誰かが見ている メアリ・H・クラーク
新潮文庫 (1977-1979)
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誰かが見ている メアリ・H・クラーク
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妻を惨殺され死刑制度に肯定的な雑誌編集長(子持ち)と、死刑反対論者の女性コラムニスト(美人で独身)。
死刑制度についての蘊蓄(うんちく)など語らせつつ、対立する男女のロマンスを絡ませ、警察の協力よろしく犯人逮捕で一丁あがり……近年のM・H・クラークなら、そんな気の抜けた展開でもおかしくない題材(ネタ)ですが……
ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』以来、「◯◯日◯◯時までに事件を解決しないと、無実の人間が死刑」という状況設定の小説は何冊くらいあるんでしょう?(ロバート・アルトマン監督の映画『ザ・プレイヤー』でもやってましたね)
膨大な数が出版されていると思いますが……本作は(20年以上前に発表されながらも)現時点で、最も巧妙に書かれたタイムリミット・サスペンスの傑作です。
誘拐事件を絡ませたアイディアが功を奏し、多層構造の緊迫感が創出されてます。
例えば、誘拐される男の子は喘息持ちで、興奮するといつ発作が出るか分からない。爆弾の刻限を待つことなく、命を落としてしまうかも知れないハラハラドキドキ。
警察は、死刑反対のコラムニストが死刑執行の延期を企んで策謀した狂言誘拐の線でも捜査していて、おいおい、それは違うぞとハラハラするのが読者の悦び。
脅迫電話は直接本人の家にかけるのではなく、隣家にかけて伝言させることで逆探知を回避するなど、小技も織り交ぜつつ、ストーリーは常に二重三重のサスペンスを孕んで進行。
犯人からの脅迫文を発見しFBIが動き出す90ページあたりからは、ページを捲る指の動きが無意識に加速すること必至の、第一級徹夜本。
「無実の人間が死刑」って書いちゃったけど、これ、ネタバレちゃいますよ。最初の1ページ目から、犯人の一人称で書かれてますからね。どんなに鈍感な読者だって、妻殺しの真犯人はこいつだって、気付いてしまいます。
この分かりやすさ、読者への親切心(サービス)が、M・H・クラークの最大の特徴。
ハッキリ言っておくけど……この小説、めちゃくちゃ面白いけど、あくまでも大衆小説としての面白さであって、独善的な文学志向は皆無。(だから近年はハーレクイン・ロマンス風とか悪口言われちゃうんだろうな)
筋立てに凝っているぶん、人物造形においてはめちゃくちゃ定型通り(ステレオタイプ)で、ジャーナリストはジャーナリストらしく、FBIはFBIらしく、グランド・セントラル駅で生活しているホームレスの女性の役割など、定石そのもの。
まるでハリウッド映画並の単純さです。
映画化に最適……と思ってたら、やっぱりショーン・S・カニンガム監督が1982年に映画化していました。日本未公開でテレビ放映時のタイトルは『ニューヨーク25時 少女誘拐』……って、誘拐されるのが息子じゃなくて娘になっちゃってるじゃん!