soe006 追悼 那須博之

追悼 那須博之

March 3, 2005

2月27日、那須博之(なす・ひろゆき)監督が肝臓がんで死去。
享年53歳。
那須博之フィルモグラフィー (日本映画データベース)

昨秋の『デビルマン』公開後、多くの映画ファンから「死ね」とか「逝ってよし」などと罵倒され続けてましたから、これでは健康な人でも癌にならないほうがおかしい。(冷静に考えれば、病巣はそれ以前からあったのでしょうが……)
漫画雑誌(「少年マガジン」)に連載されていた「デビルマン」は、小学生のころリアルタイムで読んでいましたが、それほど思い入れはありません。子供たちのトラウマとなったらしい異様なストーリーはさておき、永井豪って人の絵が好きじゃなかったからでしょう。(……っていうか、俺は、同時代の人たちより漫画そのものに対する熱意が薄かったですから)

上映中はスクリーンに映されている、映画とも呼べぬ最悪な出来の『デビルマン』をダラダラと眺めながら、これは那須博之にとっての平成『ガメラ』なんだろうな、監督自身はそれを目指していたのだろうな、どうしてこんな事になっちまったんだろうな……などと、ぼんやり考えていました。

映画『デビルマン』を酷評する人の多くが、原作漫画との比較で貶しているようですが……原作がなんであれ、出来上がった映画が、批評する気にもならないほど(純粋に映画として)酷いものだったので、これまで個人的にスルーしていました……しかし、53歳の訃報は、あまりにも早すぎます。

『デビルマン』後の那須博之に、期待しているところがありました。
今回の屈辱をどのようにして挽回してゆくのか、映画監督としての今後の生き様に注目していました。
好きか嫌いか、単純に二極分化すれば、「好きな監督」でしたね。

本人とは面識もなく、誰の口からもそのようなことは聞いたことはないけれど……那須博之の監督人生には、常に金子修介の存在がつきまとっていたに違いありません。
二人は1980年前後ににっかつに入社し、数本の助監督経験の後、監督デビューしています。

金子修介フィルモグラフィー (日本映画データベース)

1982年5月『ワイセツ家族 母と娘』(那須博之デビュー)
1983年6月『セーラー服 百合族』(那須博之)
1984年2月『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(金子修介デビュー)

(デビュー作『ワイセツ家族 母と娘』は未見なので)那須博之の監督第2作目の『セーラー服 百合族』と、金子修介のデビュー作『宇能鴻一郎の濡れて打つ』を強引並べてしまいますが、この(山本奈津子主演の)2本の映画は明るく爽やかな印象の青春コメディで、それまでのロマンポルノ路線とは異なる輝きを放っていて、とても新鮮に思えました。

那須博之の『百合族』シリーズ、『美少女プロレス 失神10秒前』、金子修介の『宇能鴻一郎の濡れて打つ』『イヴちゃんの姫』『みんなあげちゃう』……
他の新人監督(森田芳光、根岸吉太郎、相米慎二など)が文芸的(私小説的)な匂いを漂わせていたのに対し、この二人は、エンタテインメントに徹したサービス精神で映画を作っていました。
特に人気漫画「エースをねらえ」のパロディ版『宇能鴻一郎の濡れて打つ』は、ロマンポルノというよりも漫画そのもののような面白さで、続く『みんなあげちゃう』にはウルトラの母まで登場……つい最近までテレビアニメを見ていた世代に向けて作られた、新しいタイプのロマンポルノ。そのコメディ・タッチの軽やかさは爽快でした。

ちょっと余談:
青春コメディ路線としては、その先駆者として、1978年に小原宏裕監督の『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』があったのを忘れているわけではないけど、話が横道に逸れて長くなりそうなので、今回はスルーしておきます。

