soe006 「レ・ミゼラブル」1997年度版

「レ・ミゼラブル」1997年度版

September 17, 2003

ヴィクトール・ユーゴーの長ったらしい小説は、中学の頃に無理して読んだせいか、あまり良い印象は残っていなかった。
過去に何度も映画化されているが、どれも観ていない。
だから、小説との比較、過去の映画化作品との比較はできない。

この1997年度版は、監督がベルイマン門下のビレ・アウグスト(ベルイマンの脚本によるテレビ映画『愛の風景』を監督)、音楽がご贔屓のベイジル・ポールデュリスだったので観た。

ポールデュリスの音楽は手堅いけど、可もなく不可もなく、それなりに。4つのパートに編曲編集されているサントラ盤も、今すぐ是非に、というほどでもない。

驚いたのはビレ・アグウストの演出、というか、ラファエル・イグレシアスの大胆な脚色。
イグレシアスは、ピーター・ウィアーの『フィアレス』、ポランスキーの『死と処女』に続いて今回の仕事をやっているのだが、実に手際の良い展開で膨大な量の原作をバサバサ処理している。
じっくり腰の据わった演出で、登場人物の感情表現を丁寧に汲み取ってゆくアグウストが、ここでは大衆文学の読者に向けて、さあこんな面白いお話がありますよ、凄いでしょ面白いでしょって、まるで紙芝居屋のオヤジみたいなノリでストーリーを転がしてゆく。 古典の品格なんぞは二の次、原作小説が本来持っていた大衆にウケる要素を矢継ぎ早に繰り出して、絶対に飽きさせない。
お客の興味を掻き立てることを第一義に考えて作っている。
おそらく原作小説の熱心なファンは、物足りなさを感じるかも知れない。
ほとんど原作を忘れていた俺でさえ、スピーディなストーリー展開に跳ばし過ぎていると感じた。
だけど……
主人公ジャン・バルジャンが警察署長に正体を知られ、娼婦の娘を引き取って修道院に逃げ込むまでの前半は、文句なしに面白い。久しぶりにストーリーの面白さを堪能した。

ストーリーに直接関係してこないエピソードはギリギリまで省略する。
これがハリウッド流なのだ。

残念なことに……
10年後、修道女になることを拒んだ娘が革命家の青年と恋仲になる後半で、ストーリーは失速してしまう。
主人公ジャン・バルジャンに次々と降りかかる理不尽な迫害を描くのが、この映画のテーマである。
なのに……娘の恋愛話に物語の主軸がシフトしたのでは、前半でせっかく掴んだお客の関心が離れてしまうぢゃないか。
娘と革命青年の(「ロミオとジュリエット」まがいの)恋愛話は……
主人公の正体がまたもバレそうになる、
またしても警察署長によって運命が狂わされそうになる、
その危機を招く原因となるサブ・ストーリーであって、本筋ではないでしょう?

ストーリーに直接関係してこないエピソードはギリギリまで省略する。
それがハリウッド流ぢゃなかったの?

美術(『ファニーとアレクサンデル』のアンナ・アスプ)、衣装(『薔薇の名前』『エイジ・オブ・イノセンス』のガブリエラ・ペスクッチ)、撮影(『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のイェルゲン・ペーション)など、スタッフ・ワークに関しては最高水準の仕事でありました。

役者も、主人公のリーアム・ニーソン、警察署長のジェフリー・ラッシュ、薄幸の娼婦を演じたユマ・サーマン、それに出番は少ないけど主人公に神の慈悲を解く神父役のピーター・ボーガンと、良い演技を見せてくれている。

それに比べ、娘役のクレア・デーンズ、青年革命家のハンス・マセソンは……この二人の若者によって、映画の後半のテーマは、
親の心、子知らず」になっちゃったね!

自ら川に身を投じた警察署長を見送ったあとで、ジャン・バルジャンが笑ってしまうのも違うと思う。
このラスト、「法」と「慈悲」とがぶつかり合う最終決着の場面であり、「法」に生涯を捧げた警察署長は敗北を認めて命を絶つ。
それを主人公が笑ってしまったのでは、「慈悲」の勝利にはならんでしょう。
っていうか、どうして助けようと手を差しのべないのさ!
相手は敗北を認めてるんですよ。
革命ゲリラに処刑されそうになったとき、いったんは助けてあげたぢゃないですか。 あれはなんだったの?
無理は承知のうえで、声くらい掛けてやってもいいでしょう?
ぼーっと眺めてないでさ。

障害が排除された解放感から笑い出した主人公に、
「慈悲」の心があるとは思えんし、
お客だって共感できないと思うよ。

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