素人の浅知恵
March 27, 2007
放送法改正案:番組ねつ造処分は「ドラマも対象」菅総務相
菅義偉総務相は26日、今国会に提出する放送法改正案で、事実をねつ造した番組を流した放送局に再発防止計画の提出を求める行政処分を新設することに関し、「ドラマでも事実を事実として伝える場面であれば対象になる。再現ドラマも対象だ」と述べた。(毎日新聞)
こういうのが総務大臣やってて良いのか?
現時点ではただのバカだが、立法化されればキチガイだ。
こっちもプロだから、納得できる形でキッチリした線引きが明文化されれば、それに沿って仕事しますよ。
「言論の自由」という命題はあるけど、現実に自由はないし。
とりあえず、歴史の事実を歪曲化しているNHKの大河ドラマは放送禁止だな。
水戸光圀が手下を引き連れて諸国漫遊している時代劇も、誤った事実を伝えているから、当然アウトだよな。
坂本龍馬殺害の犯人も、具体的に誰って名前出したら事実の捏造。
実在の人物、組織、場所を扱ったドラマは、全部ダメ。
実際の警察が採用していない捜査方法で、使用が許可されていない武器弾薬を用いた「西部警察」もダメ。
福岡を舞台としながらも、実際は東京でロケしたドラマだって、やっぱりダメでしょう。
これ、差別問題と同じで……差別を感じた人間が「これは差別だ」と言えば差別として認められるように、事実を知る人間が「これは事実ではない」と言えば事実の捏造になるんじゃないの?
無軌道に発展する情報化社会を法で規制して、政治活動の妨げにならないよう、マスコミを牽制したいという気持ちは分からないでもないけど。
とにかく、線引きを曖昧なままにして、あとは現場の自主規制に任せるといったふざけた立法化はやめて欲しい。
もっと具体的に言うと、脚本家に余計なプレッシャーを与えるな。
アレはダメ、これもダメ、ダメ、ダメ、ダメって……おれはクレヨンしんちゃんか?
幼稚園児じゃねえんだから、やって良いことと悪いことの判断くらい、自分で分かるわい!
政治家は余計なことに首突っ込まないで、政治だけやってりゃいいんだよ。
剥落してゆく昭和
April 05, 2007
なにしろ流行に敏感というか、全身これトレンド・アンテナのような人間なので、常に時代の最先端を突っ走っているわけです。
……そんなとびきりアクチュアリティな私のマイブームは、「のだめカンタービレ」。
こちらはわがまま放題やり放題の超個人的趣味のウェブサイトであるのだし、だったら「のだめ」を取り上げてもよさそうなものですが、ところがどっこい、検索エンジン適応工作(SEO)に関する諸般の事情から、昨年よりサイト名を「ジャズと映画と娯楽小説」ってことにしちゃってたんですね。
(ブラウザの上のところに、たぶん、そう表示されているはず)
やるならやるで、サイトの看板を「クラシックとテレビドラマと少女漫画」に替えなきゃ、スジが通らない。
スジを通す!……でなきゃ完璧A型の私が、自分を許せなくなる。
ひいては自己崩壊、人格分裂、人間失格ともなりかねない。
ので……書こうか書くまいか、迷っていて更新がずいぶんノビノビになっちまいまいした。
ごめんなちゃい。
しかし最近は「ジャズと映画と娯楽小説」について積極果敢に書きたいことはあまりなく、寝ても覚めても「のだめ」ばかり。
更に都合の良いことに、いまこちらのサイトを定期的にご覧いただいているお客様は、御一名様のみ。
(そうなんですよ、○○さん。あなただけです)
カウンタ回っているように見えますけど、私が自演で回しているんです。
誰もいない場所ってなんだか不気味で近づきがたいところあるでしょう? だから景気づけに回してるんです、自分で。姑息にコソコソと。卑屈にコソコソと。
ですから……あなたと私は、完全なる個別対応。
ほとんど公開メールみたいなもんです。
だから、これから数回(または数ヶ月)にわたって、クラシック音楽とテレビドラマの話題になりますけど、見捨てないでください。
あなただけが最後の砦。
見放されたら意気消沈、食欲減退、意欲拡散、ヤケクソ半分ウソ八百。今度こそマジで、サイト閉鎖しちゃいます。
……ということで、「のだめカンタービレ」なんですが、
その前に、前回の補足というか、蛇足というか……追加です。
先月27日に、植木等さんがお亡くなりになりました。死因は呼吸不全。延命処置を拒否しての潔い往生だったそうで、いかにも植木さんらしいと感心いたしました。享年80歳。
植木さんはもともとジャズ指向の人で、大学卒業後は「萩原哲晶とデューク・オクテット」にギタリストとして参加。1952年に自身のバンド、「植木等とニュー・サウンズ」を結成しています。進駐軍として日本に滞在していたハンプトン・ホース(ピアニスト)と競演したこともあります。「ハナ肇とクレージーキャッツ」がスタートした1956年以降の活躍は、皆様ご存知のとおり。
