soe006 ウディ・アレン 「アニー・ホール」

アニー・ホール

September 24, 2007

1977年度のアカデミー作品賞受賞作。
アカデミー賞にまったく興味がないウディ・アレンは別として、この受賞に驚いた日本人は多かったと思う。私もそのなかのひとり。
ちなみにその年度の作品賞ノミネートは、以下のとおり。

『アニー・ホール』
『グッバイガール』
『ジュリア』
『スター・ウォーズ』
『愛と喝采の日々』

お子様ランチの『スター・ウォーズ』はさておき、地味な作品ばかり並んでいます。
『ボギー!俺も男だ』の監督、ハーバート・ロスの作品が2本。『愛と喝采の日々』も『グッバイガール』も、たいへんな秀作ですが、これは票割れしそうで無理っぽい。
前年度(77年3月)の授与式に、ドキュメンタリー部門のプレゼンターとして72歳のリリアン・ヘルマンが登場(その紹介者はジェーン・フォンダだった)していたし、アカデミー協会は赤狩りでハリウッドを追われた映画人に優しい。かつて賞の常連監督だったフレッド・ジンネマンの意欲作だし、流行していた女性映画でもあり、品格風格も充分。『ジュリア』が本命じゃないかっていわれてました。
だから……この結果には(アカデミー賞には興味のないアレン自身を除いて)誰もが吃驚しちゃった。

だって、『アニー・ホール』は、アカデミー賞ノミネート前の1978年1月にこじんまりと日本公開されて、特別話題にもならず、地味に興行を終えちゃっていたんです。
アカデミー賞だけじゃなくて、全米批評家協会賞やNY批評家協会賞でも作品賞を、LA批評家協会賞では脚本賞を受賞しているんですけど、当時の日本のジャーナリズムはいまほど海外の情報を重要視してませんでしたから。キネマ旬報を購読していた人たちくらいじゃないですか、話題にしていたのは。
受賞が決まったあと、都市部では凱旋興行したとは思うけど。住んでいた田舎町では、公開もされなかったし。
なんといっても1978年の日本映画界は、『未知との遭遇』と『スター・ウォーズ』のお祭り騒ぎで満員御礼。
他はどうでもいいって雰囲気でした。

そんな状況だったので、高校卒業して上京していなければ、ウディ・アレンとはずっと縁がないままだったかも知れません。『ボギー!俺も男だ』と『スリーパー』しか観ていないから、特別な思い入れもないし。
1980年、有楽町の映画館で『マンハッタン』と同時上映されていたときに観て……ぶったまげましたね、この2本立てには。
『マンハッタン』については、次回以降に書くとして……

今回は『アニー・ホール』と出会ったときの衝撃について。

アニー・ホール
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アニー・ホール
ANNIE HALL

1977年/アメリカ/93分
日本公開 1978年1月(ユナイト配給)

製作:チャールズ・H・ジョフィ、ジャック・ロリンズ
製作総指揮:ロバート・グリーンハット
監督:ウディ・アレン
脚本:ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン
撮影:ゴードン・ウィリス
衣装デザイン:ラルフ・ローレン

出演:ウディ・アレン、ダイアン・キートン、トニー・ロバーツ、ポール・サイモン、キャロル・ケイン、シェリー・デュヴァル、クリストファー・ウォーケン、コリーン・デューハースト、ジャネット・マーゴリン、ビヴァリー・ダンジェロ、シェリー・ハック、シガーニー・ウィーヴァー、ジェフ・ゴールドブラム、マーシャル・マクルーハン

1977年アカデミー作品賞、監督賞(ウディ・アレン)、脚本賞(ウディ・アレン、マーシャル・ブリックマン)、主演女優賞(ダイアン・キートン)受賞

第一印象は、おそろしく低予算の映画だな、ということ。
ファーストシーンは、無背景の場所でキャメラに向かって語りかける主人公です。これは従来のアメリカ映画とは違った手法で、ドキュメンタリー的な演出。ほんとにこれがアカデミー賞なの? って疑問がわき、否定的な見方で接しました。
構成はバラバラで、エピソードの断片を即興的につないでるだけのように思えたし、頻繁に出てくるユダヤ人差別ネタはピンとこないし。
ところが……

