フランス映画の巨匠:マルセル・カルネ(4本)
2020/05/15
北ホテル
HOTEL DU NORD
1938年(日本公開:1949年08月)
マルセル・カルネ ジャン=ピエール・オーモン アナベラ ルイ・ジューヴェ アルレッティ フランソワ・ペリエ ポーレット・デュボスト ベルナール・ブリエ
パリ北部。サンマルタン運河に架かった鉄橋を、若い男女が寄り添いながらやって来る。二人は夕暮れの河畔のベンチで何事か囁き、人生の吹き溜まりのような安宿に部屋をとり、心中を図るが失敗。一命をとりとめた女(アナベラ)は病院に運ばれ、男(ジャン=ピエール・オーモン)はいったん逃げたものの、走る列車に身投げしようとしてそれも出来ず、自首して投獄される。
傷が癒えて退院した女は、宿の主人夫婦の温情によりホテルで働くようになり、周辺の人々といろいろあった後、男は釈放されて戻ってくる。
革命記念日(巴里祭)の翌早朝、二人は河畔のベンチで何事か囁き、サンマルタン運河に架かった鉄橋を渡って何処かへと去っていく。
心中ものって好きじゃないんだよ、ウジウジしてて。太宰治も大嫌いだし。
心中用にピストル買う金が残ってたのなら、それで彼女になんか美味いもの食わせてやれよ。死にたいなら誰にも見つからない山奥行って一人で餓死しろ。若くて綺麗な女を道連れにすんな、ほかの男の幸せのために残しとけ、ボケ!
過去に傷を持つヤクザな男(ルイ・ジューヴェ)も情けない。若い女にメロメロになって、身の上話で同情をひき、二人でマルセイユに逃避行しようとするもドタキャンされ、挙げ句の果てに自暴自棄で命を落とす(間接的な自殺だな)。よくまあこんな惨めったらしい男が裏社会で生きてこられたものだ。貢いでくれている情婦(アルレッティ)の顔を痣が残るほど殴ってるし、このクズ野郎が!
以上のように本筋のストーリーは甘っちょろくてまったく気に入らないのだが、映画自体の出来はいい。
運河とホテルのセットは素晴らしく、北ホテルを取り巻く庶民の人物描写、運河を行き来する船、架道橋、河川敷で遊ぶ子供たちなど、マルセル・カルネらしいまろやかな雰囲気を持った映画ではある。
60点
#フランス映画の巨匠:マルセル・カルネ
2020/06/06
霧の波止場
LE QUAI DES BRUMES
1938年(日本公開:1949年12月)
マルセル・カルネ ジャン・ギャバン ミシェル・モルガン ミシェル・シモン ロベール・ル・ヴィギャン ピエール・ブラッスール レイモン・エイムス エドゥアール・デルモン
インドネシアで過酷な経験をしてきた外人部隊の脱走兵ジャン(ジャン・ギャバン)。ヒッチハイクしたトラックに乗せてもらい、港町ル・アーブルへと向かう夜道で、ふいに飛び出してきた犬を急ハンドルで救けたがために運転手と言い争う。この冒頭のシークエンスから主人公の性格が鮮やかに表現され、さすがはマルセル・カルネと感心する。
街の外れにあるパナマ亭でベレー帽にレインコート姿のネリー(ミシェル・モルガン)と出会い、恋に落ち、彼女を巡って街の与太者(ピエール・ブラッスール)から恨みを買い、ペシミスティックな画家(ロベール・ル・ヴィギャン)から服と靴とパスポートを譲り受け、身分を偽っていったんは南米行の汽船に乗船するものの、ネリーが気がかりで会いにゆき、彼女に邪(よこしま)な気持ちを抱いていたネリーの養父(ミシェル・シモン)を殺し、表通りに出たところを与太者に背後から撃たれる。ネリーに抱かれながら絶命したとき、波止場に停泊していた船が、出港の汽笛を鳴らす。
昭和30年代に日活がさんざん模倣していたムードアクションの典型的なストーリーなのだが、本家はクオリティが違う。ジャック・プレヴェール&マルセル・カルネの練り込まれたセリフが板についている。毎度のことながら脇役の人物造形が細やかでユニーク。
モノクロームな霧の波止場の雰囲気が、幻想的で素晴らしい。
プレヴェール&カルネの粋は、パナマ亭主人(エドゥアール・デルモン)と画家(ロベール・ル・ヴィギャン)のやりとりによく出ていた。
パナマ亭で空腹を訴えるジャン・ギャバンは、ちょいとオーバーアクト。
ギャバンにビンタされるピエール・ブラッスールの泣き顔がいい。もう一度見たい。
命の恩人のギャバンを慕ってつきまとう犬の扱いが作為に感じられるが、しかし何と言ってもこの映画のいちばんの魅力は、製作当時17歳だったというミシェル・モルガンの初々しい美貌だな。
65点
#フランス映画の巨匠:マルセル・カルネ
2020/06/06
陽は昇る
LE JOUR SE LEVE
1939年(日本未公開)
