soe006 下半身麻痺の女

この日記のようなものは、すべてフィクションです。
登場する人物、団体、裏の組織等はすべて架空のものです。ご了承ください。

下半身麻痺の女

February 7, 2005

下半身麻痺を患っている女性と、交際していた事がある。
彼女は、夜間はまったく外出しない人だったから、ふたりが逢うのは日中に限られていた。

休日の昼下がり、まだ陽も傾かない時刻に、立座姿勢で抱き合う。
腰部を結合させたまま、黙って音楽に耳を傾け、気怠いひとときを微睡んで過ごす。

「中で、だんだん小さくなってるのが分かる」
そう言って彼女は、クスクス笑った。

彼女は自発的に両脚を動かすことができない。
だから頻繁に揉んでいないと筋肉が衰えてしまう。下手すると壊疽をおこし、切断する羽目になると言っていた。
「毎日2時間くらい揉んでるから、指は痛いし腕も太くなっちゃうのよ」
確かに彼女の上腕は、痩せた俺の腕よりも太くて逞しかった。それに比して脚は、まるで針金のように細く衰えていた。
「じゃぁ、代わりに揉んでやるよ」
俺のマッサージはいつも、知らず知らずのうちに、前戯に変わってしまった。

下半身麻痺の女性もセックスはする。興奮すれば声を出して喘ぐし、絶頂の瞬間に潮を吹くことだってある。食事も、多少の好き嫌いはあったとしても、それは普通に生活している人々と何ら変わりはない。彼女はピーマンと生魚がダメだった。
ひとつだけはっきりと違っていたのは、彼女は飲み物をあまり摂ろうとしないことだった。ジュースや珈琲を出しても、形だけ口をつけて、全部を飲み干すことはなかった。
下半身が思うように動かないということは、自由なときにトイレに行けない、ということだ。しかも余所の便所は、普段使い慣れている自宅の便所と勝手が異なり、余計に手間取ることが多い。排泄の不便さと気拙さから、車椅子の人たち、特に女性は、外出先での水分摂取に、必要以上に気を遣って暮らしている。

彼女の肩にだらしなく顎を預け、髪の匂いを嗅いでいた俺は、尖らせた舌の先で耳腔の周囲を舐め、耳朶を優しく咬んだ。
「あっ、おっきくなってきた。なんだか、お喋りしているみたいで面白い」

彼女は、交通事故で亡くなった。享年26歳だった。
自動車から車椅子を降ろしている最中に、左の路側帯を走り抜けようとしたオートバイが、いきなり突っ込んできた。バイクを運転していた奴は、開けてあった車のドアの上を飛び越え、8メートルほど先に転がった。アスファルトで肩と背中を強く打ったが、軽傷だった。
彼女は、バイクの車体をもろに頭部にぶつけられ、即死。
棺に納まった彼女の顔には、10ヶ所以上の疵を縫い合わせた痕があり、華やかな紅を施してもなお、生前の面影を想像できない無惨さだった。

「道路の中央でテールランプも点けずに停車していたから、こっちにも落ち度があるって、警察が説明していたよ。保険も満額は下りないらしい。でもね、車椅子を降ろせるだけのスペースが必要なんだから、あそこで乗り降りようとすれば、道の真ん中に停めるしかないだろう? 他にどうしろと言うんだ」
彼女の父親が、葬儀の時に愚痴っていた。
「保険がおりたら、その金、俺にください。彼女のために映画を作ります」
蛆虫を見るような目つきで、俺を一瞥すると、父親は話題を変えた。

「君は、娘と結婚する気があったのかね?」
俺は、「分かりません」と、素直に答えた。

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