soe006 マリオ・プーゾォ 「ゴッドファーザー」

マリオ・プーヅォ 「ゴッドファーザー」

December 27 2010

毎年クリスマスが終わると、新年を迎えるまでに無性に観たい映画がある。
一年で最もせわしないときに全長10時間の映画を観たいなんて正気の沙汰とは思えないが、観たいものが観たいときに観られる高度文明社会に生きているので、やっぱり観てしまう。
以前は『PART I 』と『PART II 』だけだったが、ここ数年は評判のよくない、明らかに蛇足と悪評を浴びている『PART III 』も観るようになった。
さらに今年は、三十数年ぶりに上下2巻の原作本まで再読してしまったのだから、これはもう何か変なものにとり憑かれているとしか考えられない。

なんてのは、ただの言い訳。

寒くて寒くて、めちゃくちゃ寒くて。外に出て買い物したり、大掃除したりするのが億劫で、ただひたすら引きこもっていただけなのよ。

ゴッドファーザー〈上〉
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ゴッドファーザー〈上〉

マリオ・プーヅォ:著

原題:The Godfather(1969年)
邦訳:一ノ瀬 直二 ハヤカワ文庫NV(1973年)

全米で最も強大なマフィアの組織を築き上げた伝説の男、ヴィトー・コルレオーネ。絶大な力を持つこのマフィアのドンを、人々は畏敬の念をこめてゴッドファーザーと呼ぶ。そんな彼の三男マイケルは、家業に背を向け家を出ていた。が、麻薬密売をめぐる抗争でドンが瀕死の重傷を負った時、彼は、父、家族、そして組織のために銃を手に起ち上がった…独自の非合法な社会に生きる者たちの姿を赤裸々に描き映画化もされた名作。

ゴッドファーザー〈下〉
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ゴッドファーザー〈下〉

マリオ・プーヅォ:著

原題:The Godfather(1969年)
邦訳:一ノ瀬 直二 ハヤカワ文庫NV(1973年)

ニューヨーク五大ファミリーを巻きこんだ全面戦争は、コルレオーネ家の長男ソニーの死によって終結した。ドン・コルレオーネはシシリーに潜伏していた三男マイケルを呼び戻す。やがてファミリーの後継者となったマイケルは、ドンが死を迎えると直ちに壮絶な復讐戦を開始した…アメリカを陰で支配する巨大組織マフィア。現代社会が喪失した血縁と信頼による絆がそこにはある。愛と血と暴力に彩られた壮大なる叙事詩。

映画の方は、すでに絶賛名作認定され、しかも何度となく観ているから、いまさら書くこともないのだけれど。マリオ・プーゾの原作本を読むのは、映画の『PART II 』が公開されていた中学のとき以来。
映画で描かれていたストーリーは覚えていても、映画化の際にカットされたところは完全に忘れていた。
……というのは大嘘。
映画でカットされたエピソード、みんな覚えていたの。
三十数年ぶりなのに。マジで。

というのも、この小説、映画でカットされたエピソードは、当時の中学生にはかなり強烈な内容で、忘れようにも忘れられない衝撃体験だったのですよ。

そんなこんなで、やっぱり、面白い。これまた徹夜でイッキ読み。

この小説の面白さは、けっきょく、週刊現代的内幕暴露の興味と、花登筺的立身出世物語の醍醐味だろうな。

ちなみに上下2巻の原作は、映画と同じくコニーの結婚式から始まり、若き日のビトー・コルレオーネの物語をインサートしつつ、五大ファミリーその他大勢を虐殺したマイケルが新しいドンの座につくまでのストーリー。ラスベガス進出工作の話はあるが、映画『PART II 』でメインになっていたハイマン・ロスが絡んでくる話は入ってない。

読んでから観るか、観てから読むか……そんな宣伝文句の角川映画もありましたが。
小説『ゴッドファーザー』は、映画の副読本として読んだほうがいい。
先に小説を読んでしまうと、小説ですこぶる面白かったところが、ばっさりカットされているから、映画に不満が生じると思う。

映画の出来は良いんですよ。
アカデミー作品賞も取ってるくらいだし。
ゴードン・ウィリスのキャメラ、ディーン・タラボリスの美術デザイン、アナ・ヒル・ジョンストンの衣装……みんな素晴らしい。
役の大小関係なく出演者の芝居も実によろしい。
映画の最大の欠点は、登場人物が多すぎて、1回観たくらいでは人間関係を完全に把握できないことだ。

