子供たちはどこにいる メアリ・H・クラーク
新潮文庫 (1975-1980)
子供たちはどこにいる メアリ・H・クラーク
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女性作家だから、女性特有の不安感や恐怖感を描くのが巧い、などという安易で短絡的な分析には素直に頷けませんが(男性だって女性心理を描くのに長けている作家はゴマンといる)、M・H・クラークは女性を描くのが巧いです。
特に、女性が生理的に嫌うものや弱点を、よく熟知してますね。
過去に二人の子供を殺され、それが原因で夫は自殺。再婚して二人の子供を産み、ようやく本来の倖せを取り戻したかのように思えた矢先、またもや同様の事件が身に降りかかってくるわけで、もう、これでもかとばかりに作者は主人公を苛め抜きます。
ここらあたりの陰湿さは、かつての大映テレビ制作「赤いシリーズ」や橋田壽賀子ドラマの味わいに似たものがあります。昼メロ愛好者なら、夢中になること請け合いですよ。
なぜヒロインの誕生日に彼女の過去(実子殺害の容疑者だった事実)を新聞に暴露し、再び子供たちを誘拐したのか?
犯人は例によって例の如く、異常性格者(サイコ・キラー)なので、犯行の動機に関しての論理的なミステリーは、ない……だってキチガイなんだも〜ん。
それでもイイ、面白いんだから。
巧妙に仕組まれたプロットを、退屈させずにスイスイ読ませる手腕は抜群に巧い。
登場人物が類型的なのも、読者に余計なことを考えさせない作家の配慮、サービスのひとつと割り切って読みましょう。
読後になんにも残らない(面白い小説を読んだって記憶だけが残る)のも、ヒッチコック映画みたいでいいじゃないの。
本作の後に発表された小説群は、シチュエーションだけはいろいろ趣向が凝らされているけれど、いつもと同じような登場人物が、いつもと同じような事件に巻き込まれ、いつもと同じような犯人に襲われるものばかり。
ワンパターン作家と罵られ、ランクを下げちゃったのも納得のいくM・H・クラークではありますが、初期の2作品(『子供たちはどこにいる』と『誰かが見ている』)は、徹夜本の逸品。別格扱いにしておきたいですね。
もし、この小説を読んで徹夜しちゃった方には、まったく同じ題材の『永遠の闇に眠れ』(角川文庫)を、熱烈オススメします。ほとんど同じ内容のストーリーを、如何にして別作品として構築するか……アイディアが枯渇してしまった作家さんは、両作を読み比べて分析研究すれば、量産作家になれるかも知れません。
俺は『永遠の闇に眠れ』を読んで、M・H・クラークに「永遠の別れ」を告げちゃったんですけどね。
ヒマ潰しだけを目的に読書している人には現在も人気があるみたいで、新作が発表されると(アメリカでは)、毎年ベストセラー・リストに載っているそうです。