soe006 フランク:交響曲 ニ短調

フランク:交響曲 ニ短調

September 22, 2007

長く作曲活動を停止していたセザール・フランクは、40代後半になった1876年ごろから、再び精力的に作品を発表するようになります。
彼の代表作のひとつ、ピアノ五重奏曲 ヘ短調は、1880年1月17日、フランス国民音楽協会主催の音楽会にて初演。
演奏は、カミーユ・サン=サーンスのピアノとマルシック四重奏団。
このとき……
サン=サーンスは、突然気分を害し、渡されたフランクの自筆譜をピアノの上に放りだして帰ってしまいました。
のちに紙屑の山から発見された自筆譜には、「我が友サン=サーンスに捧げる」と、献呈の言葉が書かれていたそうです。

ピアニスト、オルガニストとして名を成し、娯楽音楽(オペラ)全盛の時代に反旗を翻し、新しい器楽曲創作の推進を目的とした国民音楽協会を設立、後年のフランス楽壇に多大な影響を及ぼすなど、共通点の多いフランクとサン=サーンス。
この二人のフランス作曲家には、どのような軋轢と溝があったのでしょうか? 今回はその謎の真相に迫ります!(←嘘です)

セザール・フランクは、1822年12月10日、ベルギーのリエージェで生まれました。父親はベルギー人で、母親はドイツ人。あまり裕福ではなかった銀行員の父親は、当時絶大な人気を誇っていたフランツ・リストのようなピアニスト(アイドル・スター)に育てるべく、息子に英才教育を行いました。フランクは、少年のころから名人芸的ピアニストとして各国を演奏旅行してまわり、1834年にリエージェの音楽学校を卒業後、一家でパリに移住。1837年にパリ音楽院に入学し、作曲とピアノとオルガンを学びます。
ところが、父親は息子をアイドル・ピアニストに仕立てるべく勉強の邪魔ばかりするものですから、パリ音楽院から退学させられてしまうんです。まるでモーツァルトとベートーヴェンの少年時代を足したような経歴ですね。
このころに作曲した楽曲は、ほとんどが自演用のピアノ曲でした。

ちなみに、サン=サーンスがパリのプレイエル音楽堂にて11歳の鮮烈デビューをはたしたのが1846年です。そのニュースを知った父親は、地団駄踏んで悔しがった……かどうか記録にないので分かりません(俺の勝手な想像です)。
そういう華々しい活躍を強要されたことへの反動だったのでしょう。息子は守銭奴な父親に愛想を尽かし、1848年に家出を決行。

親子関係が破綻したあとの23年間、フランクは、教会のオルガニストやピアノの家庭教師として、慎ましい生活をおくっています。
もともと派手なことが苦手な性格だったのでしょう。1858年にパリの聖クロティルド教会のオルガニストに就任したあとも、これといって話題がありません。いたって地味に過ごしています。

セザール・フランクが作曲活動を再開したのは、1871年に、国産の器楽曲創作推進を目的としたフランス国民音楽協会が設立されてから。このときフランクはすでに49歳。
1876年のピアノ五重奏曲 ヘ短調を皮切りに、今日彼の代表作とされている作品を、次々と発表。
1890年11月8日に、パリの路上で馬車にはねられ、腹膜炎を起こして死去(享年67歳)するまでの約15年くらいが、作曲家として活躍した期間となります。

手間をかけずにフランクの代表作に接したい方(つまり「のだめカンタービレ」の影響でにわかクラシック・ファンになった俺みたいな奴)には、こちらのディスクが超オススメです。
交響曲、ピアノ協奏曲、ピアノ独奏曲、室内楽曲、ヴァイオリン・ソナタと、彼の代表作がすべて詰め込まれた2枚組。指揮者、オケ、独奏者はすべて産地直送(フランス産)。いずれも80年代のデジタル録音で音質良好、しかも超格安(←これが一番重要ですよね!)。

セザール・フランク作品集
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セザール・フランク作品集

交響曲 ニ短調(1888年)
ミシェル・プラッソン指揮
トゥールース・カピトール国立管弦楽団
1983年 デジタル録音

ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲(1885年)
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
ミシェル・プラッソン指揮
トゥールース・カピトール国立管弦楽団
1985年 デジタル録音

前奏曲、コラールとフーガ(1884年)
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
1984年 デジタル録音

ピアノ五重奏曲 ヘ短調(1879年)
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
ミューア弦楽四重奏団
1983年 デジタル録音

