2020年06月|映画スクラップブック


2020年 06月(14本)

2020/06/04

翼よ!あれが巴里の灯だ

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THE SPIRIT OF ST. LOUIS
1957年(日本公開:1957年08月)
ビリー・ワイルダー ジェームズ・スチュワート マーレイ・ハミルトン バートレット・ロビンソン マーク・コネリー パトリシア・スミス

1927年5月20日、単葉単発のプロペラ機「セントルイス魂」号でニューヨーク-パリ間を単独で飛び、大西洋無着陸飛行に成功したチャールズ・A・リンドバーグの回想録(ピュリッツァー賞を受賞)を、ウェンデル・メイズとビリー・ワイルダーの脚色で映画化。
製作された1957年は、ソ連が初の人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功した年であり、米ソ冷戦下での、国威発揚を目的としたアメリカ讃歌の映画であります。

邦題「翼よ!あれが巴里の灯だ」はうまい。上空からパリの夜景が見えた時の主人公の気持ちがよく出ているし、プロパガンダ臭さが消えて、映画を観終えたときの気分がそのまま伝わってくる。よい邦題だ。
実際は着陸したとき、何処に降りたのか、リンドバーグ本人はまったく分からなくて混乱していたらしいけど。

大西洋横断飛行が成功を収めるのは誰でも知っているし、映画の冒頭で字幕でも紹介される。事前に結末が分かっているストーリーを、どう作るか? 映画の大半を占める飛行中の場面は、操縦席と外の景色のみ。この単調な絵をどう見せるか?
そこは、さすがのビリー・ワイルダー。前半にスポンサー探しや飛行機製作のエピソードを仕込み、後半は回想を頻繁にインサートしながら、クライマックスのパリ到着までテンポよく構成してある。
回想される郵便配達や曲芸飛行などのエピソードに、ローリング・トゥウェンティーズの時代色がでていて微笑ましいし、ガスバーナーでヒラメを焼いている工場長など、ユニークな登場人物もいい。工員たちが手作りで飛行機を組み立てる工程がとくに良かった。
フィラデルフィアの女性記者に貰ったコンパクトミラー、機内に紛れ込んでいたハエ、神父からプレゼントされたメダルとか、(映画の創作ではあるけれど)ワイルダー映画らしい趣向も盛り込まれていて面白い。

飛行機がニューヨークを飛び立ったあとに、数シーン挿入された、見送った人たちの点描がほのぼのとして好きだな。

70

2020/06/06

霧の波止場

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LE QUAI DES BRUMES
1938年(日本公開:1949年12月)
マルセル・カルネ ジャン・ギャバン ミシェル・モルガン ミシェル・シモン ロベール・ル・ヴィギャン ピエール・ブラッスール レイモン・エイムス エドゥアール・デルモン

インドネシアで過酷な経験をしてきた外人部隊の脱走兵ジャン(ジャン・ギャバン)。ヒッチハイクしたトラックに乗せてもらい、港町ル・アーブルへと向かう夜道で、ふいに飛び出してきた犬を急ハンドルで救けたがために運転手と言い争う。この冒頭のシークエンスから主人公の性格が鮮やかに表現され、さすがはマルセル・カルネと感心する。

街の外れにあるパナマ亭でベレー帽にレインコート姿のネリー(ミシェル・モルガン)と出会い、恋に落ち、彼女を巡って街の与太者(ピエール・ブラッスール)から恨みを買い、ペシミスティックな画家(ロベール・ル・ヴィギャン)から服と靴とパスポートを譲り受け、身分を偽っていったんは南米行の汽船に乗船するものの、ネリーが気がかりで会いにゆき、彼女に邪(よこしま)な気持ちを抱いていたネリーの養父(ミシェル・シモン)を殺し、表通りに出たところを与太者に背後から撃たれる。ネリーに抱かれながら絶命したとき、波止場に停泊していた船が、出港の汽笛を鳴らす。

昭和30年代に日活がさんざん模倣していたムードアクションの典型的なストーリーなのだが、本家はクオリティが違う。ジャック・プレヴェール&マルセル・カルネの練り込まれたセリフが板についている。毎度のことながら脇役の人物造形が細やかでユニーク。
モノクロームな霧の波止場の雰囲気が、幻想的で素晴らしい。

プレヴェール&カルネの粋は、パナマ亭主人(エドゥアール・デルモン)と画家(ロベール・ル・ヴィギャン)のやりとりによく出ていた。
パナマ亭で空腹を訴えるジャン・ギャバンは、ちょいとオーバーアクト。
ギャバンにビンタされるピエール・ブラッスールの泣き顔がいい。もう一度見たい。
命の恩人のギャバンを慕ってつきまとう犬の扱いが作為に感じられるが、しかし何と言ってもこの映画のいちばんの魅力は、製作当時17歳だったというミシェル・モルガンの初々しい美貌だな。

65

2020/06/06

陽は昇る

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LE JOUR SE LEVE
1939年(日本未公開)
マルセル・カルネ ジャン・ギャバン ジャクリーヌ・ローラン アルレッティ ジュール・ベリー

「霧の波止場」の翌年に製作されたジャン・ギャバン&マルセル・カルネ・コンビの2作目。日本未公開。

実直で好印象の工員フランソワ(ジャン・ギャバン)は、届け先を間違えて工場に入って来た花屋の店員フランソワール(ジャクリーヌ・ローラン)と恋に落ちる。
しかし彼女は犬の曲芸師ヴァランタン(ジュール・ベリー)とも交際している様子。フランソワは彼女を尾行して曲芸師が出演している芝居小屋に入る。曲芸師の相方をしていたクララ(アルレッティ)は、嘘つきで女たらしのヴァランタンに愛想を尽かし、フランソワを誘惑する。

クララと男女関係になったフランソワは、彼女の部屋に出入りするようになったが、本命の相手はフランソワールで、クララを本気で愛しているわけではない。
そこへヴァランタンが現れ、フランソワールは若いとき生き別れになった娘で、工員ごときと結婚したら彼女の将来が不安だと、フランソワに身をひくよう忠告。フランソワは断固としてこれを拒絶。フランソワールと会い、曲芸師の言ったことが作り話だったことを知る。
若い娘を虚言で騙し手篭めにするヴァランタンが許せない。フランソワはアパートの自室で彼を撃ち、ヴァランタンは階段を転げ落ちて死ぬ。

