2022年 03月(12本)
2022/03/01
犯罪王リコ
LITTLE CAESAR
1930年(日本公開:1931年10月)
マーヴィン・ルロイ エドワード・G・ロビンソン ダグラス・フェアバンクス・Jr グレンダ・ファレル スタンリー・フィールズ シドニー・ブラックマー ラルフ・インス ジョージ・E・ストーン
田舎町のガソリンスタンドで強盗を働いたリコ(エドワード・G・ロビンソン)とジョー(ダグラス・フェアバンクス・Jr)は、ケチな仕事に見切りをつけ一旗あげるべく東部の大都会へと向かう。
暗黒街に身を投じたリコは、持ち前の無鉄砲でグイグイのし上がり、大胆不敵にボス(スタンリー・フィールズ)を蹴落とし、ライバルを追放して豪邸を手に入れる。
臆病風に吹かれた仲間を冷酷に始末する非情さもあるが、新聞記者をパーティに呼んで写真を撮らせて、記事が載った新聞を大量に買い込んだり、見掛け倒しの貫禄を身に着けていくあたり、悪役ながら子供っぽくて憎めない。
一方クラブのダンサーに採用されたジョーはパートナーのオルガ(グレンダ・ファレル)と婚約。カタギの生活を望むジョーはリコとの付き合いを断ちたいのだが、知りすぎている旧友が組織から離れることをリコは許さない。
オルガは警察本部長殺しの犯人がリコであることを警察に通報。ギリギリの選択で友人を殺せなかったリコは、逃亡の果てに簡易宿で飲んだくれになるまで落ちぶれた挙げ句、フラハティ警部補(トーマス・ジャクソン)の挑発にまんまと引っかかり、居所を突き止められ機関銃で命を落とす。
成り上がりギャングの栄枯盛衰を描いたW・R・バーネット原作「リトル・シーザー」の映画化。強烈凶悪な個性を100パーセント発揮したエドワード・G・ロビンソンの出世作。「ゴッドファーザー」も「スカーフェイス」もここから始まった。ギャング映画の古典的教科書。
警察本部長射殺時のオーバーラップはヘイズ・オフィスを考慮してのことかも知れないが、あまり良い編集とは思えなかった。
教会に向かう仲間を射殺する(まるで「ゴッドファーザー」みたいな)場面はリアルに撮っているし。ギャング同士の殺し合いはオッケーでも警官殺しはダメってことなのか?
65点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/02
市街
CITY STREETS
1931年(日本公開:1931年09月)
ルーベン・マムーリアン ゲイリー・クーパー シルヴィア・シドニー ポール・ルーカス ウィン・ギブソン ガイ・キビー スタンリー・フィールズ ウィリアム・“ステージ”・ボイド ポーレット・ゴダード ゴードン・エリオット
禁酒法時代、密造ビール業で荒稼ぎしているギャングたちを描いた映画だが、縄張り争いや警察との抗争はなく、色惚けしたボスの横恋慕が原因で仲間同士がドンパチやってる。
クライマックスで自動車を暴走させるくらいで、見せ場となるアクション・シーンがない。
ダシール・ハメットが原案を提供したとは思えない、ずいぶんヤワな物語展開。
ゲイリー・クーパー主演のパラマウント映画だから恋愛ムードが強く、ワーナーのギャングものみたいに思いっきり男性向けに振れていないのが不満。
技巧的なライトとカメラの演出が突出している。
服役中のシルヴィア・シドニーに面会に来たゲイリー・クーパーの金網越しのキスシーンなどなど、印象に残る凝ったシーンが多い。ヒッチコック映画同様、撮影テクニックのお手本になる。
最後は若い二人が暗黒街から足を洗ってハッピーエンド。
このラストシーンでいきなりワーグナーが流れ、大空に鳩が飛ぶのには意表を突かれた。
60点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/03
民衆の敵
THE PUBLIC ENEMY
1931年(日本公開:1931年11月)
ウィリアム・A・ウェルマン ジェームズ・キャグニー エドワーズ・ウッズ ジーン・ハーロウ ジョーン・ブロンデル ベリル・マーサー ドナルド・クック ロバート・エメット・オコナー レスリー・フェントン ルイーズ・ブルックス
万引した盗品を闇屋に売る少年時代、子供を悪事に誘う卑劣な小悪党、稚拙な強盗失敗で死んでしまう若い仲間、卑怯なボスの裏切り、禁酒法が施行され密造ビール業で荒稼ぎ、情婦との痴話喧嘩、競合業者との縄張り争い、裏切り者への復讐、敵対組織の報復、無残な最期。ギャング映画のいろいろが全部入っている。
冷酷非情かつ凶暴なギャングを演じてスターダムにのし上がったジェームズ・キャグニーの出世作。小柄だが悪戯小僧のような仕草や表情が魅力。スコセッシ映画のディカプリオは絶対意識してるはず。
