「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」
December 20, 2003
手塚版ゴジラ「X(ばってん)」シリーズ第3弾は、前回『ゴジラXメカゴジラ』(2002)の続編で、機龍シリーズの完結編。
別題「巨大同胞因縁日本海溝道行」。
『ゴジラXメカゴジラ』が、『ゴジラXメガギラス』(2000)の焼き直し(リメイク)だったように、今作もまたゴジラ退治に専念する防衛隊員たちにスポットライトを当てた内容。つまり前作の焼き直し。脚本は手塚昌明と横谷昌宏の共同執筆。
怪獣大好きのよい子たちは、都合3回も同じお話を見せられたことになります。
東宝の(アタマの悪い)おじちゃんたち、大いに反省してください。
3式機龍(メカゴジラ)を修理している特生自衛隊の整備士・中條義人(金子昇)のところへ、インファント島に住む小美人(長澤まさみと大塚ちひろ)が現われ、「ゴジラの骨から兵器なんか作っちゃってダメじゃないの、ゴジラのお骨を今すぐ海に戻しなさい」と忠告する。
彼女たちが美人なのかはさておき(『南海の大決闘』のペア・バンビよりはマシか?)、どうして今頃になって出てくるの?
で、ゴジラが日本に接近、モスラが対応することになるんだけど……ここからのストーリーは、もう書きたくないくらいに杜撰(ずさん=出鱈目・手抜き・間抜け)。
義人は不完全な兵器を使うことに反対するが、家城茜(釈由美子)の後任で配属されたパイロットの如月梓(吉岡美穂)は、3式機龍での攻撃に積極的。
世論も機龍廃棄に傾いており、それでも機龍が出撃することを知っている観客の期待は、出動命令は如何なる脈絡でなされるかに焦点が絞られるわけ。
それこそが、特生自衛隊員たちを主人公に据えたこの映画のモチベーションでしょう?
で、総理大臣(中尾彬)が下した結論は……
「我々のために戦っているモスラを、機龍で援護するのだ」
ば〜か。
3式機龍を起動させないために、モスラが来たんでしょ?
で、義人が心配したとおり、3式機龍はコントロール不能となる。
……あれえ?
前作で機龍のOSは書き換えられてたんじゃなかったっけ?
だから前作ではゴジラを撃退できたんでしょ?
しかし、(OSが書き換えられているにも関わらず)制御不能となった機龍は、な〜んと、ゴジラを抱いて海底に沈んでしまう。
……あれえ?
小美人は、機龍が制御できなくなって大変なことになるから、おやめなさいって忠告してなかったっけ?
どうして初代ゴジラ(……のDNAだか残留思念だか知らないけど)は、人類の味方になって、同類のゴジラを諫めちゃったりするわけ?
いや、それよりも、初代ゴジラの骨が物語を結末に導くのであれば、小美人の警告ってぜんぜん的外れって言うか、まったく逆のことを言ってたわけでしょう?
どうなってるの?
怪獣映画って所詮子供騙しだから、怪獣が暴れて都市が破壊される場面があれば、ストーリーの整合性なんて、どうでもいいの?
マニア受けを狙ってカメーバの死骸とか見せているけど、本筋に絡んでこないから、単なる楽屋落ちにしかなっていないし、モスラも弱いし、ゴジラも弱すぎる。
人類の都合でゴジラを退治するというより、製作者側の手抜きで怪獣を殺しているって印象だな!
エンド・クレジットの後で、ゴジラ細胞を利用しようとする組織が描かれる。(次回作は『ゴジラVSビオランテ』のリメイクなのか?)
手塚監督は『ゴジラXメガギラス』のときも最後にちょこっと寸劇を入れてたけど、こういうのが好きなんだろうな。
俺は大嫌いだけど。
90分弱の時間を使ってようやく導いた結論(ゴジラ心中=日本海溝に沈んじまった哀しみ)が一瞬にして覆されるだろ?
大島ミチルがラストシーン〜エンド・クレジットに用意した鎮魂歌は、いったいなんだったんだ?
ストーリーが終わったあとで、前言撤回するのは、作り手が観客を莫迦にしている証拠。
そして自分たちが作ったものに愛着がないってこと。
そんなクソ映画、褒めてやるもんか。
特撮はますます酷くなった。
雲海の中を飛行中のF15Jと未確認飛行物体。<これ『ガメラ3 邪神覚醒』の真似です。
全体にプロモーションビデオっぽい、格好いい絵柄を並べてみせるだけ。
アニメ世代のゴジラは、はっきり言ってもう飽きた。