警官隊に包囲され、最上階の自室に立て籠もったフランソワの回想形式でストーリーは語られる。その語り口はカルネらしく繊細で丁寧なのだが、警察の捜査に最初から応じようとせず、最後に自殺を選択するフランソワの心情がよく分からない。工員と曲芸師の間をどっちつかずのフランソワールも(終盤のベッドでうなされる場面を含め)説明が不足しているように思う。ムードで流してしまった感が強い。

ジャック・プレヴェール流儀の洒落たセリフ、人情味あるアパート周辺の住民たち、よく作り込んであるオープンセット。一級品の品格を備えながら、綻びが生じている。失敗作とは言わない、残念作といったところか。

「霧の波止場」のミシェル・シモンも良かったが、本作のジュール・ベリーの腹芸も実に上手い。彼の言葉は嘘ばかりだとアルレッティが教えてくれていたのに、すっかり騙されちまった。腹黒い奴ほど優美に振る舞い風格を顕示したがるもの。カルネ映画の悪役は曲者ぞろいでみんな面白い。

フランソワが住んでいる6階建てアパートに存在感があって良かった。とくに前半よく出てくる俯瞰撮影の螺旋階段がよいアクセントになっている。警官隊がやってきて、両手いっぱいに荷物を抱え込んで避難するお婆ちゃんがスプーンを落とす。その後の場面で手摺りにスプーンが乗っているのを「なんでこんなところに?」と不思議に思う住人。こんなのがあるからカルネ映画はやめられない。避難するときにスプーンを持って部屋を出るお婆ちゃんに、リアルなユーモアがあっていい。
この階段、最上階から下まで、パンでなく移動で撮影されたカットがある。そんな美術セットも面白い。

篭城の一夜が明けて。催涙弾のガスがゆったりと漂う部屋で、床に倒れているフランソワ。セットしていた目覚し時計のベルが鳴る。ワンカットのラストシーンが強く印象に残る。

60

2020/06/13

海の牙

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LES MAUDITS
1946年(日本公開:1948年11月)
ルネ・クレマン アンリ・ヴィダル ポール・ベルナール ヨー・デスト ミシェル・オークレール クローネ・フォルト フォスコ・ジャケッティ フロランス・マリーン アンヌ・カンピオン

1945年春。ドイツ軍がフランスから撤退。疎開していた市民が非占領区から戻ってきたころ。オスロ基地から南米目指してドイツの潜水艦が出港した。

乗艦しているのは、
ドイツ国防省のフォン・ハウザー将軍(クローネ・フォルト)
国家秘密警察幹部のフォルスター(ヨー・デスト)
その部下で恋人のウイリー(ミシェル・オークレール)
イタリア人の実業家ガローシ(フォスコ・ジャケッティ)
その妻で将軍の愛人ヒルデ(フロランス・マリーン)
ナチ党員のフランス人記者クーテュリェ(ポール・ベルナール)
ノルウェーの学者エリックセン(ルシアン・ヘクター)
その娘イングリット(アンヌ・カンピオン)
艦長(ジャン・ディディエ)とその部下たち

彼らの目的は、崩落の一途をたどるナチスドイツを、南米のどこかで再興させること。彼らはその先発隊、準備工作要員だった。
潜水艦は出港してすぐに連合国軍駆逐艦の攻撃を受ける。ヒルデは昏倒し意識不明。軍医が乗っていなかったので、潜水艦をロワイヤン沖に停泊させ、街の医師ギベール(アンリ・ヴィダル)を拉致して乗艦させる。ヒルデの治療が終わると口封じに殺される危険を察知したギベールは、乗務員の伝染病など虚偽の診断をして延命をはかり、脱出の機をうかがう。

ラジオからベルリン陥落、ヒトラー死亡が報じられると艦内に不穏な空気が漂い始める。妻に愛情がないと知った実業家ガローシは甲板から投身自殺。
燃料が残り少なくなったところで将軍とゲシュタポが反目、艦長は色恋沙汰で判断が鈍った将軍を見限り、主導権はフォルスターに移る。
艦は燃料等の補給物資を求めて協力工作員がいる街の海岸に停泊。補給要請の使者としてウイリーたちが上陸。
現地工作員のラルガ(マルセル・ダリオ)と接触するが、ヒトラー死亡でナチス再興の夢が絶たれたいま、ラルガはのらりくらりと協力を拒み、ウイリーに殺される。

燃料不足のまま潜水艦は出港。隠してあったボートで脱走を試みたフランス人記者は、フォルスターに見つかって射殺される。運良く付近にいた輸送船から給油を受けるが、その際に乗組員たちは終戦の事実を知らされる。

終戦で軍の命令が無効となり、潜水艦の乗組員たちは我先にと輸送船へと乗り移る。その中にはハウザー将軍もいた。将軍を慕ってあとを追ったヒルデは、縄梯子を滑り落ち、潜水艦と輸送船の船体に挟まれて死ぬ。
ナチ狂信者のフォルスターと艦長は潜水艦に残り、離れていく輸送船を魚雷で撃沈。沈没する船から逃れボートに避難する自軍の兵隊たちを、機関銃で皆殺しにする。潜水艦に残っていたウイリーは愛憎の楔を外してフォルスターを殺し、イングリットたちと救命ボートで脱出。

燃料のない潜水艦に独り残されたギベールは、南大西洋を漂流、十二日後に英国の船に発見され救出される。ギベールは漂流中に事の顛末をノートに記録していた。
その表紙につけられたタイトルは「呪われた者たち(原題:LES MAUDITS)」。

冷徹なリアリズム、強烈なサスペンス。
拉致された医師と学者の娘にロマンスがあるかと予想したが、キッパリ裏切られた。甘い感傷は一切ない。ハードボイルドな映画だった。

戦闘場面などに記録映像を流用しているが、潜水艦はホンモノを使って撮影している。
拉致された医師がハッチから降りて怪我人がいる船室に向かうまでを、ドリーで追随してワンカット撮影。これは後年ウォルフガング・ペーターゼンが監督した「U・ボート」の先駆けだろう。
ゲシュタポが仲間を機関銃で皆殺しにするクライマックスは、オリヴァー・ストーンの「プラトーン」。艦内での愛憎、主導権争い、反目、抜け駆け、疑心暗鬼、裏切りなど、人間関係がもたらす緊迫感はクエンティン・タランティーノの世界だ。だから、いま観てもスリリングで面白い。
「太陽がいっぱい」(1960年)の成功によってスリラー映画に傾倒したのだと(勝手に)思い込んでいたが、とんでもない、ルネ・クレマンはデビュー間もないときからサスペンスの達人だった。