ヴァイオリン・ソナタ イ長調(1886年)
オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
ジャン=フィリップ・コラール(ピアノ)
1989年 デジタル録音

EMI Gemini(2枚組)輸入盤

ピアノ五重奏曲 ヘ短調は、1878年から翌79年にかけて作曲され、1880年1月、国民音楽協会の演奏会にて、サン=サーンスのピアノとマルシック四重奏団の演奏で初演。
室内楽のための作曲は、ほぼ40年ぶりだったらしいですが、フランクのトレードマークともいうべき、循環動機を用いた形式で書かれています。

ここからは室内楽や独奏曲に疎い、というか、ほとんど聴いてない奴の戯言です……この2枚組作品集に収められている楽曲は、ニ短調交響曲を除いて全部地味です。
J.S.バッハをはじめとするドイツ音楽の厳密な論理構成に基づいた作風、というのは分かりますが、旋律は半音階を多用して、なだらかに上昇、なだらかに下降の繰り返し。音階の跳躍を極端に避けているので、演奏がクライマックスをむかえても、バーンと弾けたりはしません。その代わり転調を頻繁に行い、それが不自然にならないよう循環動機を巧みにつかって作品をまとめあげる。興味のない人には、同じような旋律が何度も何度もぐるぐるぐるぐる繰り返されるばかりで、退屈してしまうでしょう。
このディスクに収録されている作品は、フランクの代表作とされているものばかりですが、初演時に好評を得た曲はひとつもなく、彼の死後にダンディやショーソンなどの弟子たちが積極的に紹介したことにより、一般に評価されるようになりました。
彼の人生(または性格)と同様、とても地味な作品集です。

前奏曲、コラールとフーガは、1884年に書かれ、翌85年1月、国民音楽協会において、マリー・ポアトヴァンのピアノ独奏で初演されています。
フランクは最初、「前奏曲」と「フーガ」のピアノ小品を書くつもりで作曲を始めましたが、二つを「コラール」でつなぎ合わせるアイディアを思いつき、やってみたところ……
弟子のヴァンサン・ダンディによれば、「ベートーヴェン以後、初めて現れた語るにたるピアノ音楽」として完成。

もっともサン=サーンスからは、「不体裁で弾きにくい曲。この曲はコラールはコラールでなく、フーガもフーガでない。なぜならフーガはその第1提示部が終わるやいなや元気を失い、際限のない脱線によって継続されるのだ。これはクラゲが哺乳動物に似ていないのと同様、もはやフーガとは似ても似つかぬ代物」と、酷評されております。

そもそもフランキストと呼ばれるフランクの弟子たち(ダンディ、ショーソン、デュパルクなど)は、不遇な師匠の功績を世に認めさせようと躍起になって、発言が攻撃的かつ過激になり過ぎてます。
気持ちは分かりますが、下手な讃辞は逆効果でしょう。
まだフランツ・リストだって存命してたのに、「ベートーヴェン以後、初めて現れた語るにたるピアノ音楽」なんて、幼稚園児じゃあるまいし……ああそうか、アイドル・ピアニストだったリストは、その道を拒否したフランクにとっては仮想敵、否定すべき人物だったのか。

これは俺の勝手な想像ですが……フランク自身は温厚で誠実、地味な人柄だったことから、騒動に火をつけたのは弟子のフランキストたちだったんじゃないのか、と思うんですよ。
リストやサン=サーンスに比べてうちの師匠はなんて不遇なんだ、どうして世間の奴らは師匠の業績を認めようとしないんだ、もっと注目しろよ、リストやサン=サーンスと同じくらい、いや彼らよりももっともっと重要な音楽家なんだぜ。循環形式だって師匠の発案なんだ。その功績を横取りしやがって、サン=サーンスめ、絶対に許さねえからな……みたいな。
で、そうしたフランクをとりまく連中の動きにサン=サーンスは気分を害し、冒頭に書いたような出来事に発展したと。

閑話休題。

1885年のピアノと管弦楽のための交響的変奏曲は、全1楽章のピアノ協奏曲です。序奏と変奏とフィナーレの3つから成る三部形式。
ここでも循環主題が活用されていますが……ニ短調交響曲を先に聴いていた私は、交響曲と同じような音型の循環動機が使われているのに気づき、フランクの正体見破ったり! とか思ったんですね。

フランクの循環動機って作曲家の手癖みたいなもんじゃねえの?