マルセル・カルネ ジャン・ギャバン ジャクリーヌ・ローラン アルレッティ ジュール・ベリー
「霧の波止場」の翌年に製作されたジャン・ギャバン&マルセル・カルネ・コンビの2作目。日本未公開。
実直で好印象の工員フランソワ(ジャン・ギャバン)は、届け先を間違えて工場に入って来た花屋の店員フランソワール(ジャクリーヌ・ローラン)と恋に落ちる。
しかし彼女は犬の曲芸師ヴァランタン(ジュール・ベリー)とも交際している様子。フランソワは彼女を尾行して曲芸師が出演している芝居小屋に入る。曲芸師の相方をしていたクララ(アルレッティ)は、嘘つきで女たらしのヴァランタンに愛想を尽かし、フランソワを誘惑する。
クララと男女関係になったフランソワは、彼女の部屋に出入りするようになったが、本命の相手はフランソワールで、クララを本気で愛しているわけではない。
そこへヴァランタンが現れ、フランソワールは若いとき生き別れになった娘で、工員ごときと結婚したら彼女の将来が不安だと、フランソワに身をひくよう忠告。フランソワは断固としてこれを拒絶。フランソワールと会い、曲芸師の言ったことが作り話だったことを知る。
若い娘を虚言で騙し手篭めにするヴァランタンが許せない。フランソワはアパートの自室で彼を撃ち、ヴァランタンは階段を転げ落ちて死ぬ。
警官隊に包囲され、最上階の自室に立て籠もったフランソワの回想形式でストーリーは語られる。その語り口はカルネらしく繊細で丁寧なのだが、警察の捜査に最初から応じようとせず、最後に自殺を選択するフランソワの心情がよく分からない。工員と曲芸師の間をどっちつかずのフランソワールも(終盤のベッドでうなされる場面を含め)説明が不足しているように思う。ムードで流してしまった感が強い。
ジャック・プレヴェール流儀の洒落たセリフ、人情味あるアパート周辺の住民たち、よく作り込んであるオープンセット。一級品の品格を備えながら、綻びが生じている。失敗作とは言わない、残念作といったところか。
「霧の波止場」のミシェル・シモンも良かったが、本作のジュール・ベリーの腹芸も実に上手い。彼の言葉は嘘ばかりだとアルレッティが教えてくれていたのに、すっかり騙されちまった。腹黒い奴ほど優美に振る舞い風格を顕示したがるもの。カルネ映画の悪役は曲者ぞろいでみんな面白い。
フランソワが住んでいる6階建てアパートに存在感があって良かった。とくに前半よく出てくる俯瞰撮影の螺旋階段がよいアクセントになっている。警官隊がやってきて、両手いっぱいに荷物を抱え込んで避難するお婆ちゃんがスプーンを落とす。その後の場面で手摺りにスプーンが乗っているのを「なんでこんなところに?」と不思議に思う住人。こんなのがあるからカルネ映画はやめられない。避難するときにスプーンを持って部屋を出るお婆ちゃんに、リアルなユーモアがあっていい。
この階段、最上階から下まで、パンでなく移動で撮影されたカットがある。そんな美術セットも面白い。
篭城の一夜が明けて。催涙弾のガスがゆったりと漂う部屋で、床に倒れているフランソワ。セットしていた目覚し時計のベルが鳴る。ワンカットのラストシーンが強く印象に残る。
60点
#フランス映画の巨匠:マルセル・カルネ
2020/05/15
天井桟敷の人々
LES ENFANTS DU PARADIS
1945年(日本公開:1952年02月)
マルセル・カルネ アルレッティ ジャン=ルイ・バロー マリア・カザレス マルセル・エラン ピエール・ブラッスール ルイ・サルー ジャヌ・マルカン シモーヌ・シニョレ
恋なんて簡単よ。
1840年代のパリ、芝居小屋が軒を並べるタンプル大通りを舞台に、一人の美しい女に恋心を抱き、翻弄される男たちを描いたメロドラマ。単純にストーリーだけ抜き出せば俗の極み。
これを当時の一流スタッフが、丹精込めて第一級の人生喜劇に仕立て上げた。
「第一部:犯罪大通り」「第二部:白い男」の2部構成で上映時間は3時間を超える。
メインの登場人物だけで6人。
ガランス(アルレッティ)裸を見世物にする最下層の女芸人
バチスト(ジャン=ルイ・バロー)パントマイム芸人
ルメートル(ピエール・ブラッスール)シェイクスピアかぶれの芸人
ラスネール(マルセル・エラン)殺人も厭わない無頼派作家
モントレー伯爵(ルイ・サルー)社会的地位の高いお金持ち
ナタリー(マリア・カザレス)ガランスの許婚者・座長の娘
バチスト、ルメートル、ラスネールには、それぞれモデルとなった実在の人物が存在する。
この他に、如何わしい古着商(ピエール・ルノワール)、盲目の乞食(ガストン・モド)、バチストの父親(エチエンヌ=マルセル・ドゥクルー)、劇団の座長(マルセル・ペレ)、下宿屋の女主人(ジャンヌ・マルカン)、ラスネールの子分(ファビアン・ロリス)などなど。