アラ探しってわけじゃないけど、気になるのでメモしておく。
タイトルバックは事件の一部始終を誰かが執筆している映像で、それは医師ギベールの回想であったことがラストで分かるのだが……それだったら拉致される以前、オスロを出港するところから描かれているのはおかしい。誰か別の生存者による手記かと、見ていて混乱してしまった。
南米の現地工作員を殺害するくだりも、彼は艦に残っていて事件を目撃していない。ヒロイックな活躍をするでもなし、こうなると、回想形式にした意味がない。
ギベールが非占領区から戦災でボロボロになった我が家に帰ってくるファーストシーンは、必要なかったと思う。

もうひとつ気がかりなのは、艦で飼われていた、あの可愛い子猫の行方。

70

2020/06/14

眼下の敵

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THE ENEMY BELOW
1957年(日本公開:1958年01月)
ディック・パウエル ロバート・ミッチャム クルト・ユルゲンス アル・ヘディソン セオドア・バイケル ラッセル・コリンズ ビフ・エリオット クルト・クリューガー

イギリス海軍中佐D・A・レイナーが自分の体験にもとづいて書いた小説の映画化。
第二次大戦中の南大西洋。米軍駆逐艦と独軍潜水艦の息詰まる戦いを、ただそれだけを描いて大成功。
歌手から俳優に転職したもののパッとせず、映画監督になっても「或る夜の出来事」のリメイクとか、パッとしない映画しか撮っていないディック・パウエルの、一世一代、ホームラン級傑作戦争映画。

甘いマスクのロバート・ミッチャム(商船の船長をしていた民間出身)と強面(こわもて)のクルト・ユルゲンス(第一次世界大戦からのベテラン軍人)。対照的なキャラクター設定で、どちらにも華を持たせ、対等に描いている。
ユルゲンスをナチス・ヒトラー嫌いにしたのが功を奏した。アメリカ対ナチスドイツのナショナリズム対決の様相は薄れ、駆逐艦対潜水艦の、指揮官対指揮官、男対男。戦闘をスポーツマン精神に則ったゲーム感覚でフェアに描いたのが、いまでも色褪せない要因だと思う。

着任してからずっと艦長室に閉じこもってばかりのマレル艦長(ロバート・ミッチャム)に不満の声をもらす水兵たちのやりとりがあって、序盤こそのんびりムードだが、レーダーが敵潜水艦の影を捉えてからは、丁々発止の心理戦・攻防戦が、最後まで続く。
海底に潜んで防戦に耐えていた潜水艦が、レコードの歌声とともに捨て身の反撃に出るあたりからは一気呵成、両艦の艦長が言葉を交わすラストまで、ダレることなく見入ってしまう。

アメリカ国防省と海軍の全面協力を得て、駆逐艦も潜水艦もホンモノ。一部記録映像も使われているが、シネマスコープいっぱいに炸裂する爆雷の水柱は壮観だ。

この映画、出演者は男ばかり。女性はひとりも出てこない(エキストラでさえも出ない)。女々しい男も出てこない。みんな男。それがいい。余計な添加物は一切入っていない。

戦争映画はかっこいい。戦争映画は面白い。

「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」が出る前は、戦争映画は娯楽だった。男の子は日曜洋画劇場やゴールデン洋画劇場で戦争映画が放送されるのを楽しみに待っていた。
いまの子どもたちは、「戦争映画は面白い!」なんて言ったら、親や先生から怒られるのか? 可哀想だな。
「戦争は悲惨です」なんてことは、バカにだって言える。
そんな悲惨な状況の中で、友情や信頼や責任や勇気を持てる強さ、プライドやリスペクトといった男の子に必要な精神の在り方を教えてくれていたのが戦争映画だったのに。
いまからでも遅くない。かっこいい男になりたいなら(悲惨でない)戦争映画を観なさい。

この翌年(1958年に)ディック・パウエルは同じロバート・ミッチャム主演で「追撃機」を監督。「眼下の敵」の空軍版を狙っていたのかいなかったのか、戦争なのかロマンスなのか、どっちつかずのパッとしない遺作となった。

70

2020/06/14

深く静かに潜航せよ

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RUN SILENT, RUN DEEP
1958年(日本公開:1958年05月)
ロバート・ワイズ クラーク・ゲイブル バート・ランカスター ジャック・ウォーデン ブラッド・デクスター ニック・クラヴァット メアリー・ラロシュ ドン・リックルズ

第二次大戦中の豊後水道。日本軍の駆逐艦に自艦を撃沈されたリチャードソン海軍中佐(クラーク・ゲーブル)が、新たな潜水艦ナーカ号の艦長として就任。しつこいくらいに戦闘訓練を強いて乗務員たちに不満が募るものの、副艦長ブレッドソー大尉(バート・ランカスター)が間を取りなして叛乱に至らず。遺恨残る敵艦目指して豊後水道へ向かい、激しい戦闘を経て勝利する。

米海軍中佐エドワード・L・ビーチの体験にもとづく原作の映画化ということだが、この映画で描かれたような海戦は戦史になく、完全な創作。悪役の「秋風」は実在した帝国海軍の駆逐艦で、たしかに潜水艦に撃沈されているのだが、場所は南シナ海だった。そもそも米海軍の潜水艦が豊後水道に潜入して戦闘したことなど、あったのだろうか?

