ザ・ユニーク:セロニアス・モンク
February 06 2011
モダンジャズ不朽の名盤25選
セロニアス・モンクを「ミュージシャンズ・ミュージシャン」と称して、一般ファンには不要のジャズメンのように言う人がいたけど、私はモンクの音楽を難解と感じたことは一度もない。こんなに分かりやすい、それでいて親しみやすいジャズは滅多にお目にかかれないくらいに思っている。
名盤ガイド等で必ずとりあげられる『ブリリアント・コーナーズ』と、どっちにしようかと迷ったけど、結局、普段よく聴いている『ザ・ユニーク』を選んだ。
ホーンが加わったジャム・セッション的な演奏やピアノ・ソロよりも、トリオ編成の演奏のほうが取っつき易いし、「ライザ」、「メモリーズ・オブ・ユー」、「ハニーサックル・ローズ」、「二人でお茶を」など、ジャズ・ファンなら誰でも一度は耳にしたことのあるポピュラー・スタンダードばかりが収録されている。これらの曲を、他者の演奏盤と聴き比べることで、モンクのユニークなユーモアが 100パーセント愉しめるはずだ。
モンクの真髄は作曲にある、というご意見には素直に頷くが、オリジナルに触れるのはこのディスクのあとでも遅くはないと思っている。
The Unique Thelonious MonkRiverside 1. Liza (All The Clouds'll Roll Away) セロニアス・モンク(p) 1956年3月17日、4月3日録音 |
モンクのピアノを難解という人もいるが、とんでもない。
見当違いもいいところ。
モンクの演奏は、コード(和音)の捉え方が他のピアニストには見られないヘンテコリンなところがあって、ちょっと不思議(ユニーク)な響きになる。それとアクセントが妙にずれたりして、奇妙(ユニーク)な音の流れを作る。
それだけのこと。
もっとズレた人は、モンクのピアノはヘタウマなどと言う。
モンクは、ちゃんと分かっててやってるのだ。
アポロ・シアターのピアノ・コンクールで、常連優勝者だったこともあった。『ミントンズ・プレイハウス』(Everest/1941年)のころのモンクは、テディ・ウィルソンみたいなスイング系の演奏で普通に弾いている。毒にも薬にもならぬ、屁みたいなピアノだ。
モンクのスタイルが現れるのは、1947年のブルーノート・セッションごろから。
1964-65年の『ソロ・ピアノ』(Columbia)では、ハーレム・スタイルのトラディショナルなストライド・ピアノを弾いている。
狙いどおりのプレイが出来ているのだから、ヘタではない。
モンクはちゃんと分かって、意識的にズレた感覚を楽しんでる。
八木正生氏によると、「いくつかの音を一緒に押さえて手をはなす時、ひとつの音だけを残すやり方がミストーンのようにきこえる」とのこと。
これがモンクの面白さ。
クセになるとやめられない。
『ザ・ユニーク』はリバーサイド移籍後の2作目。
第1弾はエリントン・ナンバーを収録した『セロニアス・モンク・プレイズ・デューク・エリントン』(1955年)だった。
どちらもピアノ・トリオ編成で、オリジナル曲はひとつも入っていない。
モンクが他人の曲ばかりを演奏しているディスクはこの2枚だけ。
モンクのピアノ・スタイルは、バド・パウエル系のモダンジャズ主流とは違うところにあって、他に類似するジャズ・ピアニストは存在しない。
ダラー・ブランドとかマル・ウォルドロンに似たようなタッチが見られるけど、やっぱり根本的なところでぜんぜん違う。
それがセロニアス・モンクのユニーク(個性)であるのだけど、エリントンのピアノにはちょっと似てる。
というか、兄弟のようによく似ている。
1980年ごろ、東芝EMIがエリントンのピアノ・トリオ演奏(キャピトル音源)を日本で編纂したLPを出した。
廉価盤だったので買って聴いたら、まるでモンクのようなピアノ・スタイルなので驚いた。これは主客転倒で、ビリー・ホリデイのあとでベッシー・スミスを聴いたような驚きだろうけど。
エリントンのピアノ・トリオ演奏では『マネー・ジャングル』(UA)が有名だけど、超弩級オールスター・トリオのゴリゴリした演奏。
キャピトル盤はこれとはぜんぜん違う。
まるでモンクのようなピアノだったので驚いてしまった。キャピトル時代のエリントン録音をまとめたボックスに収録されていると思うので、興味ある方は、『プレイズ・デューク・エリントン』とあわせて聴いてみてください。
この時代のピアニストには珍しく、モンクのトリオ・アルバムは、『プレイズ・デューク・エリントン』と『ザ・ユニーク』の他には、『セロニアス・モンク・トリオ』(Prestige/1952-54年)と『ロンドン・セッション』(BlackLion/1971年)しかない。