ラストシーンで、弟のタマゴを欲しがる男の話が語られるころには、胸の中がジンワリと熱っぽくなってる。
このマジック、かなり熱心に分析しましたね。

結論は、そのときは出てこなくて、その後のアレン作品を何本か見続けていて、ようやく見えてきましたが、言葉で説明できるようなものではなかったです。
誰かから、チビでメガネかけててハゲだから親近感がわくのだろう、と指摘されましたが、半分はそのとおり。
残り半分は……神経症で独善的で、コンプレックスがあって、饒舌で、虚栄心が強く、挙動不審で、理屈っぽく、自意識過剰なところも、よく似ている。
超個人的なことなので、これ以上はこの問題に触れたくありません。

たぶん、いや、きっと……私はウディ・アレンの映画を観るとき、アレン演じるキャラクターに、自分を投影させているのだと思います。
映画の登場人物に共感し、成りきって映画を観ることはちっとも珍しいことじゃないです。東映のヤクザ映画を観た直後は、みなさん健さんみたいにキリリと男前だし、『ボギー!俺も男だ』の主人公が『カサブランカ』を見終わって席をたつときの後ろ姿は、ハンフリー・ボガートそっくりだったし、『ロボコップ』を観たあとの俺様は、堂々と胸を張りギコギコ歩いていた!
でも、すぐに気がつくんです。自分は健さんでもないしボギーでもない。まして悪を懲らしめる無敵の人造ロボットではないことを。
これは、本人と映画のヒーローとに大きなギャップがあるからで、誰もが健さんやボギーやロボコップになれるわけではありません。憧れはあるけれど、結局自分とは違うのだと悟って、日常に戻っていくわけです。
しかし、その差違がほとんど無い場合は……

まして、ウディ・アレン演じるキャラクターは、なんの努力もなしになれる、ダメ人間の集大成的人格。
50年代、それまでのアメリカ映画になかった負の性格を表現して、マーロン・ブランドやジェームズ・ディーンが共感を得たのと同じように、ウディ・アレンのキャラクターは、70年代の(一部の観客に)絶大の共感を得たのではないかしら。

ウディ・アレンの映画が好きだという人と仲良しになれないのは、当然といえば当然。
自分をウディ・アレンと同化させている人たちばかりなのだから。
神経症で独善的で、コンプレックスがあって、饒舌で、虚栄心が強く、挙動不審で、理屈っぽく、自意識過剰な人間たちに、協調性とか一般常識的社交性とか、あるわけないじゃん!

閑話休題。

『アニー・ホール』のストーリーは、すごく単純です。
二度の離婚歴がある漫談家アルヴィ・シンガー(ウディ・アレン)が、売れていない歌手のアニー・ホール(ダイアン・キートン)と出会い、恋愛期間を経て別れ、再会する。
たったそれだけ。どこにでも転がっているラブ・ストーリー。

そこにアレン独自の恋愛哲学を加味する。
更に、普通の流れに変化をつける。
仕上げに、映画の「遊び」で装飾する。
すると……

主人公は、直接キャメラ(観客)に向かって語りかけてくる。過去の回想場面のなかに、現在の登場人物が入ってきて、過去の登場人物たちに語りかける。過去の登場人物もそれに応える。過去の登場人物は、現在についても語る。主人公が嫌う人物にぎゃふんと言わせるために、実在の人物が、突然、都合良く現れる。普通の会話をしていながら、モノローグ(下心の声)が字幕で出てくる。画面が分割され、現在の登場人物と過去の登場人物が、それぞれの場所から普通に会話を交わす。唐突に街の通行人に話しかける。見知らぬ他人が、向こうから話しかけてくることもある。登場人物がアニメ化され、アニメ・キャラクターとお喋りする。ストーリーの流れが、最初のアルヴィのモノローグによって支配されているため、時制が脈絡なく紹介される。全体が回想形式でありながら、回想の中に回想が入り、更に回想が入ったかと思うと、いきなり別の時間に飛んでしまう。何度も観ないと全体の流れが整理できない。