軍法会議は覚悟の上、軍の司令を逸脱して、復讐心で第7エリア(豊後水道)へと進路を取る艦長とか、まるで「白鯨」のエイハブ船長で、漫画みたいに嘘くさい話だ。乗務員たちが副艦長を立てて謀反を企むあたりは「バウンティ号の叛乱」からの借用じゃないの?
クラーク・ゲーブルの艦長がどうにも煮えない役どころで、乗組員たちの不信感やバート・ランカスターの副艦長に同調して良いものかハッキリしない。結果、敵の駆逐艦や潜水艦をやっつけてしまったから、彼の行動は正しかったって事に落ち着くんだけど。どうもスッキリしない。
そもそもなんで艦長は正面から艦首を狙う攻撃にこだわるんだ? 当たりにくいし、逸らされやすいし、外したら即時反撃されるのに。

まず冒頭の負け戦で、自艦を大破されたリチャードソンが、捕虜にもならず、豊後水道からパールハーバーまで、どうやって逃れられたのか分からない。そのことがずーっと気になってた。何か裏設定が(脚本に)仕掛けてあるんじゃないかって。

映画は米国海軍の協力を得て製作されているので、潜水艦内部のセットは本物の潜水艦を使ったと思われる。ローキーでモノクローム撮影された艦の機械や設備はメタリックな実在感があってよかった。戦争映画はこういった細部のリアリティも大事です。
船が爆破炎上沈没するところなど海上の戦闘はミニチュア撮影。敵の駆逐艦が日本海軍の船に見えないデザインだったり、その乗組員が中国人のような日本語発音だったりするのはご愛嬌。
監督がロバート・ワイズということで期待したが、ストーリーがご都合主義に過ぎるし、米海軍ばかりヒロイックに描かれているのが癪に障る。戦時中に製作された国威発揚プロパガンダ映画みたいに、日本軍を卑怯野蛮に描いていないだけマシか。

出撃時にピンナップ・ガールのお尻を触るオマジナイが、いかにも米国海軍らしくておもしろかった。

60

2020/06/20

レッド・オクトーバーを追え!

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THE HUNT FOR RED OCTOBER
1990年(日本公開:1990年07月)
ジョン・マクティアナン ショーン・コネリー アレック・ボールドウィン スコット・グレン サム・ニール ジェームズ・アール・ジョーンズ ピーター・ファース ティム・カリー

ソビエトが開発した大型原子力潜水艦レッド・オクトーバー。キャタピラーシステムなる無音推進装置を備えたこの最新鋭潜水艦ごと亡命を謀る艦長と配下の士官たち。それに対応する米国国防省の駆け引きとCIA情報分析官の活躍を描いたトム・クランシーのベストセラー小説を、ジョン・マクティアナン&ヤン・デ・ボンの「ダイ・ハード」コンビで映画化した軍事スリラーの快作。

ロシア国歌をフィーチャーしたベイジル・ポールドゥリスの音楽が効果的で、レッド・オクトーバー号がムルマンスク沿岸の基地を出港するオープニングから、並々ならぬ緊張感が漂う。

潜水艦映画は密室劇なので、成功の鍵は役者の存在感によるところが大きい。
「レッド・オクトーバーを追え!」は、ほぼ完璧なキャスティング。
ショーン・コネリー(レッド・オクトーバー艦長)
サム・ニール(レッド・オクトーバー副長)
ティム・カリー(レッド・オクトーバー軍医)
アレック・ボールドウィン(CIA情報分析官)
ジェームズ・アール・ジョーンズ(海軍提督)
スコット・グレン(米国潜水艦ダラス艦長)
コートニー・B・ヴァンス(米国潜水艦ダラスソナー員)

レッド・オクトーバーを執拗に追うソビエト原潜コノヴァロフが、自艦が発射した魚雷で自滅してしまう場面にユーモアが加味されていて、艦長(ステイラン・スカルスガード)が気の毒だ。連絡伝達の遅れで焦っている心理をもっと押して、悲劇に描いていれば間抜けな印象にはならなかったと思う。対戦相手へのリスペクトを怠ったぶん、作品が軽くなった。
ダラス艦長役のスコット・グレンが悪いわけではないが、ここにショーン・コネリーと堂々と渡り合えるような、ジーン・ハックマンかジャック・ニコルソン、デ・ニーロあたりをキャスティングしていたら、もっと重量級の緊迫感が出ていたと思う。とにかくショーン・コネリーの存在感がデカすぎて、結末はなるようになるんだろうという安心感が生じている。

大統領補佐官(リチャード・ジョーダン)と駐米ソビエト大使(ジョス・アックランド)の腹芸には笑わせてもらった。

CIA情報分析官ジャック・ライアンを主人公としたトム・クランシーの小説は、このあとシリーズ化され、そのうち「愛国者のゲーム」「いま、そこにある危機」「恐怖の総和」が映画化されているが、ライアン役はハリソン・フォード(「パトリオット・ゲーム」「今そこにある危機」)、ベン・アフレック(「トータル・フィアー」)と作品ごとに変わっている。終始しかめっ面したハリソン・フォードはぜんぜん原作のイメージと違っていて論外。本作のアレック・ボールドウィンがベストだと思う。
それにしても、このあと(小説は)シリーズが続くにつれ、ライアンは大統領にまで出世するし、日本やイラン、中国、ロシア、北朝鮮を相手に戦争しまくるとは想像もしていなかった。

特殊撮影はジョージ・ルーカスのILMが担当。ついにCGで水も扱えるようになったのかと、公開当時は感心した。キャメロンの「アビス」のようなSFファンタジーだけでなく、現実的な場面でも普通にCGが使われだしたのはこの頃からだった。

70

2020/06/20

クリムゾン・タイド

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CRIMSON TIDE
1995年(日本公開:1995年10月)
トニー・スコット デンゼル・ワシントン ジーン・ハックマン ジョージ・ズンザ ヴィゴ・モーテンセン ジェームズ・ガンドルフィーニ マット・クレイヴン リロ・ブランカトー・Jr ライアン・フィリップ ジェイソン・ロバーズ

ブロックバスター級のヒットを連発しているドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーによる潜水艦スリラーの快作。
ロシアで軍事クーデターが勃発。シベリアのミサイル基地が反乱軍に占拠され、アメリカと日本が核攻撃の危機にさらされる。米海軍は攻撃型原子力潜水艦アラバマに出撃命令を出す。歴戦叩き上げの艦長(ジーン・ハックマン)とハーバード大卒のエリート副官(デンゼル・ワシントン)が先制攻撃の発動を巡って対立、潜水艦の指揮権が二転三転した結果、核戦争の危機は回避される。

