ライオネル・ハンプトンの代表作
超オススメ! ライオネル・ハンプトンを聴くなら、まずこの1枚から。
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Decca/MCA
01 Stardust
02 One O'Clock Jump
03 The Man I Love
04 Oh, Lady Be Good
ライオネル・ハンプトン(Vib)、チャーリー・シェイバース(tp)、ウィリー・スミス(as)、コーキー・コーコラン(ts)、トミー・トッド(p)、バーニー・ケッセル(g)、スラム・スチュアート(b)、リー・ヤング(ds)、ジャッキー・ミルス(ds)
1947年8月4日録音 |
ライオネル・ハンプトンの当たり曲「スターダスト」の決定的名演を収録したジーン・ノーマン・プレゼンツ(GNP)実況盤。
ハンプトン以下、ジャムセッションで鍛え抜かれた名手たちが勢揃い。演奏を熱く盛り上げている。
ライオネル・ハンプトンのベストセラー・ディスク
ライオネル・ハンプトン プロフィール
1909年4月20日、ケンタッキー州ジェファーソン郡ルイビル生まれ(出生日については諸説あり)。ジャズ界初のヴィブラフォン奏者で、スウィング時代のジャズ・ジャイアンツ。
ジミー・バートランド(1900-60年)を手本にドラマーとしてデビュー。カーティス・モスビーのブルー・ブロワーズやポール・ハワード楽団など西海岸のバンドで演奏。
1930年にレス・ハイト楽団の一員としてルイ・アームストロングのレコーディングに参加したとき、スタジオに置いてあったヴァイブを弾くようルイに勧められて転向。
1936年、ロサンゼルスの「パラダイス・カフェ」にて自己のバンドを率いて出演しているところをベニー・グッドマンに発見され、テディ・ウィルソン、ジーン・クルーパとともにベニー・グッドマン・カルテットを結成。6週間後にグッドマン楽団に正式加入し、1938年のカーネギー・ホール・コンサートなどに出演。グッドマン楽団のスター・プレイヤーとして名声を確立。
1940年にグッドマン楽団を辞し、自己のビッグバンドを旗揚げ。「フライング・ホーム」や「エアメイル・スペシャル」などヒット曲を連発。同楽団はハンプトンが体調不良で引退する1995年まで断続的に存続し、アーネット・コブ、イリノイ・ジャケー、ダイナ・ワシントン、キャット・アンダーソン、マーシャル・ロイヤル、デクスター・ゴードン、ジョニー・グリフィン、チャールス・ミンガス、ファッツ・ナヴァロ、ウェス・モンゴメリー、ベティ・カーターなど錚々たるスター・プレイヤーを輩出。1953年の欧州ツアーには、クリフォード・ブラウン、アート・ファーマー、クインシー・ジョーンズ、ジミー・クリーヴランド、ジジ・グライス、ジョージ・ウォーリントン、アニー・ロスが参加している。
50-60年代はビッグバンドと並行して、ベニーグッドマン、オスカー・ピーターソン・トリオ、スタン・ゲッツ、バディ・デフランコ、アート・テイタム、バディ・リッチなどとのジャム・セッションを Verveレーベルに録音。
『ヒットパレード』(51年)、『ベニイ・グッドマン物語』(56年)などの映画にも出演。
ステージではときおりドラムを叩き、歌も披露。左右2本の指だけで弾くピアノ演奏もコンサートの売り物。
第2回オーレックス・ジャズ・フェスティバル(1981年)ではゲストにウディ・ハーマンを加えたオールスター・ビッグバンドで来日。フュージョン全盛の時代にスウィング・ジャズの楽しさをアピールし、往年のファンはもちろん、若い世代にも絶賛された。アルト奏者のマルタがはじめて日本に紹介されたのもこのとき。
1995年に心臓発作で倒れ演奏活動から引退。2001年1月、ハンプトンが15年間使用していたヴィブラフォンが、スミソニアン・国立アメリカ歴史博物館 (ワシントンDC)に収められた。
2002年8月31日、心不全にて死去。享年94歳。