soe006 追悼 グレゴリー・ペック

この日記のようなものは、すべてフィクションです。
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追悼 グレゴリー・ペック

June 14, 2003

グレゴリー・ペックが亡くなった。87歳。高齢による老衰死。
愛妻に手をとられ静かに眠りについたと報道されている。
彼らしい最期だと思う。

ガキの頃、クラスメイトに川崎淳三くん(仮名)という男の子がいた。
彼の家は神社の門前で履物店を営んでいたので、品性下劣で口の悪いバカ(俺のことだ)は、彼のことをゲタやんと呼んでいた。
ゲタやんは、その呼び名とは逆に容姿端麗、成績優秀、スポーツもそつなくこなす爽やかな奴で、オマケにすこぶる真面目な少年だった。
そんなゲタやんが、中学に入った頃から俺のボロ家にときおり遊びに来るようになった。目当ては毎月買っていた「ロードショー」や「スクリーン」だ。
真面目な彼の家では、映画雑誌は御法度だったらしい。
当時は、集英社から発刊されたばかりの「ロードショー」はともかく、「スクリーン」には必ず「洋ピン」のモノクロ・グラビアが掲載されていた。俺ん家に遊びに来るガキどもの85パーセントは、たいていそれが目当てでやって来る。うかうかしていると、いつの間にかグラビアページだけが破り取られたりしていた。
しかし、ゲタやんがそれらのページを見ていたような記憶はない。俺が席を外したときにコッソリ覗いていたのかも知れないが、確証はない。ゲタやんが女性の裸を見てニヤニヤしているところなど、想像できない。彼はそんな少年だった。
ある日、映画雑誌を捲っていたゲタやんが、ポツリと呟いた。
「これ、見たいなぁ」
すかさず俺は横から覗き込んだ。
日曜洋画劇場で放送される『大いなる西部』のスチールが掲載されていた。
「グレゴリー・ペックが好きなんだ」と彼は言った。
俺はちょっとしたショックを受けた。
当時、俺らガキどものアイドルは、スティーヴ・マックィーンかクリント・イーストウッド、またはジュリアーノ・ジェンマだった。体制から少し外れたところで生きている男をカッコイイとする風潮が、当たり前のようになっていた。男性化粧品のTVCMに出演していたチャールズ・ブロンソンも人気があったが、正統派の二枚目、グレゴリー・ペックをカッコイイと感じる奴なんて、俺の周囲にはいないと思っていた。
「洋画はイヤラシイ場面があるから見ちゃダメなんだ」……訊けば、ゲタやんの家は原則的に夜9時以降のテレビ、特に洋画劇場は禁止されていて、唯一見せてもらえたのが『子鹿物語』だったらしい。
そのときから、彼はグレゴリー・ペックのファンになったという。

「この映画、エッチな場面ある?」
いや、俺に訊かれたってまだ観てないし分かんないけどね、たいていのアメリカ映画はキスシーンの一つや二つはあるんじゃないの、って答えた。
「テレビで放送するときは、そんなのカットしちゃえばいいのに」
おおぃ、なに莫迦なこと言ってんだよ、こいつは。
それがあるからみんな洋画劇場を楽しみにしてるんじゃねえかよ。
ゲタやんは、この映画は西部開拓時代の終焉を描いた映画史に残る名作なので、歴史の勉強にもなるから見せて欲しいと、親を説得することにした。その試みは成功したらしく、後日、今度の日曜、見られることになったと、嬉しそうな笑顔で俺に報告した。
ところが、日曜洋画劇場の『大いなる西部』は前後編に分かれ、2週連続の放送だった。

彼は念願の前編を見た翌週、腎臓病で入院した。
当然、入院中は(夜9時からの)テレビ放送を見ることは出来ない。
親切な俺は見舞いに行き、後編のあらすじと見所を懇切丁寧に話してやった。彼はそれを素直に喜んでくれた。
「また放送するよ。『大脱走』や『荒野の七人』だって何度も放送されてるし、『大いなる西部』もきっと再放送されるよ」……俺は根拠のない話でゲタやんを励ましてやった。「うん」と頷く彼の顔は、まるでグレゴリー・ペックのように実直で、心の底から話を信じているように思えた。親戚の人が置いていったお見舞いのお菓子やバナナをたらふくご馳走になってから、俺は帰った。
そして、その日から俺は、彼のことを「ゲタやん」と呼ぶのをやめた。
彼の新しいニックネームは、本名に引っかけて、「川崎ジンゾウ」になった。
退院後、俺が「ジンゾウ」と呼ぶと、彼は悲しい笑顔で、「人が嫌がるようなことを言うのは良くないよ」と、まるでグレゴリー・ペックのような態度で俺を諫めた。

グレゴリー・ペックは、『子鹿物語』や『アラバマ物語』のようなファミリー受けのよい謹厳実直な役だけの俳優ではなかった。キチガイじみた執念でモビーディックを追う『白鯨』や、キチガイじみた計画でナチス復興を企む『ブラジルから来た少年』のような汚れ役も演じている。だけど、グレゴリー・ペックには、どうしても真面目で正義感の強い、モラリストというイメージがつきまとう。ゲタやんの人柄がダブっているからかも知れない。
そんなグレゴリー・ペックの死を悼んで、今夜は『大いなる西部』を観ることにした。
開巻、婚約者の目の前で山高帽を嘲笑され投縄を掛けられたりしても、それを西部流の歓迎だと善意に解釈するジム・マッケイを見ていて、ちょっと目が潤んでしまった。
こんな役を正面から演じられる役者が、今いるのだろうか。

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