あくまでも命令に固執する艦長と、慎重に事を運ぼうとする副官の、緊迫したやりとりが見どころだが、ジーン・ハックマンとデンゼル・ワシントンのキャスティングで勝負が決まった感じが強い。
オバマ大統領就任の際にも感じたが、黒人=リベラル=平和主義に反論を唱える者は、悪人にされてしまう風潮が世間に蔓延っていて、娯楽映画もそうした認識を前提に製作されているのだろう。商業主義・消費者優先で世論を誘導するテレビや新聞などに影響されて事の善悪を判断するのは如何なものかと、不安ではあるけど。
ハリウッド映画はむかしからそうだった。
ウィリアム・ワイラーの「大いなる西部」だって、東部(都会)からやってきたリベラル派が、西部(田舎)の保守派を、考え方が古臭い、あんたたちは駄目だ、とやり込める話だった。
映画は(特別出演の)ジェイソン・ロバーズがラストを締めて、老兵は去り、新しい指導者が誕生するハッピーエンドになっている。朝鮮戦争やベトナム戦争をやってた時代に製作されていたなら、「博士の異常な愛情」や「未知への飛行」みたいなペシミスティックな結末だったかも知れないが、そんな映画はいまの大衆には好まれない。

映画はすこぶる面白く作られている。
マルチカメラで撮影したフィルムを細かくカットし、音楽や効果音にあわせてリズミカルに編集。80年代以降に現れたCM出身監督らしい仕上がり。
もっともトニー・スコットに限らず、「フラッシュダンス」や「ビバリーヒルズ・コップ」なども同じような作り方をしていたし、このようなスタイルはドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーの方針なのだろう。
トニー・スコットやマイケル・ベイのアクション映画は、前世代のウィリアム・フリードキンやジョン・フランケンハイマーの映画と比べて、ずいぶん軽くなった。もの足りなさもあるが、それが時代の風潮であることも認めたい。現実に彼らの映画は世界中で大ヒットを記録している。

脚本には、「パルプ・フィクション」で時の人だったクエンティン・タランティーノも参加(途中降板してノン・クレジット)。潜水艦映画クイズや「スター・トレック」の(くだらない)くだりが彼の仕業だったろうと推測できるが、余計な雑音でしかなかった。

70

2020/06/21

潜望鏡を上げろ

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DOWN PERISCOPE
1996年(日本公開:1996年04月)
デヴィッド・S・ウォード ケルシー・グラマー ローレン・ホリー ロブ・シュナイダー ハリー・ディーン・スタントン ブルース・ダーン ウィリアム・H・メイシー ケン・ハドソン・キャンベル リップ・トーン ジョーダン・マルダー

軍事演習を命じられた旧式ディーゼル潜水艦USSスティングレイ号に、変人ぞろいの落ちこぼれ乗組員が集合、最新型原子力潜水艦の追跡をかわし目的地の湾に潜入、囮の戦艦を撃沈、成功を収めるまでを描いた軍隊コメディ。

小学校低学年向けの底の浅いギャグと、ご都合主義的予定調和のストーリー。
潜水艦喜劇としては、ピンクに塗装され女性軍人もわんさか乗艦するブレイク・エドワーズの「ペティコート作戦」(1959年)より数段劣る。はみ出し者の寄せ集め部隊が軍事演習でエリート部隊を出し抜くカタルシスでは、ロバート・アルドリッチの「特攻大作戦」(1967年)のほうが(役者が揃っているだけに)数倍おもしろく痛快だ。

艦長役のケルシー・グラマーは、酔った勢いでちんぽに刺青をいれるバカにみえないし、かといってカリスマ性のある優秀な軍人にもみえない。ライバル艦長のウィリアム・H・メイシーは、いつもの気弱で優柔不断なウィリアム・H・メイシー。機関士のハリー・ディーン・スタントンも、「エイリアン」のときと同じ油染みと無精髭のハリー・ディーン・スタントン。
可哀想なのは敵役のブルース・ダーンで、シリアスに徹して憎まれ役を演じてよいものか、作風にあわせてコミカルに演ったらよいのか分からず終いで、その迷いが表情にもろに出てしまった。これは演出が悪い。

邦題が1957年の「潜望鏡を上げろ」(原題は「UP PERISCOPE」、本作は「DOWN PERISCOPE」)と同じで紛らわしいと思ったのか、公開時にコケた過去を隠蔽したかったのか、ビデオは「イン・ザ・ネイビー」と改題して販売されている。ヴィレッジ・ピープルのビデオクリップをエンドクレジットに使っているからだろう。20年前の懐メロ・ディスコ音楽を使用するくらい時代のセンスが欠落したポンコツ・コメディ。

ソナー係にクジラのマネを要求するジェスチャー・クイズとか、謀反を起こした副官を処罰する海賊ごっことか、幼稚なオチャラケに呆れてしまった。通信士が感電するギャグもしつこい。まるで50年前のザ・ドリフターズだ。

入場料払って観に来たお客が損した気分にならぬよう、老朽ディーゼル潜水艦には予算をかけたみたいで、錆の浮き具合がなかなかよろしい。

誰が言い始めたのか知らないが、「潜水艦映画にハズレなし!」だそうだ。

60

2020/06/22

U-571

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U-571
2000年(日本公開:2000年09月)
ジョナサン・モストウ マシュー・マコノヒー ビル・パクストン ハーヴェイ・カイテル ジョン・ボン・ジョヴィ デヴィッド・キース トーマス・クレッチマン ジェイク・ウェバー ジャック・ノーズワージー ジャック・ノーズワージー トム・グイリー デイヴ・パワー マシュー・セトル

1942年、第2次世界大戦下の北大西洋。航行不能になった独軍潜水艦から、秘密裏に暗号機(エグニマ)を略奪する任務を命じられた米軍潜水艦の奇襲作戦を描いた戦争アクション映画。
実話(実際に奇襲作戦を敢行したのは英国海軍)をベースに創作されたフィクションで、製作にあたって作戦に参加していた体験者や、当時のディーゼル潜水艦に乗務していた元軍人などからアドバイスを得たわりに、ストーリーは出鱈目が多い。
大西洋のど真ん中(米国警戒海域と英国警戒海域の中間点あたり)に、いきなりメッサーシュミットが飛んできたときは、(マジで)びっくりした。SFかいな?