植木さんの訃報に際して、報道はもっぱら東宝のスーダラ社員シリーズや「シャボン玉ホリデー」などにおけるコメディアンとしての功績を讃えていましたが、私は1979年に製作された降旗康男監督の映画『本日ただいま誕生』が、強烈に印象に残っています。
終戦後シベリアに抑留され、両脚を失って復員してきた男が、事業に失敗し友人に裏切られ、出家して托鉢行脚の旅に出るというストーリー。
クレイジーキャッツの人気が一段落したころで、実父が僧侶でもあった植木さんの、本来の姿が垣間見られた映画でした。
それまで演じてきた、ライト感覚のコメディ演技とはガラリと異なる役柄に、(当時18歳くらいだった私は)けっこう驚きました。
『冬の華』や『駅 STATION』など、丁寧な作りのドラマを連発していた降旗監督の演出も味わい深く、いま観ても(混迷の時代ゆえに)けっこう感動できるのではと思います。
未見の方は、機会がありましたら、ぜひご覧ください。
私は10年くらい前、L・A・モース原作『オールド・ディック』がテレビドラマ化される際の、脚本作りに関わっていたことがあります。
肉体的に終焉に近い老人が、タフガイ探偵小説によくあるハードでバイオレンスな事件に巻き込まれるコミカル風味のサスペンス小説。
これの構成をやりました。
そのとき、主人公役にイメージキャスティングしていたのが、植木さんだったんです。
永遠の青春を全身で表現する老齢の主人公と、昭和30〜40年代を颯爽と駆け抜けた植木さんが良い具合にダブって、けっこう楽しい作業でした。
(ドラマは三国連太郎さんを主役に制作されましたが、とんでもない凡作に仕上がり、地方局のみスプラッシュ放映されました。私の責任じゃないです。プロデューサーが愚鈍だったんです)
閑話休題。
このところ、私の少年時代に活躍されていた方々が次々と他界され、なんだか昭和の残痕がボロボロと剥げ落ちていくような、一抹の寂しさが感じられます。
昭和30年代までは映画が、昭和40年代以降はテレビが持っていた、破天荒なまでのエネルギーは、いまはもう、完膚無きまでに霧散してしまいましたね。
あのバイタリティの根元っていったい何だったのだろうと、(私の中身の薄いアタマで)考えてみると、やっぱり大東亜戦争への一種の意趣返しだったんじゃないのかな、と。
国家総動員法のもと、1億の民が一丸となって火の玉となって、戦い、破れた戦争(というか全体主義)へのアンチテーゼ。
もう二度と国家には騙されねえぞ。お上の触れない場所で、俺たちは俺たちなりの理想を創造するんだ、もう二度と個人の自由や利益を制約されてなるものか……みたいな。
あるときはそれが左に傾いたり、ときには右を見ちゃったりするんですけど。あえて声高なメッセージは訴えないけど……そういうのが、特にノンポリ(完全に死語だ)な娯楽作品の根底にあったんじゃないのかな……なんてこと考えました。
(やっぱり岡本喜八は偉大だったなあ)
現在はそうした反骨精神が失われてしまったから、ぼんくら大臣につけ込まれちゃったりするわけです。
テレビなんて子ども向けの電気紙芝居に、事実とか真実とか、そういう立派なものは存在しないです!
ダイエットしたきゃ食わなきゃいいだけの話だし、風邪を治したいのなら充分な栄養を摂って安静に休むのが一番。でも、民放はスポンサー様あってのものだから、低カロリー食品だとか、本来は症状を緩和させるためだけの風邪薬(パッケージにもそう書いてある)についてキチンとした詳しい話はできないの。サラ金やパチンコ屋は巨大なお得意様だから、社会的道義なんてものを持ってたら経営難に陥っちゃうのよ。
スタジオ見学したことのある人なら誰もが感じたと思うけど、女子アナの化粧は異常に濃い。ほとんど油彩画。そのほうが、スタジオの照明があたったとき美人に見えるから。スタジオ収録の笑い声はダビング。だからつまらんギャグでも爆笑の渦。ニュースだって、三里塚のなかにキャメラを置いたら左派バンザイだし、機動隊の中においたら、命懸けで治安を守る公務員のドキュメンタリーになるわけです。
事実の歪曲なんて、制作側の意識・無意識に関わらず、テレビでは絶対に起こる。
見る側にだって個々に先入観もあるのだから、捉え方は千差万別。
どんなに陽気で愉快なサザエさん一家でも、家族を震災で失った子供が、独りぼっちの食堂で見れば涙がこぼれるんです。
左寄りニュース番組で歪曲報道されてばかりいる自民党なら、分かってて当然のことじゃないですか。
テレビなんてものは、虚構の産業。嘘八百世界。
そんなんもんを鵜呑みにしてしまうバカ国民を、どうにか真っ当な人間に導くような、立派な教育を、政治家は考えてください。
テレビなんか見なくったって死にはしない。
だけど、食糧の生産供給が滞ったら死ぬでしょ。特に自給率の低い都市部は。
そうしたライフラインに直結した、地味だけどかけがえのない仕事に従事している人より、バカ相手にバカな番組作ってるバカの方がもてはやされている風潮って、絶対におかしいと……私は思います。
時代の流れに取り残されちゃってるうえに、そういう風潮を形成してきた世代の私が言うのもなんですけど。