なにしろ「のだめカンタービレ」の影響でクラシック音楽を聴き始めた奴の言うことなので、本気にしないように。くれぐれもご注意ください。

例えばジャズだとアドリブがありますね。演奏者のインスピレーションで、原メロディを様々なカタチに変奏して即興演奏する。即興といっても普通は材料を事前に用意しておくものですが、ジャム・セッションなんかだとマジ即興で入るときもあるんですよ。すると、出てくるんです、手癖が。プレイヤーの得意とするフレーズがバンバン入ってくる。ファンにとってはそれがたまらないし、プレイヤーの個性ということになるのですが……引き出しが少ないとすぐに底をついて、似たようなフレーズばかり繰り返すようになってくる。
フランクの循環動機って、楽曲全体に統一感をもたらすって解説されているけど、それは結果であって、作曲中、主題を展開させようとして手詰まりになって、苦肉の策として循環主題でつないでるんじゃないのか、みたいなことは……ないでしょうね。これは忘れてください。

ここまでの3作品は、代表作とされながらも録音盤も少なく、地味というよりは、世間にあまり知られていない楽曲でした。
「のだめカンタービレ」に影響されてにわかクラシックおたくになった人は、「へぇ〜、多賀谷さん、フランクのピアノ五重奏曲聴いたことないのぉ〜」とか、スノッブを気取りたいときのネタとして、一度は聴かれておいてよいかもです。

ヴァイオリン・ソナタ イ長調は、1888年に書かれました。このときフランクは64歳。同郷のリエージェ出身のヴァイオリニスト、ユジェーヌ・イザイの結婚式のお祝いとして献呈され、イザイのヴァイオリン、ボルド・ペーヌ夫人のピアノにより、ベルギー・ブリュッセルで初演されています。
フランクのヴァイオリン・ソナタはこの1曲のみですが、今日あらゆるヴァイオリン曲中最高峰のひとつに数えられ、燦然たる光彩を放っている……そうです。ヴァイオリン・ソナタ自体をあまり聴かない俺にはピンときませんが、そういうことらしいです。
1879年にピアノ五重奏曲を発表して以来、コンスタントに作曲を続けていたフランクでしたが、一部の専門家以外には相手にされていませんでした。このヴァイオリン・ソナタも今でこそ名作と称賛されていますが、発表当時は話題にものぼらなかったそうです。

全曲は4つの楽章から成り、第1楽章は展開部が省略されたアレグレットのソナタ形式、第2楽章はアレグロのソナタ形式、第3楽章は自由な形式のファンタジア(幻想曲)、第4楽章はいつものように循環主題オンパレードのロンド形式。
第1楽章、ピアノによる4小節の序奏に続いて、ヴァイオリンで奏されるメランコリックな第1主題が強く印象に残ります。最終楽章の最初に出てくるヴァイオリンの旋律もいいですね。こころ洗われるチャーミングなメロディです。

サン=サーンスが「陽」と「動」なら、フランクは「陰」と「静」の作曲家ですね。これはハッキリしている。フランクのほうがサン=サーンスよりも楽しいとか明るいとか言う人は、まずいないでしょう。「躁」と「鬱」で強引に分けるなら、サン=サーンスは前者、フランクは後者です。それはあまりに極端ですけど、フランクの音楽は決して「躁」の状態にはなりません。まるで歌舞音曲を禁止されたプロテスタントように、躁状態にならないよう厳格にコントロールされた音楽です。
フランクの作品のなかで、ヴァイオリン・ソナタとニ短調交響曲だけが演奏・録音される機会が多いのは、彼の作品の中では比較的(最終楽章が)明るく力強いものになっているからじゃないのかな。

交響曲 ニ短調は、1886〜1888年に書かれ、1889年2月17日、パリ音楽院にてジュール・ガルサンの指揮により初演。
楽器編成は……フルート2、オーボエ2、イングリッシュ・ホルン、クラリネット2、バス・クラリネット、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、コルネット2、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ3、ハープ、弦5部。
演奏時間は、約38分。