脇役は若干コメディリリーフに振られているが、全員がキャラ立ちまくりで凄い。
脚本はジャック・プレヴェール。「恋する者にはパリの街は狭い」「哲学者は死を想い、美しい女は恋を思う」「美しくなったんじゃないの、幸せなだけ」珠玉のセリフが全編に散りばめられている。芸人たちの会話なので、多少格好つけた言い回しであっても浮かない。登場人物は伯爵を除いてみなさん貧乏なのだが、これらのセリフがあるから下品に堕ちない。
映画は開巻から、芝居小屋や見世物小屋が軒を並べるタンプル大通りの全貌を移動カメラで捉える。日本でいえば江戸末期天保時代の両国といったところか。エキストラの数が半端でない。その群衆のあちこちで大道芸が披露されている。数百メートルもありそうな巨大なオープンセットの豪華なこと。すごいんだ、これが、度肝を抜かれる。
そしてコンパクトに、手際よく、的確に(第1部の終盤に登場する伯爵を除いた)主要人物が紹介される。
最初に紹介されるのは女神ガランス。「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、お代は見てのお帰りだよー」呼び込みに釣られて、幕で仕切られただけの粗末な小屋に入ると、大きな桶があって、その中から全裸のガランスが首を出している。見物客は桶の中を覗き込むが、水が貼ってあるので肩から下はよく見えない。どうです、ゲスでしょう? だけど注意して見てほしいのは、彼女にはこの仕事を恥じている気配がまったくないこと。
続いて登場はシェイクスピアかぶれの芸人ルメートル。地方からパリに出てきた彼は、芝居小屋に売り込み。とにかくよく喋る。自信満々を多少逸脱して過剰気味。通りを歩いていくガランスに目移りし、跡を付け回し洒落た文句で熱心に口説くがふられて別れる。
次に登場するのは、暴力沙汰で女房に出ていかれた男の詫び状を代書しているラスネール。なかなかの名文を綴っているが代書屋は表の稼業。裏では手下を使って盗品を売買している悪党。ガランスがやってきて二人は街に出掛ける。
ラスネールとガランスが足を止めたのは芝居小屋の前。呼び込みのパントマイム芸をしている白塗りの青年がバチスト。見物客の懐から懐中時計を盗んで立ち去るラスネール。盗みの嫌疑をかけられたガランスを、ユーモラスなパントマイム芸でバチストが救う。ガランスはお礼に赤い花を投げる。
バチストが芝居小屋の楽屋に戻ると、座長の娘で婚約者のナタリーがいる。
これら一連の状況設定の出来事とセリフが、ストーリー全体の伏線になっている。
むかし友人が、アルレッティのおばさん顔が、男たちを恋の虜にして人生を翻弄させる美女に見えないと言ってたので、彼女はダヴィンチの「モナリザの微笑」だよ、似てるだろ? と話したら俄然納得したようだった。
第二部で伯爵の囲われ者になってからは、凛とした気品と風格を漂わせ、彼女は女神になる。
かっこいいのは、無頼の男ラスネールだ。伯爵を殺したあとの行動にしびれる。彼を蔑む伯爵に「劇は今まさに進行中なのだ」と啖呵を切ってカーテンをひく場面もかっこよかった。
悪党であっても友人は警察に売らない、第一部幕引きのガランスもかっこよかったなあ。うん、みんなかっこいい。
大勢の白い服に呑み込まれて身動きできなくなるバチストのラストシーンが、めちゃくちゃシュール! 自分自身に埋没しちゃったんだな。
しかしこの映画を語るうえで最も重要なのは、登場人物で唯一欠点を持たないのはガランスだけということ。彼女は最後までブレない。裸で桶に入っているときも、ルメートルに執拗に口説かれているときも、伯爵の囲い者になっているときも、5年ぶりに再会したバチストと一夜を共にしたときも、そのあとナタリーが下宿屋にやってきたときも、彼女はブレない。哀しみや苦しみや、悩みを表情に見せない。他の登場人物がみんな、感情のおもむくまま行動しているから、それが際立って分かる。ガランスはしなやかに、したたかに強い。
ガランスが象徴しているのはフランスそのもの。自由、平等、友愛。
ガランスは、天井桟敷の人々を「みんなを愛している」。
第2次世界大戦中、ナチス占領下のパリを逃れ、非占領地区の南フランス・ニースに集まった映画人・演劇人が、6000万フラン(16億円)をかけて製作した贅沢きわまる超大作。世界各国の映画ジャーナリズムによるオールタイムベストで常に上位ランクされる、正真正銘、問答無用、至高の名作。
こんなにも豊かな映画が、今後作られることはあるのだろうか。
80点
#フランス映画の巨匠:マルセル・カルネ