仮想現実的河童についての考察
July 10, 2003
河童、ご存知ですか?
10年くらい前にある理由から、老若男女手当たり次第、百人くらいに訊いてみたんですよ、河童って知ってますかって。上は八十過ぎの高齢者から下は4歳の洟を垂らした保育園児まで、100パーセント、みなさんご存知でした!
そのイメージは以下の通り。
水中に棲む妖怪。頭の上に皿がある。皿の水が乾くとパワーダウンする。背中は甲羅。尖ったクチバシ状の口。手足には水掻きのついた指が3本づつ。左右の腕はつながっていて、一方を伸ばすと他方が縮むらしい(これは中国のテナガザルに対する俗信と同じ)。三つの肛門を持ち、短い尾が付いている。付いていない奴もいる。子供ぐらいの大きさで色はいろいろ(青黄色、灰褐色、赤褐色、黒など)。粘液に包まれている奴もいる一方で、総身に毛が生えている奴もいたりする。イタズラ好きで、陸に上がって畑を荒らしたり、乱暴な奴は馬の尻の穴から内蔵を引きずりだして食ったりもする。直立歩行が出来るらしい。人懐っこい奴は人間の子供と相撲をとったりする。魚を常食としているが、好物はキュウリ(福岡県の柳川では、逆にキュウリを嫌うと伝えられ、川遊びする子供たちの足首や踵にキュウリのヘタの汁を擦り込み河童除けのオマジナイにしている)。人の肛門から尻子玉を引き抜いて食う残虐な奴もいる。その罪ほろぼしとして人間に秘薬を授けたりする奴もいる。赤子のような声で鳴く。鉄気(かなけ)のあるものを嫌う。『和漢三才図会』には、河童と相撲を取る前には首を上下に数回降る、そうすれば河童もそれをまねて、皿の上の水をこぼして力を失う、とある。川を渡るときには、「いにしへの 約束せしを忘るなよ 川立ち男 氏は菅原」という菅原道真が太宰府で詠んだ句を唱えていれば河童に襲われないという。葛飾北斎の『北斎漫画/河童を釣ルの法』には川岸で尻を丸出しにした男が、尻子玉を狙って水面に現れた河童を捉えようとしている様子が描かれている。
実物を見た人は(たぶん)いない。
なのに、日本全国(150年前まで文化圏がまったく異なっていた沖縄や北海道にまで)に河童伝説が存在し、そのイメージは上記の如く、とても固定化している事実!
これは、すなわち日本に河童が実在していた(している)という証拠である!
などとデンパなことを口走ってると、誰からも相手されなくなるので自粛。
「河童」を「どらえもん」に置き換えてもいい。
どちらも実在しないということを、(一部のデンパくんを除いて)みんな知っている。と同時にそのイメージを全員が認知しているのであります。
実在していない存在を誰もが知っているなんて! これは、凄いことなんですよ。
一方、インターネットというものがあります。いま、みなさんがご覧になっているこのページもそのインターネット一部であります。
これは、もう確実にこの世に存在しているもので、誰が何と言おうと在るものは在るわけで、無いってことは絶対に無い。
なのに……どんなカタチしているのか、その全体像、イメージをはっきりと認知している人っていらっしゃらないんですよ。みんながみんなそれぞれに、思い思いのカタチを認識しているけど、そのどれもが異なるカタチだし、実体が何処に存在しているのかも把握できていない。
空想上の存在「河童」はイメージが固定化出来るのに、現実に存在する「インターネット」のイメージ化は不可能。
う〜ん。
更に、この世には「愛」とか「慈しみ」とかも存在するらしい。だけど、これも人によってカタチがいろいろと変わり、固定化した一般的なイメージはない。その実体も本当にあるのか無いのか分からない。
「愛は地球を救う」なんてテレビ番組があるけど、実体は全国から銭を掻き集めているだけ。
チャリティって言ってるけど、チャリティしてるのは募金している視聴者の方で、出演者はちゃんと高額のギャラ貰っているし、スポンサーだってCM流してナンボの世界じゃん(俺、地雷に乗っかっちゃってる?)
だったら「銭は地球を救う」って素直に言えばいいじゃん、とか思う。「愛」なんて番組作りの何処にも見当たらんのだ。それに……
実体がよく分からん「愛」では無理っぽいけど、存在がハッキリと自己主張している「銭」ならば、地球だって救えるかも知れない。