晩年のブラック・ライオン盤はさておき、「ベムシャ・スイング」、「モンクス・ドリーム」などモンクのオリジナル曲を収録したプレスティッジの『モンク・トリオ』は必聴盤だ。スタンダード曲の「スウィート・アンド・ラブリー」と「ジーズ・フーリッシュ・シングス」は、『ザ・ユニーク』同様ここでも独特(ユニーク)なモンク・スタイルを際立たせている名演。
トリオ・アルバムと並行して聴きたいのは、『セロニアス・モンク・ヒムセルフ』(Riverside/1957年)と『ソロ・モンク』(Columbia/1964-65年)の2枚のソロ・ピアノ盤。静と動、モンクの2つの内面に触れられる。
ロリンズやコルトレーンとの共演盤、チャーリー・ラウズとのレギュラー・カルテット盤は、トリオとソロ・アルバムのあとでいい。
モンクの音楽を難解だとか、評論家やミュージシャン御用達と言ってしまうのは、聴く順番をまちがった不幸な人の屁理屈だと思う。
セロニアス・モンク Thelonious Monk
1917年10月10日、ノースカロライナ州ロッキーマウントに生まれたが、4歳のとき、家族とともにニューヨークに移る。
姉の影響で5歳からピアノを弾きはじめ、11歳から正式な音楽教育を受ける。14歳でアポロ劇場のアマチュア・コンテストに出場し優勝。黒人学生が少ないピーター・スタイブサント高校に進学し、17歳で福音伝道楽隊に入り全米を楽旅。
1940年、ビ・バップ発祥の地とされているハーレムの「ミントンズ・プレイハウス」のピアニストに雇われ、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーらと共演。
1944年にはコールマン・ホーキンス・カルテットで演奏。
ブルーノート・レーベルのオーナー、アルフレッド・ライオンに認められ、1947年10月から1952年5月にかけて、6回のセッションをレコーディング。ケニー・ドーハム、ルー・ドナルドソン、ミルト・ジャクソン、アート・ブレイキー、マックス・ローチらと、「ルビー・マイ・ディア」、「ラウンド・ミッドナイト」、「ストレイト・ノー・チェイサー」、「セロニアス」、「エピストロフィー」「イン・ウォークト・バド」、「ウィル・ユー・ニードント」、「ミステリオーソ」など、モンクの代表的オリジナル曲を演奏録音。
1951年、麻薬の不法所持を理由に逮捕され、60日間の刑務所生活をおくる。モンクには麻薬癖はなく、友人バド・パウエルを庇ったための不当逮捕、冤罪だったとの説が強い。この事件によってモンクは、劇場・飲食店での営業演奏を許可するキャバレー・カードを没収されてしまう。
不遇の時代、彼の生活を支えたのは、1947年に結婚したネリーだった。
1952年、新興レーベルのプレスティッジと契約。
アート・ブレイキー、マックス・ローチ、ソニー・ロリンズ、マイルス・デイビス、ミルト・ジャクソンらと共演し録音を残す。
クラブでの演奏を停止されていたモンクは、1954年6月、フランスのジャズ・フェスティバルに招聘され、ロスチャイルド財閥のパノニカ・ケーニングスウォーター男爵夫人と知り合う。ニカ夫人はモンクのパトロンとして、金銭的、精神的に彼を支援。モンクは彼女に捧げて「パノニカ」を作曲した。
このときの公演をフランスのヴォーグ・レーベルが録音(『ソロ・オン・ヴォーグ』)。これを聴いたリバーサイドのオリン・キープニュースはモンクと契約し、2枚のピアノ・トリオ・アルバムを録音(『プレイズ・エリントン』と『ザ・ユニーク』)。
1956年12月にソニー・ロリンズらと録音した『ブリリアント・コーナーズ』が評判となり、1957年にはジョン・コルトレーンを加えたカルテットでクラブ「ファイブ・スポット」に6ヶ月の長期公演。リバーサイド・レーベルに数々の代表作を録音。
1959年よりテナー・サックスのチャーリー・ラウズをレギュラー・メンバーに加え、1962年、CBSコロムビアに移籍。1963年5月に初来日。
CBSコロムビアでは、レギュラー・カルテットでの演奏のほか、ピアノ・ソロ、オーケストラなど多彩なアルバムを発表。
1970年ごろから体調を崩し、1971年の「ジャイアンツ・オブ・ジャズ」世界ツアーには参加したが、1975年のニューポート・ジャズ祭、1976年のカーネギーホール・コンサート出演を最後に隠遁生活にはいる。ほとんど外出もせず、余生をネリー夫人と共に過ごす。
1982年2月17日、脳梗塞で死去。
遺体はニューヨーク州ハーツデイルのファーンクリフ墓地に埋葬された。