ロマンポルノ終焉期に登場した二人の監督は、ともに(デビュー時は)同じようなタイプの映画を作っていましたから、俺はずっと比較しながらみてきました。
それはあたかも、追いかけては追われ、抜かれては抜き返す、カーレースにも似たデッドヒートを連想させました。
『百合族』シリーズで先行していた那須博之は、少し遅れて監督デビューした金子の『濡れて打つ』に追い上げられ、『みんなあげちゃう』でイッキに抜かれた(当時はそんな感じ)。

ホームビデオ時代が到来し、より過激で露悪的かつ即物的なアダルト・ビデオが猛威をふるいます。
にっかつは、業績不振からプログラム・ピクチャー最後の砦だったロマンポルノの製作を終わらせ、二人の新人監督はフリーとなり、そして中堅監督となりました。

根本的に娯楽路線は同じですが、このあたりから、那須と金子の指向の違いが少しづつ感じられるようになりました。

人気で先行したのは学園バイオレンス・コメディ『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズが大ヒットとなった那須博之。
シリーズ第1作から、那須監督は(嫁さんでもある)那須真知子とタッグを組みます。 売り物は格闘アクション。シリーズも後半になると、香港映画を意識したアクション場面の創造に熱が入ってきました。
那須博之の香港バイオレンス趣味が満開になったのが、1987年の『新宿純愛物語』。細かいストーリーは二の次、ローラーコースター並のテンポで矢継ぎ早にアクション場面が展開される快作です。
偏執的笑いで大地康雄が追いかけてくる廃屋の病院場面や、火炎放射器の扱い方などに『エイリアン2』の影響も見受けられますが、全体のテイストは香港アクション映画。当時、あそこまでサービス精神に徹したアクションを撮る日本の映画監督は、那須博之以外にいませんでした。

金子修介は、一色伸幸を相棒に『恐怖のヤッちゃん』『山田村ワルツ』『卒業旅行 ニホンから来ました』を、自らの脚本で『どっちにするの。』『香港パラダイス』(共同脚本)、『毎日が夏休み』を撮ってました。こちらは明らかにビリー・ワイルダーやハワード・ホークスのスクリューボール喜劇を意識した、ハリウッド式の洒落たタッチ。
アクションにこだわりだした那須とは異なり、かつての東宝プログラムピクチャーに似たカラーの、明朗快活なコメディに個性を発揮させていました。

そして、1995年…… 金子修介は、伊藤和典(脚本)と樋口真嗣(特技監督)の協力を得て、『ガメラ 大怪獣空中決戦』を発表。これが怪獣映画としては『ゴジラ』以来の話題となり、怪獣映画ファン以外の映画人からも高く評価され、脚光を浴びます。
続編の『ガメラ2 レギオン襲来』『ガメラ3 邪神(イリス)覚醒』も好評でした。

いっぽう、『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ終了後の那須博之は、『ろくでなしBLUES』『地獄堂霊界通信』などヒット作に恵まれず、あとはVシネばかりで鳴かず飛ばずの日々。

今回の訃報で知ったのだけど、那須博之は東大卒だそうです。
映画界入りしていなければ、(そして大多数の東大卒のように上級公務員や大企業への道を歩んでいれば)年齢的に、かなりの地位についていたとしてもおかしくはない学歴。 なによりも、東大卒はエリート意識が強く、負けず嫌いが多いですからね。

それだけに今回の『デビルマン』は、デジタル技術を駆使した特撮大作であり、善と悪との究極の戦いを描くという『ガメラ』シリーズと近似したテーマもあり、取り組むにあたって、那須博之は、絶対に、金子修介を強く意識していたに違いない、と思ったわけです。

結論から言うと、那須真知子とコンビを組んだのが間違いだった……ということになるのでしょうか。
夫婦で監督・脚本コンビを組んでいた例としては、市川崑と和田夏十という名コンビもありましたが……なんとも気の毒としか言いようがないです。

マジで、今後の活躍を期待していただけに、残念でなりません。
御冥福をお祈り申し上げます。

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