相棒のマット(エドワード・ウッズ)とコンビを組んでグイグイ出世していく過程が、キャグニーのキビキビした機敏な動きと相まって小気味よく心地よい。
待ち伏せしていたギャングの機関銃でマットが殺されたあと、土砂降りの夜、二丁拳銃で殴り込みをかける。不敵な笑いに凄みがあり格好いい。
最初と最後に言い訳めいたタイトル(この映画は犯罪者を美化したり、犯罪を肯定または助長する目的で製作したものではありません)が出る。
禁酒法(1920-1933年)が施行中だったからの配慮、またはモデルとなったギャングが存命中(活躍していた時代)だったからだろう。
女性(メエ・クラーク)への暴力描写もある。
ちなみにおれは娼婦みたいなジーン・ハーロウより「ウォタルウ橋」のメエ・クラークのほうが絶対美人だと思うし好きだ。
キャグニーが家に帰宅するラストが強烈! このショック演出はホラーだ。
兄のマイク(ドナルド・クック)は真面目な性格で、裏稼業に身を置く弟を嫌っていた。世界大戦が始まると軍隊に志願したマイクだったが、ラストシーンで見せる表情には何か強い決意が伺える。原作(キュベック・グラスモン&ジョン・ブライト)では、弟の死体を見たマイクが手榴弾を手に決死の覚悟で敵の巣窟へと向うというラストらしい。
「ゴッドファーザー」の三男マイケルのモデルだ。
65点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/04
暗黒街の顔役
SCARFACE
1932年(日本公開:1933年03月)
ハワード・ホークス ポール・ムニ アン・ドヴォラック ジョージ・ラフト ボリス・カーロフ カレン・モーリイ ヴィンス・バーネット オズグッド・パーキンス C・ヘンリー・ゴードン
殺人者は口笛を吹きながらやって来る。
まるでスポーツしてるかのように機敏に颯爽と抜け目なく殺しまくり、強引に縄張りを広げ、ボスの情婦を寝取り、妹を病的に溺愛し、相棒まで殺してしまう。ひたすらバイオレンスに徹したギャング映画。
ポール・ムニと言えばギャング映画、ギャング映画と言えば「暗黒街の顔役」。
ポール・ムニの代表作でありギャング映画の代名詞、それが「暗黒街の顔役」。
「世界は君のものだ」
最初に「民衆の敵」と同じようなタイトルが出る。似ているがちょっと違う。
映画で描かれるような悪党を輩出したのはアメリカ社会に責任があると、あからさまに、その原因の矛先を政治(禁酒法)に向けている。
ハワード・ヒューズ(製作)、ベン・ヘクト(脚本)、ハワード・ホークス(監督)のただならぬ気概が感じられる。
ハリウッドは 1930年から一斉に暗黒街映画の製作を始める。「犯罪王リコ」「市街」「民衆の敵」など。密造酒の製造販売によって肥大する犯罪組織、抗争事件が新聞を賑わし毎日のニュースになっていたことも背景にあるが、1920年から続いている悪法に一般大衆のストレスが鬱積していたことは容易に想像できる。
主人公はラストで哀れな死にざまを見せるものの、禁酒法が彼らを誕生させ増長させた原因だったという指摘は、どのギャング映画でも共通していた。
禁酒法(アメリカ合衆国憲法修正第18条)は映画が公開された翌年(1933年12月5日)に廃止された。
本作はブライアン・デ・パルマによって1983年にリメイクされる。
「スカーフェイス」のギャングたちが扱っているのは密造酒に代わって麻薬。
オリヴァー・ストーンは麻薬合法化を訴えたくて脚本を書いたのだろうか。
麻薬密輸の現行犯逮捕でトルコの刑務所に収監される「ミッドナイト・エクスプレス」もオリヴァー・ストーンだったし、何度も麻薬で逮捕されているストーンだから、「スカーフェイス」のシナリオにそんな願いが込められていてもおかしくない(憶測)。
「雨に唄えば」や「お熱いのがお好き」でパロられていたコイン遊び。
ジョージ・ラフトはスコセッシ映画でお馴染みのマンハッタン、ヘルズ・キッチンの出身。実際にマフィアとも友好関係があり、「犯罪王リコ」でダグラス・フェアバンクス・Jrが演じたジョー(ギャングから足を洗いナイトクラブのダンサーになる)のモデルとなった俳優。
70点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/11
仮面の米国
I AM A FUGITIVE FROM A CHAIN GANG
1932年(日本公開:1933年06月)
マーヴィン・ルロイ ポール・ムニ グレンダ・ファレル ヘレン・ヴィンソン プレストン・フォスター シーラ・テリー アレン・ジェンキンス デヴィッド・ランドー バートン・チャーチル
「犯罪王リコ」のマーヴィン・ルロイ監督、「暗黒街の顔役」のポール・ムニ主演のワーナーブラザース配給だからギャング映画だと思いこんでたが、「暴力脱獄」や「パピヨン」のような刑務所脱獄ものだった。