3つの楽章から成りますが、第2楽章(三部形式)の中間部がスケルツォになっていて、ボーっとして聴いていると4楽章と錯覚します。例によって数小節の循環動機を複数用意し、全楽章でそれらを発展変化させ、各々の主題とむすびつけています。
第1楽章は、低域弦楽器による鬱々とした、レント(特にゆったりとしたテンポ)の序奏に始まります。これが全楽章を支配する循環主題。テンポがアレグロになって先ほどの循環主題が力強く提示されますが、ふたたび鬱な低域弦楽器の循環主題に戻り、繰り返されて、ようやく序奏部が終わり第1主題が確立されます。気分を高揚させる第2主題が情熱的に歌いだすものの、それも深い瞑想のなかに入ってしまい、4本のホルンがオルガンに似た荘厳なサウンドを出し、第1楽章は暗く重い雰囲気で終わります。
この重い主題が、第2楽章のアレグレット(哀愁をおびたイングリッシュ・ホルンの旋律が素晴らしい!)を経て、最終楽章で輝かしい歓喜へと変化するやり方は……ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」と同じですね。それまで多くの作曲家によって何度も模倣されてきた、黄金の交響曲構成方法……「苦難を乗り越え、やがて歓喜に到る」
サン=サーンスの第3番「オルガン」も、同様の構成で書かれた交響曲でした。

ほぼ同時期に、同じフランスで、同じ循環形式を用いて書かれた交響曲ということもあって、この2曲をカップリングしているディスクは多いです。実際は仲がそんなによろしくなかったサン=サーンスとフランクも、現在はいつも一緒、二人くっついています。

サン=サーンス:交響曲第3番/フランク:交響曲
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サン=サーンス:交響曲第3番/フランク:交響曲

ジャン・マルティノン指揮
マリー=クレール・アラン(オルガン)(1)
フランス国立放送管弦楽団

1. 交響曲第3番 ハ短調「オルガン付き」
2. フランク:交響曲 ニ短調

1970年(1) 1968年(2) ステレオ録音 Erato

サン=サーンスはスペキュタラーな迫力に欠け、生彩が乏しかったマルティノン&フランス国立放送管弦楽団のエラート盤でしたが、フランクは良いです。この楽曲が持っている雰囲気を100パーセント引きだしている名演。マルティノンの真摯な態度とフランクの生真面目な性格が同調しているのでしょうか。第1楽章の提示部は重い主題が2回繰り返されるため、たいていの演奏はくどく感じられるのですが、マルティノンの演奏は充実しているので長さが気になりません。第3楽章、これまで出てきた主題の数々が丁寧に並べられていく過程が、素晴らしい高揚感を与えてくれます。
録音状態も良好だし、おそらく、このマルティノン&フランス国立放送のディスクが、ニ短調交響曲の(標準的な)決定盤です。

以下は超個人的趣味の世界。
前回のサン=サーンス「交響曲第3番」と同じ顔ぶれを並べてみました。好き嫌いを判断基準にした、偏見ディスク・レヴューです。

フランク:交響曲 ニ短調
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フランク:交響曲 ニ短調

シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団

1. フランク:交響曲 ニ短調
2. フランク:交響詩「呪われた狩人」
3. デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」
4. イベール:交響組曲「寄港地」

1957年3月(1) 1962年2月(2) ステレオ録音
1957年11月(3) 1956年10月(4) ステレオ録音 RCA

圧倒的なパワーと歯切れの良いリズム、ダイナミックなアナログ・ステレオ録音、ミュンシュ&ボストン響のRCA録音のなかでも屈指の評価を得ている、横綱級の名盤。
ミュンシュは極彩色の指揮者。スタカート、レガート、マルカートを明確に使い分け、キビキビしたオーケストラ音楽を提供してくれるので大好きな指揮者の一人です。
第1楽章の仄暗く沈んだ循環主題も、内に秘めた意志がハッキリ感じられ、曖昧なところがありません。第3楽章のカンタービレも豊潤で、文句なしの快演。
但し作曲家との相性は、先のマルティノンと逆で、先天的に陽性のミュンシュは、思索的なフランクよりもサン=サーンスのほうがよりしっくり合うように思います。金管が吠える豪快かつ爽快なフィナーレというのは、やっぱりフランクっぽくない。
すごく気持ちのよい演奏ではあるんですけどね。

同時収録の「呪われた狩人」は、1883年に作曲、同年にパリで初演された交響詩。テキストはG.A.ビュルガー作の叙事詩で、「安息日に禁じられている狩りに出かけた男が、森で呪いにかけられ、魔神に追われる」という、ホラー映画みたいな内容。「日曜日の朝の風景」、「狩」、「呪い」、「魔神の追跡」という、これまたホラー映画のサントラ盤みたいな4つの曲から構成されています。各曲は、タイトルどおりの、まるでホラー映画のサントラ盤みたいな曲想です。ベンジャミン・フランケルの映画音楽『吸血狼男』がこんな感じでした。後輩クロード・ドビュッシーから、転調の機械と揶揄されたほど転調好きだったフランクらしく、キーがころころ変わるため、ますますミッキーマウジングされた映画音楽のように聞こえます。
(ご注意:この交響詩が書かれたのは映画が発明されるよりも以前ですから、映画音楽的とか言ってバカにしないように)