分かりづらい説明ですが、そんな感じの分かりづらい映画です。
結果として、恋愛が、とんでもなく矛盾した感情であることを、分かり易く伝えています。

一筋縄ではいかない。見方を変えると、まったくデタラメな作りの映画です。
脚本は、『スリーパー』でも組んでいたマーシャル・ブリックマンとアレンの共同作業。ブリックマンは、『マンハッタン』と『マンハッタン殺人ミステリー』でも、アレンと共同脚本を書いています。
撮影は、『コールガール』、『大統領の陰謀』、『ゴッドファーザー』シリーズのゴードン・ウィリス。
ラストの、窓越しの情景、じんわり素晴らしかったですね。
アレン監督は、「ウィリスの映像なくして作品の完成はなかった」とベタ褒め。アカデミー授賞式欠席の本当の理由も、作品賞、監督賞、脚本賞がノミネートされているのに、撮影賞の候補にウィリスの名前があがっていなかったから、とか。
これがアレン作品の最初で、このあとコンビは『カイロの紫のバラ』(1985年)まで7本続きます。

『アニー・ホール』には、後の作品に共通するテーマが、2つ提示されています。
「宇宙は膨張している、いつか爆発する」というアルヴィ少年に、医者がいう「生きている間は楽しめ」という台詞は、『ハンナとその姉妹』の「神はいなくても人生は巡る。ならば人生を楽しめばいい。答えのない疑問に悩むのはやめて、死ぬまで楽しもう」に。
自分の体験を元に書いた戯曲で、事の顛末をハッピーエンドにしてしまったアルヴィの台詞「人は現実にないことを芸術に求める」は、『重罪と軽罪』の「我々は自分を正当化して生きている。ハッピーエンドを見たければ映画館に行け」へと発展。
相克するオプティミズム(楽天主義)とペシミズム(厭世主義)。
この2つがあらそう戦場で、人間は、どっちつかずの矛盾を大量生産しつつ、悩み、迷いながら日々をおくっている生き物なんだなあ。

「先生、ぼくの弟は自分を鶏だと思いこんでいるんです」
「それは重症だ、すぐに入院させなさい」
「でも、ぼくは彼が産むタマゴが欲しいんです」

ウディ・アレンの映画(特に『アニー・ホール』)は、様々な問題をはらんでいて、これを好きだという人は、おそらく超個人的に好きな人たちであって、誰もが笑い、感動し、共感する、万人向きの映画ではないと思います。
だから、ワケが分からん、面白くない、嫌いだ、という人がいても全然おっけ。
そんなタイプの映画がどうしてアカデミー作品賞をとったのか、それだけが不思議でなりません。
75年度が『カッコーの巣の上で』、76年度が『ロッキー』、そして『アニー・ホール』。すべて独立プロ製作でユナイテッド・アーチスツ配給だけど、そのあたりの裏事情があるのかな?
主演女優賞を獲得したダイアン・キートンだって、普通に考えて『アニー・ホール』よりは『ミスター・グッドバーを探して』の方が賞にふさわしい演技だったと思いますぜ。

『アニー・ホール』とは関係ないけど……
授賞式終了後の会場前にて。『愛と喝采の日々』で監督賞にノミネートされていたハーバート・ロスが、車を待ちながら呟いた言葉。
「クソッ、いつまで待たせるんだ。オスカー持ってない奴は、パーキング・ボーイにまで馬鹿にされるのか」

ところで……
『アニー・ホール』は、ダイアン・キートンやトニー・ロバーツの常連さんの他に、シェリー・デュバル、クリストファー・ウォーケン、ポール・サイモンなど配役が豪華です。いまが旬の女優(1975年度のアカデミー主演女優賞候補だった)キャロル・ケインの贅沢な使い方にもびっくり。無名時代のジェフ・ゴールドブラムもワンシーンだけ出てます。

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