世界大戦からの復員。お仕着せの管理生活を嫌い、建設現場で仕事がしたいと家族の反対を押し切って家出したものの、ときは大恐慌の真っ只中。希望する仕事にありつけないままボストン、ニューオリンズ、ウィネベーゴ、セントルイス、アトランタと放浪の旅が続き、挙句の果てに強盗の片棒を担がされて逮捕。理不尽な判決により10年の懲役をくらう。脱獄囚ロバート・E・バーンズの手記をベースにした実録映画。
朝4時20分に起床し、不味い朝食を摂ったら14時間におよぶ過酷な肉体労働。額の汗を拭うにも看守の許可が必要。非人道的な扱いに堪えかねて脱獄。大都会シカゴで偽名を使って建設会社に就職、トントン拍子に出世するが女性関係のもつれから放蕩の妻に正体を密告され、再び悪夢の強制労働。弁護士に大金を払い、州検察官と交わした恩赦の約束も反故にされ、仲間とともに二度目の脱獄。
アメリカ地図、カレンダー、給与明細のオーバーラップで時間経過と状況の変化を説明する、無駄のない脚本構成。刑務所の実態を克明に描き、二度の脱獄サスペンスも上出来。
ラスト、夜の闇に姿を消すポール・ムニ。フェードアウトする絶望の表情。
マーロン・ブランドはポール・ムニの演技に心酔し参考にしていたそうだが、同じくアクターズ・スタジオ出身のポール・ニューマンやスティーヴ・マックイーンも「暴力脱獄」や「パピヨン」に出演するにあたって、本作を強く意識していたに違いない。
刑務所脱獄映画の名作。
70点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/20
歩道の三人女
THREE ON A MATCH
1932年(日本公開:1934年06月)
マーヴィン・ルロイ ジョーン・ブロンデル ベティ・デイヴィス アン・ドヴォラック ウォーレン・ウィリアム ライル・タルボット ハンフリー・ボガート グレンダ・ファレル エドワード・アーノルド アレン・ジェンキンス
ニューヨーク市の公立中学校に通う3人の娘が卒業後、それぞれの人生を歩んで大人の女に成長する。この過程を(禁酒法が施行された1919年から大恐慌真っ只中の1934年までを)当時の記録映像や新聞のモンタージュをインサートしつつサクサクすすむ。
遅れて生まれてきた映画ファンには、当時の時代背景・アメリカ風俗がコンパクトにまとめられていて、ちょっとした勉強になる。この導入部は嬉しかった。
なにしろ上映時間は1時間3分、無駄なことは一切やらない。脚本はルシアン・ハバード(原案はキューベック・グラスマン&ジョン・ブライト)。
再会した3人は食後のテーブルで煙草に火を付ける。同じマッチで三人が煙草に火を付けると、そのうちの誰か一人が死ぬ。第一次世界大戦中の軍隊で流行ったジンクス(映画の中で説明が入る)。いまの言い回しだと「フラグが立った」ということか。
三人のなかで最も成功し有名になったのはベティ・デイヴィスだが、出番も少なく役柄も地味で目立たない。ただの脇役。
少女時代からの流れで、クラブのショーガールになったジョーン・ブロンデルが主人公のように思えた序盤の展開だったが、彼女は狂言回し。
ちなみにこのシーン、イマジナリーラインを無視して撮影されている。横顔は左側しか撮らせないと言っていたクローデット・コルベールみたいに、女優からの注文があったのだろうか?
本作の主人公は「暗黒街の顔役」でポール・ムニの妹を演じていたアン・ドヴォラック。裕福な弁護士(ウォーレン・ウィリアム)と早々に結婚し男の子を産んだものの、夫に愛情を感じられず、子供を連れて家出し、ヤクザな優男(ライル・タルボット)と堕落した生活を始める。
育児放棄された幼い子供を心配するジョーン・ブロンデルは、父親の弁護士に彼女の居場所を密告。子供は無事に引き取られ、弁護士はアンとの離婚協議に決着がつくとすぐにジョーンと再婚。
アンはどん底に落ちぶれ、外出したジョーンを待ち伏せて金を無心するようになる。
ギャングに多額の借金をしていたライル・タルボットは、いまでは弁護士夫人となったジョーンの過去を新聞に売ると脅迫するが相手にされず、身代金目的で子供を誘拐してしまう。
その情報を警察無線で知ったギャングは、ライルのアパートに押しかけアンと子供を監禁、さらに多額の身代金を弁護士に要求する。ところが誘拐現場の目撃情報から、警察の捜査網はライルのアパート近辺に絞り込まれ、発見されるのは時間の問題。窓から覗くとパトカーが表通りに次々と集まってきている。焦ったギャングたちは非情にもアンと子供を始末しようとする。
そこで、アンは究極の行動に出る。
この映画のラストは、マーヴィン・ルロイが先に監督した「犯罪王リコ」や「仮面の米国」よりも更に強烈だ。