原作を読むと、人物のプロフィールやら性格やら実にしっかり書きこまれていて、おれみたいなボンクラあたまでもよーく理解できるのよ。
でもって映画を再度観直すと、あらまあ、役者の細かい仕草までもが、さもあらんと納得できて、更に楽しめてしまうわけです。
ヘルズキッチン9番街の雑貨屋で働き、慎ましい生活をおくっていた青年ビトーに、空き巣の片棒を担がせるクレメンツァと運び屋のテッシオ(この2人は後にファミリーの幹部になる)とか、人間関係がとてもよく分かる。
ということで、まだ読んないし観てもいないって人には、先に映画、後で原作本で。観てから読むをお勧めします。

さて、中学生時代に強烈な印象を残した、しかし映画ではカットされてしまったエピソードですが、大きく分類すると2つあります。

ひとつは映画・ショービジネスに関する部分。
映画『PART I 』のはじめの方にある馬の生首事件。映画プロデューサーを脅すのに、あそこまで残酷なことするなんてやり過ぎだろー、と思ったでしょ? とんでもない。あのプロデューサーはあのくらいのことされても当然な、とっても悪い奴。変態なのよ。それがハリウッドなのよ。
この小説は、それまでタブーとされてきた裏社会の実際を基に書かれているから、関係者が読んだら、これはあいつで、こいつはあいつがモデルだなと特定できる(らしい)。人気落ち目でドンに泣きついてくる歌手はフランク・シナトラだろうな、とか。
だから、歌手(ジョニー・フォンティーン)が出演を切望していた(シナトラ再起の)映画は『地上より永遠に』。ならばあの変態映画プロデューサーは XXX だろう、とか。
どこまでが実話でどこからが作者の創作なのか。虚実が曖昧な小説なので、とんでもない濡れ衣を着せられる映画プロデューサーだっていたに違いない。また当時のハリウッドは、そのような破廉恥行為が当たり前のように行われていたのも事実だし。

コルレオーネ一家がラスベガスに進出する際に、ジョニー・フォンティーンに誘われる呑んだくれの歌手も、彼が連れていかれるパーティで嬌態をさらす往年の美人女優も。芸能関係者でモデルが特定されやすい人物がからむエピソードは、映画では(ジョニー・フォンティーンを除き)ことごとくカットされている。

その後、ハリウッド神話が崩壊し、当時の実態が赤裸々に暴露されて、夢の工場の裏側が実際どんなものであったのか、世間に知られるようになりましたが、やっぱりショックでしたね。
中学生には強烈でした。

もうひとつは、コニーの結婚披露宴の最中に立ちファックしていたソニーの相手、ルーシー・マンチニのその後のストーリー。
コルレオーネ・ファミリーのラスベガス進出に絡む重要なストーリーになっているのだが、これまた穴関係のエピソードを含んでいて、中学生には強烈。

もっともコッポラと共同脚本のプーゾォが原作をカットした最大の理由は、実在関係者への配慮とかセックス倫理とかじゃなくて、上映時間の問題(完成したフィルムは 2時間55分)だったと思いますけどね。

しかし、これがコッポラじゃなくて、ロバート・アルトマンが監督だったら、とんでもない破廉恥映画になっていたかもね。

マリオ・プーヅォ Mario Puzo(1920年10月15日 - 1999年7月2日)
1920年ニューヨーク生まれ。父親はイタリア・ナポリ出身の移民。マーティン・スコセッシのギャング映画でおなじみのマンハッタン、ヘルズ・キッチンで少年時代を過ごす。アメリカ陸軍航空隊に従軍。第二次世界大戦が終結すると除隊して、コロンビア大学などで学ぶ。1955年に初めての小説を出版。
1969年発表の『ゴッドファーザー』が世界中でベストセラーとなり、映画化の際には脚本も執筆。『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザーPARTII 』でアカデミー脚色賞を2度受賞。その後も『大地震』(74年)、『スーパーマン』(78年)、『コットンクラブ』(84年)などの脚本を担当したが、特に評価されるような内容ではなかった。いっぽう小説の方は『ラスト・ドン』、『ザ・ファミリー』、『ザ・シシリアン』など、『ゴッドファーザー』路線のマフィアものばかり書き続けた。
1999年7月に、心不全のためロングアイランドの自宅にて死去。

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