マイルス・デイビスの代表作
超オススメ! マイルス・デイビスを聴くなら、まずこの1枚から。
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マイルス・デイビス(トランペット)
ジョージ・コールマン(テナー・サックス)
ハービー・ハンコック(ピアノ)
ロン・カーター(ベース)
トニー・ウィリアムス(ドラムス)
1. My Funny Valentine
2. All Of You
3. Stella by Starlight
4. All Blues
5. I Thought About You
1964年2月12日 NYC リンカーン・センターでのライヴ
CBS Columbia |
1963年夏のヨーロッパ・ツアー以降、スタジオ録音をやめて精力的にライヴ活動を始めたマイルス・デイビスの、一連のライヴ録音盤のなかで最も人気あるのがこのディスク。
1956年の『 Cookin' 』に録音していた「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」や、『 'Round About Midnight 』の「オール・オブ・ユー」など、レパートリー・ナンバーのオンパレードなんだけど、初出のスタジオ録音とはまったく別モノに化けております。1958年『 Milestones 』から始まったモード演奏の実践版みたいな感じ。マイルスの音色はこの時期がピークで、息を呑むほど美しい。ディジー・ガレスピーやクリフォード・ブラウンへの嫉妬=コンプレックスから生まれた(と私は思ってる)弱音トランペットへの執着が結実した感じ。
この日のリンカーンセンター・ライヴは、スローテンポのナンバーばかりを集めた本盤と、アップテンポ・ナンバーをまとめた『 Four & More 』の2枚に分散されています。ちょっと前にリアル演奏順に曲を並べ替えた2枚組もリリースされていましたが、現在は廃盤みたい。でも、LP時代から聴き慣れたフォーマットのほうが、やっぱり良いですね。
マイルス・デイビスのベストセラー・ディスク
マイルス・デイビス プロフィール
1926年5月26日イリノイ州アルトン生まれ。翌年、イーストセントルイスに転居。父親は裕福な歯科医。
13歳からトランペットをはじめ、ハイスクール時代に自己のバンドを結成。41年にランディ・ランドルフのバンドに加わり、ツアー中のチャーリー・パーカーとも共演。1944年7月ディジー・ガレスピーの推薦でビリー・エクスタイン楽団に迎えられた。
1945年、チャーリー・パーカーを慕って19歳でニューヨークに進出。ジュリアード音楽院に学ぶ(中退)。麻薬で困窮していたチャーリー・パーカーと同居し、52丁目でビ・バップの巨人たちとジャム・セッション。45年11月サヴォイ・セッションで初のレコーディング。
1948年、初めてのリーダー・セッションを録音。
1949年、リー・コニッツ、ジェリー・マリガン、ジョン・ルイス、ギル・エヴァンスらと9重奏団を結成、「ロイヤル・ルースト」にて2週間公演。翌49年、キャピトルにおいて『クールの誕生』を録音。
一時期、麻薬により不調、1954年に復帰。ハードバップ時代の幕開けを飾る『ウォーキン』をプレステッジに録音。
1955年、ジョン・コルトレーン(ts)、レッド・ガーランド(p)、ポール・チェンバース(b)、フュリー・ジョー・ジョーンズ(ds)による伝説のクインテットを結成。CBSに移籍し、名盤『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』、プレステッジ4部作を録音。
1957年、パリへ渡り、バルネ・ウィランら現地のジャズメンと映画『死刑台のエレベーター』のためのサウンドトラックを即興演奏で録音。
レギュラー・メンバーにキャノンボール・アダレイ(as)、ビル・エヴァンス(p)を加え、モード奏法によるアドリブを完成。1959年『カインド・オブ・ブルー』を録音。
1960年にコルトレーンが脱退。流動的なメンバーでライヴ・レコーディング中心に活動。
1964年7月、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムス(ds)を従えて初来日。同年秋にはウェイン・ショーター(ts)を加え、黄金のクインテットを結成。
1969年、ファンクなリズムとエレクトロニクス・サウンドを大胆に導入した異色作『ビッチェズ・ブリュー』を発表。1970年代ジャズ・シーンに多大の影響を与える。
1975年に体調を崩し演奏活動を中断。
1983年3月に復帰。同年9月、新宿と大阪で来日コンサート。
ブルース、ロック、ヒップホップなど時代のサウンドを積極的に取り入れ、伝統的なジャズの演奏を超越した独自の「マイルス・サウンド」を追求し続けた。
1991年9月28日 、肺炎のため死去。享年65歳。