敵軍からの夥しくも執拗な爆雷攻撃は間一髪でかわし、こちらからの攻撃は一撃必殺で決まる。ロジャー・ムーア時代の007なみのご都合主義。
敵の潜水艦を奪うのに、ハッチから手榴弾投げ込むとは荒っぽい。でもって、その潜水艦で逃げるんだもの。どんだけ頑丈にできてるのよ?
大詰めの独軍駆逐艦大爆発に大爆笑。艦首に弾薬庫があったのだろう。まるで「スター・ウォーズ」だね、これは。

潜水艦映画は密室劇でもあるので、成功の鍵は役者の存在感にある、と以前も書いたが、本作はこれもまるでダメダメ。乗務員の個性が希薄すぎて、だれが誰だか、だれが死んでだれが生き残っているのか、さっぱり分からん。ハーヴェイ・カイテル以外は、だれがどの役を演じていても、さほど変わらんのじゃないだろうか。
これはキャスティングのせいでも、役者の演技力のせいでもなく、ひとえに脚本が悪い。
艦長昇進を望むもまだその任にあらずと艦長の少佐(ビル・パクストン)から否定された大尉(マシュー・マコノヒー)が、作戦遂行中に艦長を失い、後任に就いて真の艦長として成長する、というのがストーリーの主軸だが、脆弱でぜんぜん軸になっていない。「あなたの指揮する艦になら、どこまでもついていきます」と曹長(ハーヴェイ・カイテル)に言わせても、見ている方はまったく納得できん。カイテルまでもが間抜けに見えてしまう。
潜水艦内部の場面も良くない。潜航しているのか浮上しているのかさえ分からん撮り方をしてる。セリフがなかったら何やってるのか分からん場面ばかり。テレビドラマかよ。

戦闘時の艦内は、キャメラをパンパン振った短いカット編集で、ますますよう分からん。カットごとに役者の立ち位置がころころ変わるのも良くない。
戦死した仲間を積載物と一緒に放出して敵を欺く戦略は「深く静かに潜航せよ」からのパクリだろうが、相手のリアクション場面がないから、それが成功したのか分からん。
独軍艦占拠のシークエンスなんか誰がどんな事やっているのか、誰が味方で誰が誰だか(みんな同じ服装だし)サッパリ分からん。
水深200メートル超でも、ぜんぜん緊迫感出てないんだもの。ここまでアクション・シーンのヘタクソな監督、めったにいないよ。

ディーゼル潜水艦は、航行可能な実物大のレプリカと、特撮用のミニチュア、部分的なセットに、マットペイント、CGなどを組み合わせて、超豪華に作られている。
製作費120億円! ディーノ・デ・ラウレンティス大盤振る舞いの超大作。
(作品自体に超大作の風格はない、大金注ぎ込んだB級お手軽娯楽という感じ)

気前よく投下される爆雷の水柱、水中で爆雷が爆発する場面、Uボートに魚雷が命中し、艦体が破裂した瞬間に水圧で内側に潰れるヴィジュアルが素晴らしい。これだけは本作の見ものだ。

誰が言い始めたのか知らないが、「潜水艦映画にハズレなし!」だそうだ。

エンドクレジットで、「エグニマ略奪作戦を行ったのは英国海軍でした」と言い訳しているのが可愛らしい。

60

2020/06/22

K-19

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K-19: THE WIDOWMAKER
2002年(日本公開:2002年12月)
キャスリン・ビグロー ハリソン・フォード リーアム・ニーソン ピーター・サースガード クリスチャン・カマルゴ ピーター・ステッビングス ジョス・アックランド ドナルド・サンプター マイケル・グラディス ジョージ・アントン スティーヴ・ニコルソン ジョン・シュラプネル

1961年、米ソ冷戦時代。北海グリーンランド付近で発生したソビエト原子力潜水艦の放射能汚染事故を、(多少の創作を交えて)キャスリン・ビグロー監督が映画化。
軍事を描いているが戦争映画ではなく、閉塞状況下でのパニック・サスペンス。
原題には「The Widowmaker(未亡人製造艦)」の副題が付いている。

ロシアの協力を得て、モスクワなどで現地ロケを敢行。破棄処分になっていた当時のソ連製原潜を買って改造し、洋上に浮かぶ実物大のK-19を建造。艦内のセットは当時の設計図を元に制作。水中シーンはILM謹製CGと模型を使用。たいへんな製作費をかけた超大作で、監督以下スタッフは取材から完成までに5年を費やしたそうだ。
真摯な態度でガッチリ製作されているが、それでもやっぱりな、ハリウッド娯楽映画。
艦長の指揮能力を疑って乗務員の対立・叛乱があるのは潜水艦映画のお定まり。ハリソン・フォード(艦長)とリーアム・ニーソン(副長)の、陰気なしかめっ面に2時間我慢できれば、映像は目まぐるしく緊迫感を煽り、それなりに楽しめる。

言語が異なる国の人物が英語を喋る。ハリウッド映画の伝統のようなものだから、これはいい。しかし、潜水艦の名称「K-19」はNATOが付けたコードネームであって、ソ連海軍が自艦をそう呼んでいるのには強い違和感があった。
甲板に並んだ乗務員が、米軍ヘリに向かって尻を見せて挑発するのも、いかにも米国人らしい安直発想で、眉をしかめたくなった。
この映画、セリフでは「同志」だとか言っているが、潜水艦の乗務員たちの素振りや思考が、ちっともロシア人っぽく見えないのが最大の欠点。
(クレムリンのお偉方はロシア人に見える)

潜水艦がムルマンスク(セヴェロモルスク)を出港したのは1961年6月18日で、事故発生は7月4日。なので、北半球は夏、モスクワに雪が積もっているわけがない。映画では冬の出来事として設定変更したのかと思って見ていると、北極海急浮上の際には「氷が薄くなる季節だ」とのセリフもあり、なんだかわからんようになる。事故の日を記念日としたラストの墓参り(テレビではベルリンの壁崩壊のニュースが流れているから、1989年11月だろう)でも、雪が積もった墓にウォッカをかけている。ロシアは一年中雪が降っていると映画のスタッフは思っていたのか? 雪がないとロシアっぽくないとか。

こんなことでは事故再現ドラマの信憑性にも、(取材を綿密に行い、史実とリアリティにこだわったとスタッフがどれだけ自己弁護していても)首をかしげざるを得なくなる。

テスト・ミサイルが発射されたあと、氷上で無邪気にサッカーを楽しむ若い乗務員たちの場面がいい。原子炉制御員はこのあとの事故で、志願して放射能の犠牲となる。映画の主題としては、ハリソン・フォードやリーアム・ニーソンよりも、彼ら若い乗務員たちのほうが主役にふさわしい。
特に良かったのは、訓練学校を出たばかりで実務経験皆無の原子炉担当士官ヴァディム中尉(ピーター・サースガード)。被爆した仲間の姿に怯え、いったんは逃げたものの、万事休すの事態に勇気をふるい、原子炉冷却管の修理に入る。
卑怯者・臆病者として生きながらえるよりも、いま自分が為すべきこと、男としての義務を果たすことを、死を覚悟の上で選んだ。この行為があったからこそ、映画は男の子必見のものとなった。