アメリカ映画史に詳しい人によると、映画表現の自主規制(ヘイズ・コード)が厳しくなる直前の、1929年から1934年の期間(プレ・コード期と呼ばれているらしい)だったからこそ可能なラストシーンだったとのこと。
有閑マダム、ヤクザの情婦、落ちぶれて監禁されてボロボロな女を熱演。
これが映画デビューらしいエドワード・アーノルド。ギャングのボス役でワンシーンのみの出演。デビュー作とは思えぬ貫禄と迫力。
遅れて生まれてきた映画ファンには「マルタの鷹」(1941)以前の(まだ売れっ子になる前の)ボギーが見られるのも嬉しい。
70点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/21
地獄の市長
THE MAYOR OF HELL
1933年(日本公開:1934年02月)
アーチー・L・メイヨ ジェームズ・キャグニー マッジ・エヴァンス アレン・ジェンキンス ダドリー・ディッグス アーサー・バイロン フランキー・ダロ アレン・ファリナ・ホスキンス
町の雑貨店で強盗騒ぎを起こしたフランキー・ダーロをリーダーとするストリート・ギャングたちは、家庭裁判所の裁定により矯正学校へ移送される。
彼らが収容された矯正学校は学校とは名ばかり、サディスティックな所長ダドリー・ディッグスが大人の暴力で子供たちを服従させている(「仮面の米国」で描かれた労働刑務所の少年版といってもいい)劣悪な施設だった。
人一倍反抗心が強く頭もキレるフランキーは、真っ先に所長に目をつけられる。
フランキー・ダーロは、キャグニーの弟と言ってもいいくらい素振りや目つきを似せて、不良少年の役を演じている。
導入部で描かれるストリート・ギャングたちは、まだ幼い子供もいて「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を想起させる。彼らのほとんどが家庭環境に問題があり、親がまともな英語を話せない移民も多い。
ジェームズ・キャグニー主演というだけで予備知識一切なく見始めたので、ここまでの経緯をみて、成長したフランキーが施設を出たあとギャング(キャグニー)になって、暗黒街のボスにのし上がっていく話だと思ったが、違った。
この矯正学校に、局長代理として視察に来るのがジェームズ・キャグニー。
選挙の資金調達、票集めに働いた見返りとして、表向きの肩書を与えられているが、正体は政界と癒着している暗黒街のボス。
彼自身スラム街出身で裏稼業で飯を食っている身であり、少年たちを囚人扱いしている施設の運営が気に入らない。保健士マッジ・エヴァンスから改革案を聞いたキャグニーは、それを実行するため、管轄当局に圧力をかけて自ら主事代理となり、所長に長期休暇をとらせて監視職員を解雇。少年たちが施設を自主運営するシステムを作る。
少年たちの少年たちによる少年たちのための施設運営が軌道に乗ったところで、キャグニーは本業のほうでトラブルが発生したとの連絡を受ける。ボスの不在中に部下が謀反を起こした。裏切り者と争っている最中に銃が暴発、相手は重症を負い、キャグニーは潜伏を余儀なくされる。
矯正学校は休暇を終えた所長が再び牛耳るようになり、運営は元の強制服従に戻される。抗議したマッジ・エヴァンスは施設を馘首になる。反抗したフランキーは独房に入れられる。彼に食べ物を与えようと盗みに入ったハロルド・ヒューバーは職員に捕まってしまう。仲間の名前を白状するよう迫られても頑として口を割らず、独房に閉じ込められたハロルドは、流感をこじらせて死亡する。
ハロルドの死によって怒りを爆発させた少年たちは、施設の倉庫を襲撃、武器を手に入れて所長を拉致し、裁判にかける。有罪判決が下された所長は少年たちの怒りに怯え、窓から飛び降りて逃亡を図るが、少年たちはどこまでも追いかけてくる。逃げ場を失った所長は納屋の屋根に上り、火をかけられて墜落死する。
マッジ・エヴァンスによって施設の状況を知ったキャグニーが駆けつけ、少年たちは彼の説得によって騒ぎを収める。
所長の死は調査の結果、過失死と裁定され少年たちは罪を咎められない。
キャグニーは暗黒街から足を洗い、矯正施設の運営に専念する。
キャグニーとマッジ・エヴァンスの恋愛要素が邪魔にも思えるけど、映画は娯楽と割り切って見れば、それほど大きな疵でもない。少年たちの暴動シーンが怖いくらい迫力があるので、駆け足でお座なりなハッピーエンドのラストも悪くない。
フランキー・ダーロはじめ少年たちの演技が素晴らしい。
演技とは思えないほど自然で素晴らしい。
70点
#1930年代の犯罪映画
2022/03/23
砂漠の流れ者
THE BALLAD OF CABLE HOGUE
1970年(日本公開:1970年10月)
