キャノンボール・アダレイの代表作
超オススメ! キャノンボール・アダレイを聴くなら、まずこの1枚から。
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Riverside/Capitol
Recorded at February 1 1960/March 29 1960
1 Work Song 5:07
2 Jeannine 7:18
3 Easy Living 4:23
4 Them Dirty Blues 7:12
5 Dat Dere 5:31
6 Del Sasser 4:43
7 Soon 5:37
8 Work Song [alternate version] 5:51
9 Dat Dere [alternate take] 5:30
キャノンボール・アダレイ(as)、ナット・アダレイ(cornet)、ボビー・ティモンズ(p)、バリー・ハリス(p)、サム・ジョーンズ (b)、ルイ・ヘインズ(ds)
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キャノンボール・アダレイ・クインテットによる、ファンキー・ジャズの代表作。ナット・アダレイの「ワーク・ソング」、ボビー・ティモンズの「ダット・デア」を含む1960年の録音。
キャノンボールの代表作としてブルーノート1595番の『サムシン・エルス』が挙げられることが多いが、あちらはマイルス・デイビス主導で録音されたもので、モダンジャズ史に残る名作アルバムなのは確かであっても、キャノンボールの個性は稀薄。そこであえて、最もキャノンボールらしいアルバムをここでは採り上げました。
「ファンクの商人」と呼ばれたキャノンボールならではの、泥臭いブルース・フィーリングにどっぷり浸ってください。
別テイク2曲を追加収録したコンプリート盤。
(注:東芝EMIから出ている国内盤には別テイクが入っていません)
キャノンボール・アダレイのベストセラー・ディスク
キャノンボール・アダレイ プロフィール
1928年9月15日フロリダ州タンパ生まれ。
ハイスクール時代に管楽器を学び、やがて音楽教師を務めながら自己のグループを率いて活動を開始。1955年・夏、チャーリー・パーカーの死と入れ替わるように、突如ニューヨークに出現。オスカー・ペティフォードのギグに飛び入り参加し、圧倒的なテクニックを披露。一夜にしてその名前を世間に知らしめる。
翌56年・春より、弟のナット・アダレイ(tp)とクインテットを結成、57年の暮れまで活動したのち、クインテットを解散。マイルス・デイビスのグループに59年・秋まで参加し、59年10月、再びナット・アダレイとレギュラー・クインテットを再結成。「This Here」「Work Song」「Jive Samba」「Mercy, Mercy, Mercy」などをヒットさせ、ファンキー・ジャズの中心的グループとして、圧倒的な人気を獲得。一部の評論家からは「ファンクの商人」と揶揄される。
1963年、ユーゼフ・ラティーフ(ts,fl,oboe)を加えた6人編成で初来日。このときのライヴは『Nippon Soul』(Riverside)で、また、66年8月の再来日ライヴは『Cannonball in Japan』(Capitol)で聴くことが出来る。この2回の来日公演でピアノを弾いていたのは、後にウェザー・リポートを結成するジョー・ザビヌルだった。
1975年8月8日、心臓病によりインディアナ州ゲイリーにて死去。享年46歳。