軍拡競争に躍起になったばかりに整備もままならぬ原子力潜水艦を出港させた上層部の責任は追求せず、艦長の判断を擁護し、乗務員の勇気を讃え、追悼して映画は終わる。
ラストの墓参りは(製作総指揮を兼ねたハリソン・フォードの自己満足)蛇足だ。

映画を観て思ったのは、なぜこの題材がロシアではなくハリウッドで企画されたのか、だった。
かつて、モンタージュ理論で世界の映画に影響を与え、「すべての芸術の中で、もっとも重要なものは映画である」とレーニンが謳い、映画産業を国家事業としていた旧ソビエトの映画界は、いま何処にあるのか。こんなに美味しいネタ(題材)を、商業主義で娯楽に媚びたハリウッド映画に取られて、ロシアの映画人は悔しくはないのか。

65

2020/06/25

グラン・プリ

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GRAND PRIX
1966年(日本公開:1967年02月)
ジョン・フランケンハイマー ジェームズ・ガーナー イヴ・モンタン エヴァ・マリー・セイント ブライアン・ベッドフォード アントニオ・サバト 三船敏郎 ジェシカ・ウォルター フランソワーズ・アルディ アドルフォ・チェリ レイチェル・ケンプソン

1966年のF1グランプリに密着して製作された、上映3時間の大型カーレース映画。
ヨアキム・ボニエ、リッチー・ギンザー、ボブ・ボンデュラントなどのF1ドライバーがアドバイザーとして協力。フィル・ヒル、ヨッヘン・リント、ブルース・マクラーレン、グラハム・ヒル、ダン・ガーニーなど(当時)現役ドライバーが実名で出演。
総勢260名の撮影隊が、20台以上の70mmパナビジョン・カメラで現地密着撮影。公開時はシネラマの湾曲巨大スクリーンで上映された。

いやぁ、すごいすごい。

実際に催された本物のカーレース会場にフィクションのドラマを絡ませ、迫真のスペクタクル(見世物映画)になっている。フランケンハイマー監督は「ブラック・サンデー」でもスーパーボウルのスタジアムで同じようなことをやっていたけど、この映画ではF1シリーズ6会場(モナコ、フランス、ベルギー、オランダ、イギリス、イタリア)でやってのけている。撮り直しがきかない一発勝負の撮影で、すごく綿密に段取りしておかないととんでもないことになるのだが、もう完璧に近い出来栄え。
さすがフランケンハイマー。すごいすごい、としか言いようがない。

各地の大会ごとに撮影のテーマが決まっていて、初戦モナコでは空撮を多用してコースを紹介したり、豪雨のベルギー戦ではドライバー視線で視界の悪さを、最終イタリア戦ではバンク(カーブの傾斜)のスリルを見せたりと、いろいろ工夫されている。
映画の主役は、ジェームズ・ガーナー(アメリカ)、イブ・モンタン(フランス)、ブライアン・ベッドフォード(イギリス)、アントニオ・サバト(イタリア)の4人。これにエヴァ・マリー・セイント、ジェシカ・ウォルター、フランソワーズ・アルディら女優陣が色恋沙汰で絡む。
フェラーリ社長役のアドルフォ・チェリは本物そっくりの貫禄。モンタンが事故死したとの連絡を受けて、躊躇なく棄権の旗を振る行動が男らしくていい。
三船敏郎扮する矢村社長は本田宗一郎がモデル。映画が製作されたあとのホンダ・チームの躍進をみると、この映画のストーリーは先見性があったといえる。

日本語で喋っている三船の声は本人だが、英語のセリフは吹き替え。主役級4人のレース・シーンは吹き替えなし、実際に本人が運転している。
車載カメラからのアップなんかは、そんなにスピードを出してなくても背後の景色が流れるので誤魔化しがきくが、シリーズ最終戦モンツァの傾斜角がきついバンクなんか相応のスピードが出ていなきゃ走れない。そんな危険な場面もバッチリ本人が運転している。ドライバー役の4人は、撮影前にプロのレーシングドライバーが通うスクールで教習を受けたのだという。

グラン・プリ

80年代になると小型の車載カメラを使ってF1レースをテレビ放送していたが、バカでかいパナビジョン機材を積んでの撮影は大変だったろう。序盤のモナコ戦では低空飛行のヘリ撮影が、モンテカルロ市街地のコースを見事に捉えている。いまだったらドローンで簡単に撮れそうだけど。

ドライバーの心情に関するセリフやモノローグは、取材で拾ってきたものだろう。F1レーサーの本音が語られ、本物のレーサーも多数顔を見せている。
「このコースでは2600回ギアチェンジする、3秒に1回ギアチェンジが必要だ」

ギアチェンジでエンジン音が変わる、ドライバーの動きと車のスピードが完全にシンクロしている。そんなリアルなレース場面を、モーリス・ジャールの音楽がさらに盛り上げる。ちなみにこの映画のサントラ盤には、グウォーン、ブィーン、ブィーン、ブィーン、ブロォーオーと、エグゾーストノイズがステレオ収録されていて、とてもやかましい。

そんなすごい映画ではありますが……正直、くっついたり別れたりのロマンス劇はいらなかった。女優ぜんぶいらない。フランケンハイマーが、らしくないことをやったばかりに失敗している。女絡みのオフタイム場面を全部カットして、レースとそれに関わる男たちをメインに編集、2時間に収めていたらグッと評価があがったと思う。

画面分割も効果なかったね。
デ・パルマの「悪魔のシスター」みたいに、いろんな視点から同時進行している時間を見せるのならスリリングでいいけど、3分割、6分割、9分割したスクリーンに同じ映像を見せてどんな意味があるの(ソール・バスのアイディアなのか?)