サム・ペキンパー ジェイソン・ロバーズ ステラ・スティーヴンス デヴィッド・ワーナー ストーローザー・マーティン スリム・ピケンズ L・Q・ジョーンズ R・G・アームストロング ピーター・ホイットニー ジーン・エヴァンス ウィリアム・ミムス キャスリーン・フリーマン スーザン・オコンネル ヴォーン・テイラー
仲間に裏切られ飲まず食わずで荒野を放浪。何度も空を見上げ神に救いを求める。
砂嵐に遭い、絶望の淵で靴に泥水が付着しているのに気づく。水だ、ここに水がある。
がむしゃらに地面を掘る。湧き水が穴に溜まる。
この場所が駅馬車のルートになっていたのは神の恩恵か、ただの偶然か。
男(ジェイソン・ロバーズ)はこの不毛の土地を不動産登記し(廃材をかき集め)粗末な中継所を造作する。
西部開拓時代の終焉を、ペキンパーらしからぬコミカルな場面も交えて描いた人情西部劇の佳編。
茶目っ気たっぷりにオッパイやお尻をアップで撮ったり、コマ落としでスラップスティック喜劇風なショットを入れたり、紙幣の肖像画がニタリと笑ったり。オーバーラップに歌(リチャード・ギリス)をフィーチャーしてムード(雰囲気重視)で見せる。ジェイソン・ロバーズがステラ・スティーヴンスの身体を洗いながらデュエットで歌う楽しい場面もある。
バイオレンス抜き。長閑で牧歌的なサム・ペキンパー。
シリアスとドタバタが混在して、なんとかの脚本術とかシナリオの法則とかの教則本とは無縁の脚本。型にはまった映画ではないので、初めて観たときはストーリーの方向が読めず、裏切り者と再会するまでの流れにいささか混乱した。2回目以降は(結末を知っているし登場人物に愛着もあるので)遊び心を微笑ましく、楽しんで観ることができた(それでもやっぱりデコボコしているとは思う)。
主人公ジェイソン・ロバーズの独り言や、登場人物のセリフが多い。だだっ広い荒野が背景として映っているけど、シーンの作り方、芝居の作り方は舞台演劇のような印象。
アクションが無いわけではないが、フレームの外へと動きが広がらない。人物が場所に固定されているからだろうか。芝居が場面の枠に収まって開放感・躍動感は感じられない。
冒頭で水と馬を奪う裏切り者、ストローザー・マーチンとL・Q・ジョーンズは「ワイルドバンチ」に続いてのダーティ・コンビで登場。時代の変化を察知した主人公から中継所を譲り受けたストロザー・マーチンの演技が素晴らしい。
好色なインチキ牧師のデイヴィッド・ワーナー、気の良い娼婦ステラ・スティーヴンス、強面の銀行家ピーター・ホイットニー、駅馬車の御者スリム・ピケンズ。善人でもないが悪人でもない、だけど良い奴ばかり(「続・夕陽のガンマン」原題の裏返しみたいだな)。
町の良識派に追放された娼婦の話は、「駅馬車」のジョン・ウェインとクレア・トレヴァーのアナザー・ストーリーだろう。ジョン・フォードに憧れていたペキンパーらしい。
デヴィッド・ワーナーの祈りの言葉を繋ぎに使って、自動車事故から埋葬シーンに時間をジャンプさせるラストが上手い。いつか真似したい。
身寄りもなく財産もなく身体ひとつで荒野を歩いていた男、その葬儀に集まった人々。
サム・ペキンパーの人生観が素直に表現されている素晴らしいロングショット。
男が造った中継所は「未来」と「過去」の中継所でもあった。
葬儀を終えて去りゆく者たちが、自動車とオートバイは画面の左へ、馬車や馬は右へと消える。中継所はメタファーとして機能している。
無人となった中継所にコヨーテが水を飲みに現れるラストショットが泣ける。
65点
#1970年代の西部劇
#サム・ペキンパー
2022/03/25
昼下りの決斗
RIDE THE HIGH COUNTRY
1962年(日本公開:1962年07月)
サム・ペキンパー ランドルフ・スコット ジョエル・マクリー マリエット・ハートレイ ロン・スター エドガー・ブキャナン R・G・アームストロング ウォーレン・オーツ ジョン・アンダーソン ジェームズ・ドルーリー L・Q・ジョーンズ ジョン・デイヴィス・チャンドラー
西部開拓時代の終焉を描き続けたサム・ペキンパーによる、西部劇スターの引退記念映画。二重の寂寞感が漂う鎮魂のウエスタン。
開拓時代に名保安官と名を馳せた老ガンマン(ジョエル・マクリー)は、鉱山で採掘された金塊の護送者として銀行と契約。町で再会した(カーニバルでインチキな射的場をやっている)昔馴染みのガンマン(ランドルフ・スコット)を仕事に誘い、やけに生意気な若者(ロン・スター)も仲間に加わり、3人は金塊護送の旅に出る。
山越え谷越え河を渡り、急勾配を登る。馬上の二人が昔語りしながらの旅。
40年代、50年代の西部劇ファンはそれだけで満足。両雄、馬の扱いが流石にウマい。
二人の会話に「壁の穴」ギャング団の話が出てくるし、町には自動車も走っている。
