アニタ・オデイとノーマン・グランツ

アニタ・オデイとノーマン・グランツ

November 6, 2003

「気まぐれJazzスクラップブック」に、フランク・シナトラとアニタ・オデイのディスコグラフィーをアップしました。
シナトラはCapitol時代のみ、アニタはVerve時代のみの期間限定。

フランク・シナトラ Discography(Capitol Years 1952-1961)
アニタ・オデイ Discography(Verve Years 1952-1963)

2人ともバンドの専属歌手から独立して(偶然にも)1952年からソロのレコーディングを開始、それぞれ生涯の代表作となる名唱を50年代に集中して残しています。
自己のレーベルRepriseを設立したシナトラは、その後も何枚かの優れた内容のレコードを出していますが、アニタは60年代になるとガタガタになっちゃいます。
Jazz界のジェリー・ブラッカイマー(売れるんやったら何でもありやでぇ)クリード・テイラーがプロデューサーになってからのVerveは、新機軸の企画ものに熱を入れ過ぎて、レーベル設立者ノーマン・グランツの志(こころざし)を忘れちまいました。
その犠牲となったミュージシャンは数多くいますが、アニタもその1人ですね。

ノーマン・グランツ(Norman Granz)
1918年8月6日、ロサンゼルス生まれ。
MGMスタジオでフィルム編集スタッフとして働いていた映画人でしたが、Jazzが好きで好きで好きでたまらなくってジャズクラブに入り浸り。好きなミュージシャンの演奏を、録音させてよ、させてよ、させてよ、と云う気持が高じてClefレーベルを設立。
1944年に始めたコンサート「ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック」(JATP)の実況盤を制作するようになりました。
Clefはやがてスタジオ録音も手掛けるNorgranレーベルとなり、1956年に屋号をVerveと変えてからは、JATPの人気者だったエラ・フィッツジェラルド、オスカー・ピーターソン、デイジー・ガレスピーなどのレコーディングを山のように大量リリースしました。

グランツの制作方針は、「今日のジャズ・シーンを真に代表するアーティスト起用し、音楽的に彼らの真価をレコード化するため、一切の制約を課さず、自作、他作を問わず、いかなる曲も、いかなる編曲も、いかなる楽器編成も自由に使える権限をミュージシャンに与える。さらに録音に必要な時間に制限もつけない」と云う実に立派なものでした。
しかし、趣味は商売の敵。経営が悪化し、1960年、VerveはMGMレコードに売却されます。
従って真にVerveレコードと呼べるのは、ノーマン・グランツがプロデュースを手掛けた40〜50年代のレコードだけ。

グランツは1972年に新レーベルPabloを設立(グランツはパブロ・ピカソの蒐集家でもあったりします)。
JATPの再現ともいえる大物ジャズメンによるジャム・セッション『ジャズ・アット・ザ・サンタ・モニカ・シヴィック’72』をリリースして、見事カムバックを果たしました。

2001年11月、惜しまれながらお亡くなりになりましたが、Verveレーベルに大勢のジャズメンが自己ベストの録音を残せたのは、グランツのミュージシャンに対する信頼と愛情があったればこそであります。
その恩恵を受けた数多くのミュージシャンの1人が、アニタ・オデイだったわけですね。

アニタ・オデイ(Anita O'Day)
1919年10月18日、イリノイ州シカゴ生まれ。本名アニタ・コルトン。
オデイ(O'Day)と云う芸名は、現金(dough)という意味の言葉遊びからきているそうだけど、俺は教養がないから、よく分かりません。
1939年にマックス・ミラーのグループに加わり歌手デビュー。
1941年、ジーン・クルーパ楽団の専属歌手として、「Let Me of Uptown」「That's What You Think」などのヒットで人気を獲得。
この頃のアニタは、アイドルだったビリー・ホリディの影響が強く、他の白人女性シンガーとは異なった個性を発揮していました。

1944年、モダン・ビッグバンドのスタン・ケントン楽団に1年弱、在籍したのち、クルーパ楽団に戻ります。インテリ・バンドのケントン楽団よりクルーパ楽団を選ぶところが、アニタらしいですね。
「Boogie Blues」「Opus One」はこの時期の代表曲で、これらのヒットにより、ダウンビート誌の人気投票では、女性ヴォーカリストのトップに選ばれました。

1945年にクルーパ楽団を離れソロ・シンガーとして独立しますが、人生波瀾万丈。
クラブ経営に失敗して借金地獄。アルコールに溺れて喉も精神もズタボロ。後進のサラ・ヴォーンやペギー・リー、ジューン・クリスティに人気を奪われ、苦い20代をおくることになります。

そんなどん底人生のアニタに救いの手を差しのべたのが、ノーマン・グランツでした。

1952年、グランツはアニタの録音を開始(このときの録音は、他の2つのセッションと一緒に、「The Lady Is A Tramp」というLPでまとめて聴けます)。
やがてLPレコードの時代となり、グランツがモットーとしていた「優れたJazz Musicをミュージシャンの自由に任せて制作する」体制のなかで、アニタはグランツの期待に応える優れたアルバムを次々と世に送り出してゆきます。

1954年(Modern Jazz元年)、アニタは畢生の代表作となる「Anita」「Anita Sings The Most」「Pick Yourself Up with Anita O'Day」を録音。
抜群のテクニックとリズム感でスタンダード・ナンバーを見事に処理し、自己ベストとしてだけでなく、Vocal Jazzの歴史に残る名作を創り上げました。
白人シンガーとして再びトップの座に返り咲いたのであります。
復活したアニタも素晴らしいけど、彼女にチャンスを与えたグランツも偉い!
(1954年=Modern Jazz元年……この命名については別の機会に書きますね)

あと褒めておきたいのは、日本のレコード会社。
Verveにアニタが残したLPは全部で16枚あるんですが、そのうち日本でのみCD化されているのが8枚(内4枚は廃盤/在庫切れだけど)。←注:2003年11月現在
半数が日本盤でしか手に入らない状況なんですよ。
VerveやCapitolレーベルの、特にヴォーカルものは、日本でみのリリースされているCDってかなりあります。米国よりも日本や欧州のほうがJazzについて理解があるって、あちらの人が羨ましそうに書いた文章も、時々見かけますしね。
俺は日本に生まれ育った(実は恥ずかしながら日本以外の空気を吸ったこともない)生粋の愛国者ですから、この現状には「日本人偉い!」と賛辞を贈っておきたいですね。

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