、制作当時(ベトナム戦争)の時代が反映されている。

車を盗まれたカップル。善良な一般市民の彼らには、バロウズ・ギャングもフレンドリーな態度で冗談を交わす。男の職業が葬儀屋と知って放り出すのはギャグだ。

冒頭、いきなりフェイ・ダナウェイの唇のクロースアップから始まる。
「死刑台のエレベーター」のジャンヌ・モローに影響されたファースト・ショット。

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フェイ・ダナウェイはこの1本で一躍人気女優になった。この映画、出演者はみんな良いのだが、彼女の存在感はずば抜けている。その後もエロい女優として「華麗なる賭け」や「アレンジメント/愛の旋律」などでフェロモンを撒き散らしていたが、本作がずば抜けてエロい。相手がインポテンツなので欲求不満な苛立ちがなおのこと女を匂わせる。

いっぽう不能男を演じるウォーレン・ベイティは、実生活では取っ替え引っ替え女を食い散らかしていたころで、(他の俳優に出演依頼したが断られたため主役を演じたそうだが)このキャスティングはギャグである。
最後の方でベイティが掛けたサングラスの片方のレンズが(意味もなく)外れるのは、「勝手にしやがれ」のジャン=ポール・ベルモンドへの目配せ。

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デヴィッド・ニューマン&ロバート・ベントンは、シノプシスの段階で「突然炎のごとく」のトリュフォーに映画化を相談している。その後、ゴダールだったり、レスリー・キャロンだったりを経由してウォーレン・ベイティに渡り、アーサー・ペン監督で製作されたわけだが、もともとはヌーヴェルヴァーグの新進気鋭に作ってもらおうと企画された映画だっただけに(その後、何十回も書き直したのだろうが)ヌーヴェルヴァーグっぽいタッチが色濃く残されている。

(ラストについて)一瞬視線を交わす。短いショットが強く印象に残る。
編集の腕の冴え。無情な切り落としも斬新。

盗まれた車を追いかけたところを追いかけられ、バロウズ・ギャングに拉致される間抜けなカップルにジーン・ワイルダーとエヴァンス・エヴァンス。
エヴァンス・エヴァンスは名前がユニークなので(名前だけ)覚えていたけれど、映画出演は本作と「プロフェシー/恐怖の予言」の2本のみ。ワイルダーはこれが映画初登場。意外だったのは彼がアクターズ・スタジオ出身の役者で、オフ・ブロードウェイ劇「カッコーの巣の上で」の出演経験もあったこと。ふざけたキャラのコメディばかり出ていたので、まったく気づかなかった。

アクターズ・スタジオ流の即興芝居の場面も多い。ジーン・ハックマンとベイティのツー・ショットにそれが目立つ。ガソリンスタンドで働いていたマイケル・J・ポラードが仲間に誘われる場面なんかもそうだ。ちょっと考える隙間がリアクションに入る。兄弟再会の場面は「マラソンマン」でもロイ・シャイダーとダスティン・ホフマンが子供じみた戯れ合いをやっていたが、これもアクターズ・スタジオの流儀なのだろうか。

結局、アメリカン・ニューシネマとは、ヌーヴェルヴァーグとアクターズ・スタジオの融合だったと言えるのかも知れない。

俺たちに明日はない

1970年代に、主に新しい世代の映画作家によるノスタルジック映画ブーム(ボグダノヴィッチ「ペーパー・ムーン」、コッポラ「ゴッドファーザー」、ロイ・ヒル「スティング」、ミリアス「デリンジャー」、フリードキン「ブリンクス」など)がやってくる。
その先駆けだった。

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80点 オールタイムベストテン候補(2本)
75点 年間ベストワン候補(18本)
70点 年間ベストテン候補(83本)
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60点 水準作(77本)
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