すでに開拓時代が終わった20世紀の話。老ガンマンが打合せしている店も中華飯店だ。
時代遅れの老いぼれが、正しい死に場所を求めて決斗に臨むクライマックス。
本質的なテーマは「ワイルドバンチ」と同じ。
冒頭に駱駝と馬のレースがある。
砂漠地帯では駱駝が輸入されていたのは事実だが、映画に登場するのは珍しい。
一攫千金の荒くれ者が集まっている鉱山町の結婚式。
フェミニズムが浸透した現代では噴飯ものだろうけど、当時の女性の扱いは実際そんなものだったのだろう。娼館の女主人ジェニー・ジャクソンと娼婦たちが新郎新婦を祝って歌う。
宗教に厳格な父親役のR・G・アームストロング。「キャリー」のパイパー・ローリーの男性版みたい。黒澤明に憧れていたペキンパーだから、父親と娘(マリエット・ハートレイ)のエピソードは「七人の侍」の万造と志乃を意識していたのかも。
肩にカラスをのせて登場のウォーレン・オーツは、ペキンパー映画の常連となった。
同じくペキンパー映画の常連L・Q・ジョーンズ。
出てくるとたいてい殺される。
本作と同時期にMGMはシネラマ超大作「西部開拓史」も配給している。
不器用に正義を貫き死んでゆく主人公と同様、ペキンパーもまた人生に不器用な映画監督だった。
60点
#1960年代の西部劇
#サム・ペキンパー
2022/03/29
ダンディー少佐
MAJOR DUNDEE
1965年(日本公開:1965年04月)
サム・ペキンパー チャールトン・ヘストン リチャード・ハリス ジェームズ・コバーン ジム・ハットン マイケル・アンダーソン・Jr センタ・バーガー マリオ・アドルフ ブロック・ピータース ウォーレン・オーツ ベン・ジョンソン R・G・アームストロング L・Q・ジョーンズ スリム・ピケンズ
南北戦争の時代、アパッチ族が民間人を虐殺し3人の子供を誘拐する事件が起こる。北軍の指揮官ダンディー少佐(チャールトン・ヘストン)は、南軍の捕虜たちを加えた討伐隊を編成。アパッチ族を追ってメキシコ領へと向かう。
北軍騎兵隊と南軍捕虜兵の半目が続くなか、内戦中のメキシコ領に駐屯していたフランス軍をも敵に回し、さらに(ストーリーにまったく関与しない)ドイツ移民の女性(センタ・バーガー)とのロマンスも交え、映画は迷走しながら大迫力のクライマックスへと突入する。
やっぱり西部劇は絵だ。絵で決まる。ペキンパーの西部劇は絵作りが素晴らしい。
ショットのひとつひとつにパワァが漲っている。ショットのひとつひとつが西部劇の絵として決まっている。撮影監督は「手錠のまゝの脱獄」や「恐怖の岬」のサム・リーヴィット。ペキンパーとはこの1本だけ。
チャールトン・ヘストン、リチャード・ハリス、ジェームズ・コバーン、センタ・バーガーと豪華にスターを並べたコロンビア製作の大作であり、もしかしたらペキンパーの最初の代表作になっていたかも知れない残念作。
サム・ペキンパーにトラブルは毎度のことで、本作も製作費の予算減額、ロケ地の問題、最終編集権の剥奪などいろいろあったらしい。
撮影中にコロムビアが監督交代を要求したとき、主演のチャールトン・ヘストンが「自分のギャラは公開後の歩合でよいから、ペキンパーに監督を続けさせろ」と啖呵を切った武勇伝も残っている。
しかし、いちばんの残念要因は、半端な脚本のまま撮影を見切りスタートさせたことだろう。
映画は、フランス軍に占拠されているメキシコの村を開放したあたりから、なにを語りたいのか分からん、ハッキリスッキリしない混沌ムードになる。
主人公ダンディー少佐はドイツ女と無防備にいちゃついていたところをインディアンに襲われ大怪我を負う間抜けぶり。隊を離れ自棄になってメキシコ女といちゃついたり、泥酔して道端で寝転んだり、ラストバトルの見せ場もリチャード・ハリスにさらわれ、なんのための主人公、なんのためのチャールトン・ヘストンなのか分からん。
夜襲の場面が2回ある。いずれも「アメリカの夜」で撮影されている。
インディアンの襲撃戦法として夜襲は当然なのだろうが、暗くて見辛い。
DVD特典の解説によると、劇場公開時は昼の明るさだったとのことで、撮影時にフィルターを付けて撮ったのではなく、ポスプロで加工処理したのかも知れない。
ラストバトルの衣装は全員ボロボロ、主役のヘストンも髭面で汚い。
ウォーレン・オーツのポンチョ。メキシコ国境地帯が舞台。吊るされている死体。
「荒野の用心棒」より先に公開されているのでマカロニの影響ではない。西部劇の残酷描写やダーティ・リアリズムは、マカロニよりペキンパーのほうが先んじていた。
ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン、L・Q・ジョーンズ、R・G・アームストロング、スリム・ピケンズ。ペキンパー映画の常連たちが勢揃い。
