エラ・フィッツジェラルドの代表作
超オススメ! エラ・フィッツジェラルドを聴くなら、まずこの1枚から。
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Verve/ユニバーサルクラシック
Recorded at Aug 16, 1956 - Sep 1957
01 Can't We Be Friends? 3:45
02 Isn't This a Lovely Day? 6:14
03 Moonlight in Vermont 3:40
04 They Can't Take That Away from Me 4:36
05 Under a Blanket of Blue 4:16
06 Tenderly 5:05
07 A Foggy Day 4:31
08 Stars Fell on Alabama 3:32
09 Cheek to Cheek 5:52
10 The Nearness of You 5:40
11 April in Paris 6:33
エラ・フィッツジェラルド(vo)、ルイ・アームストロング(vo,tp)
オスカー・ピーターソン(p)、ハーブ・エリス(g)、レイ・ブラウン(b)、バディ・リッチ(ds)
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1958年8月、エラ・フィッツジェラルド40歳、ルイ・アームストロング57歳のときの録音。個人的な好みでいうと、エラの全アルバムのなかで最も好きなレコードであり、サッチモのヴォーカル・アルバムのなかで一番好きなレコードでもあります。
デュエットに限らず、古今東西あらゆるヴォーカル・アルバムの中から何枚か選ぶとしたら、何を置いてもまず最初に挙げたいレコードであり、老若男女どなたにでもお薦めできるスタンダード・ソング集としても、このアルバムは決して忘れてはならないレコードであります。
二人の不幸な少年少女時代(サッチモは少年院、エラはホームレス)に想いを走らせれば、中年・初老期を迎えた二人の、これまでの苦労の数々、人生の重みもバックグラウンドに存在しています。しかしこのレコードに収められた個々のナンバーに耳を傾けるとき、我々が感じるのは心地よい安らぎであり、暖かくフレンドリーな語らいであります。なによりも嬉しいのは、二人が心ゆくまで楽しんで唄っていること、その人間性、二人の親密な交流までもが、聴き手にじんわり伝わってくることです。
オスカー・ピーターソン・トリオにバディ・リッチを加えた、豪華な伴奏陣も素晴らしいです。
自身がデビュー時には弾き語りピアニストだっただけあって、歌伴でのピーターソンのサポートぶりは実に堂に入ったもので、日頃のアクロバティックなテクニックは押さえ、二人の主役にリラックス・ムードを提供しています。
翌1959年にリリースされた続編の「Ella and Louis Again」も聴きもので、伴奏は本作と同じくオスカー・ピーターソン・トリオ、ドラムスはバディ・リッチからルイ・ベルソンに交代。
19曲収録の2枚組となっています。
エラ・フィッツジェラルドのベストセラー・ディスク
エラ・フィッツジェラルド プロフィール
1918年4月25日、バージニア州ニューポート・ニューズ生まれ。父親のいない貧しい家庭に育ち、15歳のときに母親が死んでからはホームレス生活を送る。
1934年、ハーレムのアポロ劇場で行われたアマチュア・コンテストで優勝。ベニー・カーターの推薦でチック・ウェップ楽団の専属歌手となり、38年に「A-Tisket, A-Tasket」がヒットして人気を獲得。ウェッブの死後も跡を引き継いでバンド・リーダーを勤めていたが、やがてソロ歌手として独立。
46年よりノーマン・グランツのJATP(Jazz At The Philharmonic)に参加。1953年11月のJATP・イン・トーキョー(日劇公演)で初来日。1955年、Verveに移籍し、人気作曲家によるソングブック・シリーズをリリース、好評を博す。
「官能のソプラノ」と呼ばれた声質、歌詞の解釈の的確さ、変幻自在のテクニック、スイング感、すべてについて最高の評価を得て、「ダウンビート」誌の人気投票では20年間(1952〜71年)連続トップの座に輝く。
眼病を患い一時引退、失明が懸念され再起が危ぶまれたが、73年のサマー・ジャズ・フェスティバルで復活。復帰後もノーマン・グランツが新たに立ち上げた Pabloレーベルに精力的に録音、数多くのレコードを残し、グラミー賞を12回受賞。
健康上の理由から1994年に引退。93年、糖尿病の合併症のため、両足の切断手術を受ける。
1996年6月15日、カリフォルニア州ビバリーヒルズにて死去。
享年78歳。