soe006 16年後に父を想う

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16年後に父を想う

May 16, 2006

私の父親は、天上天下唯我独尊な人で、他人の話を聞くより自分の話をしている方が長い、いつも自分が真ん中にいないと気がすまないタイプ。
常に趣味を優先させ、それを成すために仕方なく仕事していたようなもので(家長の義務として飯だけはちゃんと食わせてくれたけど)、家族旅行とはなんじゃそりゃ、遊園地、ボーリング場、映画館、子供連れでの行楽は一切なし。
自分の貴重な時間を、何故に子供たちのために使わなきゃならんのだ、バカバカしい……そんな人でした。

特に長男の私には厳しく、子供の頃は怖くて目も合わせられないほど。
こっちも思春期あたりから(それがこの世代の特性ではありますが)、事あるごとに反撥し、父親と接するときはいつも仏頂面。お互い感情を示すことなく、必要最低限の言葉を交わすのみ。
恥ずかしい話だけど、こんな父親じゃなかったら俺だってちっとはマシな……みたいな、歪んだ甘えもありました。

そんなだから、亡くなったときも動揺はなく、平常と変わらぬ態度で淡々と、葬儀の段取りなんかやってました。
心のどこかに一抹の喪失感はありましたけど、これといった実感がない。
葬式の日は土砂降りでしたが、参列の方々への挨拶は当然のこと、車の手配から履物の整理まで、テキパキテキパキ。親戚の人なんか、「やっぱり長男だけあってしっかりしてる」とか褒めました。
肉親の死に接しても平然としているのだから、感心されることじゃないんですけどね。

あれから、16年……

日曜日が、父親の十七回忌でした。
仏殿で住職の読経に耳を傾けていたら、唐突に、父親の笑顔が浮かんできました。
まったく記憶に残ってなかった、父親の笑顔が。
いったい何時、どんなときに浮かべた笑顔なのか、さっぱり思い出せないんです。

それからは、もう……どうも、いけません。
その笑顔ばかりが繰り返し、繰り返し現れてきて。

本当はもっと笑っていたかったんじゃないのかな。
私が、父親の笑顔を奪ってたんじゃないのか?
生前、もっと笑って接してあげてたら良かったな。
……そうしてたら、
父親の、もっと沢山の笑顔を見られたかも知れない。

そんなことを考えていたら、
16年経って、ようやく涙がこぼれてきました。

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