南北戦争の時代、アパッチ族が民間人を虐殺し3人の子供を誘拐する事件が起こる。北軍の指揮官ダンディー少佐(チャールトン・ヘストン)は、南軍の捕虜たちを加えた討伐隊を編成。アパッチ族を追ってメキシコ領へと向かう。
北軍騎兵隊と南軍捕虜兵の半目が続くなか、内戦中のメキシコ領に駐屯していたフランス軍をも敵に回し、さらに(ストーリーにまったく関与しない)ドイツ移民の女性(センタ・バーガー)とのロマンスも交え、映画は迷走しながら大迫力のクライマックスへと突入する。
やっぱり西部劇は絵だ。絵で決まる。ペキンパーの西部劇は絵作りが素晴らしい。
ショットのひとつひとつにパワァが漲っている。ショットのひとつひとつが西部劇の絵として決まっている。撮影監督は「手錠のまゝの脱獄」や「恐怖の岬」のサム・リーヴィット。ペキンパーとはこの1本だけ。
チャールトン・ヘストン、リチャード・ハリス、ジェームズ・コバーン、センタ・バーガーと豪華にスターを並べたコロンビア製作の大作であり、もしかしたらペキンパーの最初の代表作になっていたかも知れない残念作。
サム・ペキンパーにトラブルは毎度のことで、本作も製作費の予算減額、ロケ地の問題、最終編集権の剥奪などいろいろあったらしい。
撮影中にコロムビアが監督交代を要求したとき、主演のチャールトン・ヘストンが「自分のギャラは公開後の歩合でよいから、ペキンパーに監督を続けさせろ」と啖呵を切った武勇伝も残っている。
しかし、いちばんの残念要因は、半端な脚本のまま撮影を見切りスタートさせたことだろう。
映画は、フランス軍に占拠されているメキシコの村を開放したあたりから、なにを語りたいのか分からん、ハッキリスッキリしない混沌ムードになる。
主人公ダンディー少佐はドイツ女と無防備にいちゃついていたところをインディアンに襲われ大怪我を負う間抜けぶり。隊を離れ自棄になってメキシコ女といちゃついたり、泥酔して道端で寝転んだり、ラストバトルの見せ場もリチャード・ハリスにさらわれ、なんのための主人公、なんのためのチャールトン・ヘストンなのか分からん。
夜襲の場面が2回ある。いずれも「アメリカの夜」で撮影されている。
インディアンの襲撃戦法として夜襲は当然なのだろうが、暗くて見辛い。
DVD特典の解説によると、劇場公開時は昼の明るさだったとのことで、撮影時にフィルターを付けて撮ったのではなく、ポスプロで加工処理したのかも知れない。
ラストバトルの衣装は全員ボロボロ、主役のヘストンも髭面で汚い。
ウォーレン・オーツのポンチョ。メキシコ国境地帯が舞台。吊るされている死体。
「荒野の用心棒」より先に公開されているのでマカロニの影響ではない。西部劇の残酷描写やダーティ・リアリズムは、マカロニよりペキンパーのほうが先んじていた。
ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン、L・Q・ジョーンズ、R・G・アームストロング、スリム・ピケンズ。ペキンパー映画の常連たちが勢揃い。
ジョン・フォード映画の常連俳優たちが「フォード一家」と呼ばれていたので、ペキンパーも真似したかったのかも。
今回観たのはソニー・ピクチャーズから発売されている 136分のエクステンデッド版。2005年のデジタル再公開の際に、米国公開版(124分)に幾つかのシーンを追加してデジタル・リマスターしたもの。先に書いたように、夜襲場面などはシナリオにあわせて映像を加工処理してある。
音楽も差し替えられていて、オリジナルにあったミッチ・ミラー合唱団の勇ましい主題歌はなし。もともとチグハグな印象で内容と合ってなかったけれど、無かったら無かったで物足りない。
日本公開時(1965年4月)の上映時間は 150分で、おそらくこの日本公開版が、編集から外される前にペキンパーが関与していたディレクターズ・カット版だったと思われる。
L・Q・ジョーンズは本作でも殺される。
そこかしこにジョン・フォードや黒澤明からの影響が見受けられて、微笑ましくも興味深い映画ではある
点