セロニアス・モンクの代表作
超オススメ! セロニアス・モンクを聴くなら、まずこの1枚から。
The Unique Thelonious MonkRiverside 1. Liza (All The Clouds'll Roll Away) セロニアス・モンク(p) 1956年3月17日、4月3日録音 |
セロニアス・モンクの変幻自在、自由闊達なピアノ・スタイルが満喫できるスタンダード・ナンバー集。
http://soe006.com/jazzclub.php?rq=thelonious-monk
超オススメ! セロニアス・モンクを聴くなら、まずこの1枚から。
The Unique Thelonious MonkRiverside 1. Liza (All The Clouds'll Roll Away) セロニアス・モンク(p) 1956年3月17日、4月3日録音 |
セロニアス・モンクの変幻自在、自由闊達なピアノ・スタイルが満喫できるスタンダード・ナンバー集。
1917年10月10日、ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれたが、4歳のとき、家族とともにニューヨークに移る。
姉の影響で5歳からピアノを弾きはじめ、11歳から正式な音楽教育を受ける。14歳でアポロ劇場のアマチュア・コンテストに出場し優勝。黒人学生が少ないピーター・スタイブサント高校に進学し、17歳で福音伝道楽隊に入り全米を楽旅。
1940年、ビ・バップ発祥の地とされているハーレムの「ミントンズ・プレイハウス」のピアニストに雇われ、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーらと共演。
1944年にはコールマン・ホーキンス・カルテットで演奏。
ブルーノート・レーベルのオーナー、アルフレッド・ライオンに認められ、1947年10月から1952年5月にかけて、6回のセッションをレコーディング。ケニー・ドーハム、ルー・ドナルドソン、ミルト・ジャクソン、アート・ブレイキー、マックス・ローチらと、「ルビー・マイ・ディア」、「ラウンド・ミッドナイト」、「ストレイト・ノー・チェイサー」、「セロニアス」、「エピストロフィー」「イン・ウォークト・バド」、「ウィル・ユー・ニードント」、「ミステリオーソ」など、モンクの代表的オリジナル曲を演奏録音。
1951年、麻薬の不法所持を理由に逮捕され、60日間の刑務所生活をおくる。モンクには麻薬癖はなく、友人バド・パウエルを庇ったための不当逮捕、冤罪だったとの説が強い。この事件によってモンクは、劇場・飲食店での営業演奏を許可するキャバレー・カードを没収されてしまう。
不遇の時代、彼の生活を支えたのは、1947年に結婚したネリーだった。
1952年、新興レーベルのプレスティッジと契約。
アート・ブレイキー、マックス・ローチ、ソニー・ロリンズ、マイルス・デイビス、ミルト・ジャクソンらと共演し録音を残す。
クラブでの演奏を停止されていたモンクは、1954年6月、フランスのジャズ・フェスティバルに招聘され、ロスチャイルド財閥のパノニカ・ケーニングスウォーター男爵夫人と知り合う。ニカ夫人はモンクのパトロンとして、金銭的、精神的に彼を支援。モンクは彼女に捧げて「パノニカ」を作曲した。
このときの公演をフランスのヴォーグ・レーベルが録音(『ソロ・オン・ヴォーグ』)。これを聴いたリバーサイドのオリン・キープニュースはモンクと契約し、2枚のピアノ・トリオ・アルバムを録音(『プレイズ・エリントン』と『ザ・ユニーク』)。
1956年12月にソニー・ロリンズらと録音した『ブリリアント・コーナーズ』が評判となり、1957年にはジョン・コルトレーンを加えたカルテットでクラブ「ファイブ・スポット」に6ヶ月の長期公演。リバーサイド・レーベルに数々の代表作を録音。
1959年よりテナー・サックスのチャーリー・ラウズをレギュラー・メンバーに加え、1962年、CBSコロムビアに移籍。1963年5月に初来日。
CBSコロムビアでは、レギュラー・カルテットでの演奏のほか、ピアノ・ソロ、オーケストラなど多彩なアルバムを発表。
1970年ごろから体調を崩し、1971年の「ジャイアンツ・オブ・ジャズ」世界ツアーには参加したが、1975年のニューポート・ジャズ祭、1976年のカーネギーホール・コンサート出演を最後に隠遁生活にはいる。ほとんど外出もせず、余生をネリー夫人と共に過ごす。
1982年2月17日、脳梗塞で死去。
遺体はニューヨーク州ハーツデイルのファーンクリフ墓地に埋葬された。