65

2020/06/26

栄光のル・マン

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LE MANS
1971年(日本公開:1971年07月)
リー・H・カッツィン スティーヴ・マックィーン ヘルガ・アンデルセン ジークフリート・ラウヒ ロナルド・リー=ハント リュック・メランダ フレッド・アルティナー

パリの南西部にある田園都市ル・マンで開催される24時間耐久レースを、前日の早朝から翌日夕方のレース終了まで、まるごと描いたカーレース映画。
1970年に開催されたル・マンのドキュメント映像と、映画のストーリー用に撮影されたフィルムを巧妙に編集し、あたかも本物のレースのような臨場感を創出。寡黙なレーサー(スティーヴ・マックィーン)の人物像もしっかり描かれ、ミシェル・ルグランの音楽も素晴らしく、実際に現地でル・マンを観戦した気分を味わえる。
観終わったあとの爽快感は筆舌に尽くし難い。カーレース映画の白眉。

F1グランプリを題材にしたジョン・フランケンハイマーの「グラン・プリ」が先行したため、一度は企画を断念したスティーヴ・マックイーンが、舞台をル・マンに変更し、マックィーン自身が設立したソーラー・プロダクションで製作。自らハンドルを握りアクセルを踏んだ。命とお金を注ぎ込んだ野心作。
ストーリー性が希薄という理由からジョン・スタージェス監督が降板したあと、TV出身の新人リー・H・カッツィンを監督に立て、妥協なしで、ほとんど自分の思うがままに製作をすすめた。
息を呑む迫力のレース場面はもとより、メカニック、観客、ル・マンの田園風景、雨に煙るサーキット、隣接して設けられた遊園地、事故に対応する救護スタッフ、優勝を賭けて競い合うポルシェとフェラーリ、チェッカー・フラッグが振られたあとの大歓声、などなど。レースと関わりのないドラマを極限まで刈り込んで大成功、カーレース・ファンは随喜の涙をながした。

大会当日の早朝、前日から泊まり込みで来ていた老若男女がテントやキャンピングカーから姿をあらわし、普段は乗降客が少なそうな田舎の駅に列車が到着するとホームが人で埋まる、田園地帯の2車線道路は長蛇の渋滞。祝祭の雰囲気が街がいっぱいに溢れてくる。
この風景スケッチの気持ちの良いこと。
警備や交通整理の警官隊が出動。レースのスタート時刻が近づくにつれ、少しづつ確実に、緊張感が高まる。

レース終了後「また2番だったぜ」と、2本指を立てるマックィーンが格好いい。

マックィーンは、負けてなお闘志を燃やし続ける不屈の男を演じて様になる。「大脱走」もそうだったし、「シンシナティ・キッド」でも最後の勝負に負けていた。
当時なにかと比較されていたポール・ニューマンは、逆に、「ハスラー」や「レーサー」で、最後に勝利するものの、勝負の虚しさを胸中に抱いて去ってゆく役柄を演じることが多かった。

ちなみに、この映画をむかし佐賀グランドで観たとき(シネラマではない、通常のワイドスクリーンでの再映)、隣席で観ていた当時小学生だった弟が、とつぜん鼻血を出し慌てて洗面所に駆け込んだ。映画がもたらした興奮かチョコレートの食い過ぎか、いまもって原因不明。映画が大好きで、市内の映画館まで片道7キロ自転車を漕いで、一緒によく映画を観に行っていた。「栄光のル・マン」を観るたびに、20歳で交通事故で死んだこの弟のことを思い出す。

70

2020/06/27

ラッシュ/プライドと友情

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RUSH
2013年(日本公開:2014年02月)
ロン・ハワード クリス・ヘムズワース ダニエル・ブリュール オリヴィア・ワイルド アレクサンドラ・マリア・ララ ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ クリスチャン・マッケイ デヴィッド・コールダー ナタリー・ドーマースティーヴン・マンガン

シーズン中のドライバー死亡率20パーセント、フォーミュラ・ワンが「走る棺桶」と呼ばれていた1970年代に活躍したF1レーサー、ニキ・ラウダとジェームス・ハントのプライドと友情を描いた実話ベースの映画化。脚本は「フロスト/ニクソン」のピーター・モーガンのオリジナル。監督は職人肌のロン・ハワード。

ガチガチの理論派ラウダと女好きでやんちゃなハント、禁欲的で地味なラウダと享楽主義のハント。対照的なキャラを活かして、ストーリーはF3会場でふたりが出会った駆け出し時代から、ハントが逆転優勝を果たした1976年のF1シリーズ最終戦(豪雨の富士スピードウェイ!)までを描いている。

ポスターに並んだふたりの写真、ジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)とニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)を見て、無意識にニヤリと笑ってしまった。メイクも多少あるだろうが、表情がまったくもって本人そっくりなので、驚くより先にニヤリしてしまった次第。

ヘムズワースはオーストラリア、ブリュールはドイツ出身。ふたりとも本作を観るまで知らない顔の俳優だったのだが、なかなかの好演。
ヘムズワースはマーベル・コミック原作の映画シリーズで活躍していて、ロン・ハワード「白鯨との闘い」にも出演しているそうだが、どちらも未見。他の役を演じていても、分からないだろうなあ。
ふたりはニキ・ラウダとジェームス・ハントで記憶に固定されてしまった。本当に本物そっくり。

クライマックスの富士スピードウェイのあと、エピローグにしてはちょい長めのラストシーン(自家用ジェット機の飛行場)が置かれていることで分かるように、この映画は、ふたりのF1レーサー(人物)を描いたもので、「グラン・プリ」や「栄光のル・マン」のようなレース(自動車競争)を見せる映画ではない。

レース場面は、ありえないアングルからの映像も(見せたくないのかと疑いたくなるくらい短いカットで)CGを多用して再現。映画というよりテレビゲーム感覚。ハンス・ジマーの煽り音楽も、スタートのフラッグが振られる前からガンガン鳴り響き(まったく記憶に残らないが)絶好調。
レース(自動車競争)を見せる映画ではないので、それはそれで結構。最近はCGだからどうこう思うところはなく、アニメ感覚で見られるようになりました。かつてのカーレース映画のように命懸けで撮影しているわけじゃないので、観ているほうも気楽でのんびりしていられます。

65

映画採点基準

80点 オールタイムベストテン候補(2本)
75点 年間ベストワン候補(18本)
70点 年間ベストテン候補(83本)
65点 上出来・個人的嗜好(78本)
60点 水準作(77本)
55点以下 このサイトでは扱いません

個人の備忘録としての感想メモ&採点
オススメ度ではありません