ジョン・フォード映画の常連俳優たちが「フォード一家」と呼ばれていたので、ペキンパーも真似したかったのかも。
今回観たのはソニー・ピクチャーズから発売されている 136分のエクステンデッド版。2005年のデジタル再公開の際に、米国公開版(124分)に幾つかのシーンを追加してデジタル・リマスターしたもの。先に書いたように、夜襲場面などはシナリオにあわせて映像を加工処理してある。
音楽も差し替えられていて、オリジナルにあったミッチ・ミラー合唱団の勇ましい主題歌はなし。もともとチグハグな印象で内容と合ってなかったけれど、無かったら無かったで物足りない。
日本公開時(1965年4月)の上映時間は 150分で、おそらくこの日本公開版が、編集から外される前にペキンパーが関与していたディレクターズ・カット版だったと思われる。
L・Q・ジョーンズは本作でも殺される。
そこかしこにジョン・フォードや黒澤明からの影響が見受けられて、微笑ましくも興味深い映画ではある
60点
#1960年代の西部劇
#サム・ペキンパー
2022/03/30
荒野のガンマン
THE DEADLY COMPANIONS
1961年(日本公開:1962年05月)
サム・ペキンパー モーリン・オハラ ブライアン・キース スティーヴ・コクラン チル・ウィルス ストローザー・マーティン ウィル・ライト ジム・オハラ
銀行強盗騒ぎの流れ弾で死んだ少年の母親(モーリン・オハラ)は、息子の遺体を亡夫と一緒の墓に埋葬するため、いまではゴーストタウンとなっている廃墟の町へと旅に出る。アパッチ族が出没し危険な道程を、肩を怪我して銃の扱いもままならないブライアン・キース他2名が護衛する。
アメリカの興行団体(映画館主)が製作した低予算西部劇。
テレビシリーズ「ガンスモーク」「ライフルマン」の脚本・演出を担当していたサム・ペキンパー、当時35歳の劇場用映画デビュー。憧れのジョン・フォード映画のヒロインを主役に映画デビューできるなんて夢のような話だと、浮足立って引き受けたに違いない。
ジョン・フォード映画でおなじみのモーリン・オハラが貫禄の熱演。タイトルバックに流れる主題歌も歌っている。こんな映画にそこまで熱入れなくても、と思わないでもないが。真面目な人なんだろうな。
と長いあいだ思っていたが……
どうやらモーリンと、製作者にクレジットされているチャールズ・B・フィッツシモンズは同郷(アイルランド・ダブリン)の親戚で、まずモーリンありきの企画だったみたい。
ヒロインを護送する三人組の背景がごちゃごちゃ凝ってるわりに、それがまったく生かされておらず、わずか3日前に最愛の息子を撃ち殺した男とデキてしまうハッピーエンディングが荒唐無稽。シナリオは原作者A・S・フライシュマン自身による脚色。
全編にだらしなく貼り付けられた安っぽい音楽が、さらにB級感を倍増させている。
イカサマ博打で首に縄をかけられている男がいきなり登場する冒頭や、子供の棺を数日間運搬するというグロテスクな設定(「ガルシアの首」みたいだ)、ラストの舞台を廃墟の町でロケしているあたりにペキンパーらしさを感じられないこともない。
らしいと言えば……
ペキンパーはほとんどの映画で水浴びシーンを用意している。
本作でもモーリン・オハラが水浴びする。こだわりがあるのだろうか?
55点
#1960年代の西部劇
#サム・ペキンパー
2022/03/31
ビリー・ザ・キッド/21才の生涯
PAT GARRETT AND BILLY THE KID
1973年(日本公開:1973年10月)
サム・ペキンパー ジェームズ・コバーン クリス・クリストファーソン ジェイソン・ロバーズ ジャック・イーラム リチャード・ジャッケル ケティ・フラド ボブ・ディラン スリム・ピケンズ L・Q・ジョーンズ ハリー・ディーン・スタントン チャールズ・マーティン・スミス リタ・クーリッジ エミリオ・フェルナンデス R・G・アームストロング ルーク・アスキュー ジョン・ベック マット・クラーク チル・ウィルス リチャード・ブライト ジャック・ドッドソン ポール・フィックス ジョン・デイヴィス・チャンドラー ルターニャ・アルダ ジーン・エヴァンス
ニューメキシコ州フォートサマーの保安官に指名されたパット・ギャレットは、かつて親しくしていた無法者ビリー・ザ・キッドを射殺する。
パット・ギャレットの著書「ビリー・ザ・キッド、真実の生涯」をベースに、ビリー・ザ・キッドの最期の3ヶ月間を描いた、サム・ペキンパー最後の西部劇。
ペキンパー映画の常連俳優がずらりと並んで壮観なキャスティングに、これぞ西部劇! と膝を叩きたい素晴らしいショットがてんこ盛り。美術はテッド・ハワース。撮影監督は「わらの犬」「戦争のはらわた」のジョン・コキロン。
