仲間に裏切られ飲まず食わずで荒野を放浪。何度も空を見上げ神に救いを求める。
砂嵐に遭い、絶望の淵で靴に泥水が付着しているのに気づく。水だ、ここに水がある。
がむしゃらに地面を掘る。湧き水が穴に溜まる。
この場所が駅馬車のルートになっていたのは神の恩恵か、ただの偶然か。
男(ジェイソン・ロバーズ)はこの不毛の土地を不動産登記し(廃材をかき集め)粗末な中継所を造作する。
西部開拓時代の終焉を、ペキンパーらしからぬコミカルな場面も交えて描いた人情西部劇の佳編。
茶目っ気たっぷりにオッパイやお尻をアップで撮ったり、コマ落としでスラップスティック喜劇風なショットを入れたり、紙幣の肖像画がニタリと笑ったり。オーバーラップに歌(リチャード・ギリス)をフィーチャーしてムード(雰囲気重視)で見せる。ジェイソン・ロバーズがステラ・スティーヴンスの身体を洗いながらデュエットで歌う楽しい場面もある。
バイオレンス抜き。長閑で牧歌的なサム・ペキンパー。
シリアスとドタバタが混在して、なんとかの脚本術とかシナリオの法則とかの教則本とは無縁の脚本。型にはまった映画ではないので、初めて観たときはストーリーの方向が読めず、裏切り者と再会するまでの流れにいささか混乱した。2回目以降は(結末を知っているし登場人物に愛着もあるので)遊び心を微笑ましく、楽しんで観ることができた(それでもやっぱりデコボコしているとは思う)。
主人公ジェイソン・ロバーズの独り言や、登場人物のセリフが多い。だだっ広い荒野が背景として映っているけど、シーンの作り方、芝居の作り方は舞台演劇のような印象。
アクションが無いわけではないが、フレームの外へと動きが広がらない。人物が場所に固定されているからだろうか。芝居が場面の枠に収まって開放感・躍動感は感じられない。
冒頭で水と馬を奪う裏切り者、ストローザー・マーチンとL・Q・ジョーンズは「ワイルドバンチ」に続いてのダーティ・コンビで登場。時代の変化を察知した主人公から中継所を譲り受けたストロザー・マーチンの演技が素晴らしい。
好色なインチキ牧師のデイヴィッド・ワーナー、気の良い娼婦ステラ・スティーヴンス、強面の銀行家ピーター・ホイットニー、駅馬車の御者スリム・ピケンズ。善人でもないが悪人でもない、だけど良い奴ばかり(「続・夕陽のガンマン」原題の裏返しみたいだな)。
町の良識派に追放された娼婦の話は、「駅馬車」のジョン・ウェインとクレア・トレヴァーのアナザー・ストーリーだろう。ジョン・フォードに憧れていたペキンパーらしい。
デヴィッド・ワーナーの祈りの言葉を繋ぎに使って、自動車事故から埋葬シーンに時間をジャンプさせるラストが上手い。いつか真似したい。
身寄りもなく財産もなく身体ひとつで荒野を歩いていた男、その葬儀に集まった人々。
サム・ペキンパーの人生観が素直に表現されている素晴らしいロングショット。
男が造った中継所は「未来」と「過去」の中継所でもあった。
葬儀を終えて去りゆく者たちが、自動車とオートバイは画面の左へ、馬車や馬は右へと消える。中継所はメタファーとして機能している。
無人となった中継所にコヨーテが水を飲みに現れるラストショットが泣ける。
点