アート・ブレイキー プロフィール
1919年、ペンシルバニア州ピッツバーグ生まれ。
最初はピアノを演奏していたが、ギャングに脅されドラマーに転向。フレッチャー・ヘンダーソン楽団を経て、1944年からビリー・エクスタイン楽団に在団。モダン・ドラミングの開祖ケニー・クラークの奏法を研究、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、ファッツ・ナバロらと出会い、ビ・バップの洗礼を受ける。
エクスタイン楽団が47年に解散すると、アフリカ、中東、インドを旅し、イスラム教に帰依して、アブダラ・イブン・ブハイナの回教徒名を授かる。帰国したブレイキーは、17人編成の「メッセンジャーズ」を結成。この大編成バンドは17名全員が回教徒で、ターバンを巻いて演奏していたが、経済的に行き詰まり短期間で解散。このバンドからケニー・ドーハムやウォルター・ビショップなど8名をピックアップしたメンバーで、1947年12月22日に初リーダー盤(Blue Note)を録音。
51年から53年はバディ・デフランコ・カルテットに在籍していたが、1954年に、クリフォード・ブラウン、ルー・ドナルドソン、ホレス・シルヴァーを擁した自己のクインテットを結成。ニューヨークの「バードランド」に出演し、好評を得たブレイキーは、フロントをケニー・ドーハム、ハンク・モブレーに置き換え、「ジャズ・メッセンジャーズ」のバンド名で活動開始。しかし、1956年夏にブレイキー以外のメンバー全員を引き連れてシルヴァーが独立。「JM」のグループ名だけが手元に残ったブレイキーは、ビル・ハードマン(tp)、ジャッキー・マクリーン(as)、サム・ドッケリー(p)、スパンキー・デプレスト(b)で再出発。サヴォイ、ジュビリー、アトランティック、ベツレヘムなどのレーベルからアルバムをリリースしたものも低迷が続く。
1958年、音楽監督にベニー・ゴルソンを迎えたJMは、リー・モーガン、ボビー・ティモンズを加えてブルーノート・レーベルに「モーニン」を録音。これが起死回生のスーパーヒットとなり、世界中にファンキー旋風を起こす。
以後JMは、ウェイン・ショーター、フレディ・ハバード、カーティス・フラー、ウォルター・デイビス、シダー・ウォルトン、ジュニア・マンス、マッコイ・タイナー、ウディ・ショウ、チック・コリア、キース・ジャレット、ビリー・ハーパー、ジョアン・ブラッキーン、ドン・バイアス、ウイントン・マルサリス、ブランフォード・マルサリス、テレンス・ブランチャード、ドナルド・ハリスンなどの有能な若手を次々と輩出。1990年10月16日、ブレイキー81歳の逝去のときまで、モダンジャズ・レギュラーコンボの名門として偉大な足跡をのこした。