純真で無邪気な若者(無法者)として生きるビリーに羨望、嫉妬する老いゆく者(保安官)パットのコンプレックスな心情が、西部開拓時代の終焉と共鳴して寂寥のハーモニーを奏でている。
ペキンパー映画の登場人物たちは昔話をする。昔は良かったと過去を振り返る。
未来を語る奴は悪役になる。本作では特にその傾向が強く打ち出されている。
パット・ギャレットは酒を呑みながら過去を語ってばかりだ。
ビリングの上位にクレジットされているジェイソン・ロバーズは、ワンシーンのみの出演で、誰が演ってもいいような小さな役(ニューメキシコ州知事)。
友情出演みたいなものだろう。
東部から来た投資家ジャック・ドッドソンとジョン・チャンドラー。
牧場の治安と平和を口にしながら、自分の手を汚さず金で人殺しをさせるクズ野郎。
ビリー殺しを依頼する投資家に、賞金の前金を叩き返すパットの怒りがいい。
保安官助手を押し付けられたばかりにビリーと決闘する羽目になるジャック・イーラム。
恐怖心にかられ八つ数えたところで振り返る。その卑怯な心理を先読みしていたビリーは、真っ当に対決する気は最初からない。
儲け役はスリム・ピケンズ。
引退して舟で川を下り町を出ていくのが夢だと語っていた男。
死の間際、川のほとりにて微かに笑う。ペキンパー映画指折りの名シーン。
男勝りなママ(ケティ・フラド)の表情も良い。
客寄せキャスティングだったとは思うが、ボブ・ディランはなかなかの存在感で良好。ガンベルトを付けないナイフ投げの若造エーリアス。最初の脚本には無かった役で、セリフが少ないぶんナイーブな性格が引き立っている。
相棒のジェリー・フィールディングが外されてペキンパーは猛反対したらしいけど、結果的にディランの音楽は素晴らしく映像にマッチしている。
R・G・アームストロングは今回も説教臭い役。
L・Q・ジョーンズは今回もやっぱり殺される。
「ワイルドバンチ」のマパッチ将軍、エミリオ・フェルナンデスも出ている。
これも友情出演みたいなもので、音声解説者たちは揃ってこの役は不要だったと語っていた。
牧場経営の大物チザムの手下に惨殺される。
ペキンパー監督も棺桶を作る職人役で出演。
ペキンパーの映画製作にトラブルは付きものだけど。
本作の編集にはデヴィッド・バーラツキー、ガース・クレイヴン、トニー・デ・ザラガ、リチャード・ハルシー、ロジャー・スポティスウッド、ロバート・L・ウルフと6人が名を連ねている。完成を急がせた会社(MGM)が、監督から編集権を取り上げ、次々と編集マンを送り込んだせいだ。
そのため、他のペキンパー映画と同様に幾つものバージョンが存在している。
ワーナー・ホームビデオが販売しているDVDは2枚組で、2005年スペシャル・エディション(115分)と1988年ターナー・プレビュー・バージョン(122分)を収録。
どちらの版にもペキンパー評論家による音声解説が収録されていて、興味深い話がたくさん聞ける。
1988年ターナー版は、劇場公開版(108分)の前に編集されていたディレクターズ・カットの再現で、公開版はこの版を詰めて仕上げたらしい。ラフスケッチみたいなものか。
2005年スペシャル版は、1988年ターナー版の未公開シーンも配慮した上で公開版に近い編集を施したもの。場面がシャープに切り詰められて、ストーリーの流れが良くなっている。音声・音楽も調整されている。デジタル処理されていて映像も綺麗だ。
2005年スペシャル版のほうが完成度は高いと思ったが、解説者のなかには1988年ターナー版のほうに軍配を挙げている人もいて、そんな事情もあって両方を収録して販売したのだろう。このようなメーカーの方針は良心的でよい。
結局、2005年スペシャル版と1988年ターナー版、それにそれぞれの音声解説で計4回も同じ映画を観ることになったが、いろいろと面白かった。
安定した生活を求めて保安官になったパット・ギャレットが、久しぶりに帰宅して奥さんと会う場面。1988年ターナー版ではカットされていて、2005年スペシャル版でしか見られない。
家庭と仕事とどっちが大事なの? もっと私に優しくしてよ! って、日本の(糞みたいな)テレビドラマで頻繁に描かれる(糞な)エピソード。
ストーリーに必要な場面ではないけど、室内装飾と照明が素晴らしい。
バリー・サリヴァン扮するチザムの牧場シーンは劇場公開版ではカットされていた。1988年ターナー版で復活。2005年スペシャル版にも入っている。
西部劇は絵だ。ペキンパーは西部劇の絵作りが抜群に上手い。
本作のラスト・ショットは「シェーン」だ。
仕事を終えたパット・ギャレットが町を去ってゆく。子供が追いかける。
ビリー・ザ・キッドを殺したパット・ギャレットの背中に、石礫を投げつけている。
70点
#1970年代の西部劇
#サム・ペキンパー