フレッチャー・ヘンダーソンの代表作
超オススメ! フレッチャー・ヘンダーソンを聴くなら、まずこの1枚から。
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Columbia
Recorded 1924-1940年
1. Teapot Dome Blues
2. Shanghai Shuffle
3. Copenhagen
4. Sugar Foot Stomp
5. The Chant
6. Hot Mustard
7. Sensation
8. Livery Stable Blues
9. My Pretty Girl
10. Hot and Anxious
11. Comin' and Goin'
12. Radio Rhythm
13. Oh! It Looks Like Rain
14. King Porter Stomp
15. Queer Notions
16. Can You Take It?
17. Happy Feet
18. Big John's Special
19. Hotter Than 'Ell
20. Christopher Columbus
21. Grand Terrace Swing
22. Stealin' Apples
23. Jim Town Blues
24. Stampede
25. Kitty On Toast
フレッチャー・ヘンダーソン楽団
ベニー・カーター(cl,as)、ベニー・モートン(Tb)、バーナード・アディスン(g)ビッグ・シド・キャトレット(ds)、ボブ・レイジー(g)、ボビー・スターク(tp)、バスター・ベイリー(cl)、シャーリー・グリーン(tb)、チュー・ベリー(ts)、クラレンス・ホリデイ(g)、クロード・ジョーンズ(tb)、コールマン・ホーキンス(ts)ディック・ロバートソン(vo)、ディック・ヴァンス(tp)、ディッキー・ウェルズ(tb)、ドン・パスカル(cl,as)ドン・レッドマン(cl、as)、エド・チャフィー(tb)、エドガー・サンプソン(as,Violin)エルマー・ジョーンズ(b)エルマー・ウィリアムス(ts)、ファッツ・ウォーラー(org)、フェルナンド・アルベルト(tb)、フレッチャー・ヘンダーソン(p)、ジョージ・スクープ・キャリー(as)、ハーヴェイ・ボーン(as)、ヘンリー・レッド・アラン(tb)、ヒルトン・ジェファーソン(as)、ホレス・ヘンダーソン(p)、イスラエル・クロスビー(b)、ジミー・ハリソン(tb)、ジョー・スミス(tp)、ジョー・トーマス(tp)、ジョセフ・カイザー・マーシャル(ds)、ローレンス・ルーシー(g)、ロイ・エルドリッジ(tp)、ラッセル・プロコペ(cl,as)、ラッセル・スミス(tp)、テディ・ニクソン(tp)、トミー・ラドニア(tp)、ウォルター・ジョンソン(ds)、チャーリー・ディクソン(Banjo)、ドン・レッドマン(Oboe)、エルマー・チェンバース(Cornet)、ハワード・スコット(Cornet)、ジョン・キルビー(Tuba)、ジューン・コール(Tuba)、ルイ・アームストロング(Cornet)、ラルフ・エスキューデロ(Tuba)、レックス・スチュアート(Cornet)
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ビッグ・バンド・ジャズの創始者、フレッチャー・ヘンダーソン楽団が残した1924〜1940年の演奏(原盤はSP)を、写真家のケン・バーンズが編纂したコンピレーション・アルバム。
ルイ・アームストロング、コールマン・ホーキンス、ベン・ウエブスター、ロイ・エルドリッジ、チュー・ベリー、ファッツ・ウォーラーなど豪華なメンバーが参加。
ニューオリンズで誕生したビッグバンド・ジャズが、スウィング・ダンス・バンドへと洗練されていく過程が記録されている。
「King Porter Stomp」は、ジェリー・ロール・モートンが、友人だったトランペット奏者のキング・ポーターにちなんで作曲。
ベニー・グッドマン楽団がレパートリーに加え、幾度となく演奏・録音したことから広く知られるようになった。
偏屈者で有名だったベニー・グッドマンは、ヘンダーソンへの敬意から、脳梗塞で倒れた彼の世話をするための寄付を募ったりしていた。
フレッチャー・ヘンダーソンのベストセラー・ディスク
フレッチャー・ヘンダーソン プロフィール
フレッチャー・ヘンダーソンは1897年12月18日ジョージア州生まれ。
アトランタ大学卒業後、ニューヨークに渡りコロンビア大学で化学を専攻するが、黒人差別のため会社に就職できず、ブラック・スワン・レコードでハウス・ピアニストの職を得る。
ベッシー・スミスの伴奏ピアニストとして活動していたが、1922年、自己の楽団を結成。メンバーにコールマン・ホーキンスやルイ・アームストロングを加え、1920年代に起こったジャズ・ブームの中心的バンドとして人気を博した。
その後ベニー・グッドマン楽団の編曲を手掛けるようになると、1939年に自分の楽団を解散し、グッドマン楽団の専属アレンジャーとして活躍した。
1950年、脳卒中の後遺症による麻痺のためピアノを断念。
1952年12月28日死去。享年55歳。