他の同時収録曲、ポール・デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」(こちらはディズニー映画でも有名ですね)と、ジャック・イベールの交響組曲「寄港地」を続けて聴くと、このディスクでミュンシュが本領発揮しているのは、フランクのニ短調交響曲よりも、オマケに併録された管弦楽曲の方じゃないかと思えます。
オマケ目当てで買っても、決して後悔しない1枚です。

サン=サーンス:交響曲第3番/フランク:交響曲
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サン=サーンス:交響曲第3番/フランク:交響曲

ポール・パレー指揮 デトロイト交響楽団
マルセル・デュプレ(オルガン)(1)

1. 交響曲第3番 ハ短調「オルガン」
2. フランク:交響曲 ニ短調

1957年10月(1) 1959年11月(2) ステレオ録音
Mercury

ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏も、筋肉質で猛々しいフランクで、ダイナミックなマーキュリー録音と相まって、超個人的にぞっこん大好きな1枚。
第1楽章なんか、ロンメル将軍率いる大戦車軍団を迎え撃つフランス軍隊賛歌。第2楽章は行進曲、第3楽章は勝利の凱歌に聞こえます。これはフランクというよりワーグナー楽劇の前奏曲だなあ(←フランクもそれを狙った主題を、第3楽章にちゃんと織り込んでいます)。
それにしても、デトロイト交響楽団はめちゃくちゃ巧い。
パレー&デトロイトはベートーヴェンの第7番は録音してないの? CDがあったら、マニラで臓器売りさばいてでも即買いしちゃうんだけど。

サン=サーンス:交響曲第3番/フランク:交響曲
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サン=サーンス:交響曲第3番/フランク:交響曲

エルネスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
ピエール・スゴン(オルガン)(1)

1. 交響曲第3番 ハ短調「オルガン」
2. フランク:交響曲 ニ短調

1961年3月(1) 1962年5月(2) ステレオ録音
Decca

前回のサン=サーンス「交響曲第3番」と同様、全体的にゆったりとしたテンポ。第1楽章は、パレー&デトロイト響より2分以上も長い(アンセルメ:18分16秒、パレー:16分00秒、ミュンシュ:16分55秒)。デッカの録音は低域に重点を置いているので、重厚な第1楽章はフランクが意図していたとおりのサウンド・デザインになっていると思います。今回紹介しているディスクのなかでは、最もドイツ音楽らしい演奏。
アンセルメといえば、ディアギレフとの交流からバレエ音楽のエキスパートという印象が強いのですが、ブラームスの交響曲なんかは意外といいかも知れません(ブラームスは滅多に聴かないけど)。
それでも第3楽章はアンセルメ&スイス・ロマンドらしく、バレエのグランド・フィナーレのような華やかさになりますね。

このように、いまでこそ録音や演奏の機会が多いニ短調交響曲ですが、初演時の聴衆の反応は散々だったそうで……いやそれ以前に、パリ音楽院管弦楽団とのリハーサルのときから、この交響曲は楽団員たちに不評だったとのこと。
オペラ「ファウスト」の大ヒットで当時ナンバーワンの人気を誇っていたシャルル・グノーは、「この交響曲は、作曲者が無能であることを肯定し、かつ、それを教義のように引き伸ばしたものである」と頭ごなしに非難しています。オペラ(娯楽音楽)を敵対視していた国民音楽協会の主要人物の作品ですから、クサすのは当然といえば、そのとおりなんですけど。
一般聴衆の反応も至極冷淡だったらしいです。

初演の会場から帰宅したフランクに、家族が尋ねました。
「演奏会はどうでした?」
フランクは満足そうな笑みを浮かべ、「私が考えていたとおりの、とてもよい曲だったよ」と、答えたそうです。

彼の作品が客席から初めて喝采を得たのは、1890年4月19日。国民音楽協会主催の演奏会で、弦楽四重奏曲が初演されたときでした。

その半年後……
セザール・フランクは、1890年11月8日にパリの路上で馬車にはねられ、腹膜炎を起こして死去。享年67歳でした。

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