soe006 エド・マクベイン 「殺意の楔」(87分署シリーズ)

殺意の楔 (87分署シリーズ) エド・マクベイン

ハヤカワ文庫(1959-1977)

殺意の楔 (87分署シリーズ) エド・マクベイン
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殺意の楔 (87分署シリーズ) エド・マクベイン
原題「Killer's Wedge」 翻訳:井上一夫

平穏な十月のある昼下がり。87分署の前に黒ずくめの女がひとり立っていた。顔は死神のように蒼白だ。刑事のキャレラに恨みを抱いている。彼に逮捕された夫が獄中で病死したのだ。彼女は署にキャレラがいないと知るや、強引に刑事部屋に押し入った。そして呆気にとられている刑事たちに隠し持った拳銃とニトログリセリンの小壜ををつきつけたのだ! 復讐の鬼と化した女と刑事たちとの熾烈な心理闘争。刻一刻とせまるカタストロフィー。87分署の刑事部屋は、果たして殺人現場となるのか? 息づまるスリルと緊迫感で描くシリーズ屈指のサスペンス!

1956年の『警官嫌い』以来、50年近く続いてきた人気シリーズ「87分署シリーズ」の1編。ストーリーは上記の紹介文にあるように、密室監禁の心理サスペンス。これと平行して、恨みを抱かれた刑事キャレラが捜査している密室殺人のパズル・ミステリーが描かれます。
第1作から50年も経っているのに、登場人物がいっこうに歳をとらない、というのがこのシリーズの特徴(サザエさん方式と勝手に命名)で、結婚したり、恋人を殺されたり、子供が生まれたり、奥さんと別居したり、様々な人生体験をかさねて、登場人物(刑事たち)にはそれぞれ精神的な成長もあるのですが、誰も定年退職しない。50年間、ずっと変わらないまま、日夜犯罪捜査に励んでおります。扱われる事件や風俗は執筆時の年代にあわせてあり、最新作(53作目)の『歌姫』(2004年12月に邦訳出版)は、国際貿易センタービルが破壊された9.11以降に書かれたことが顕著に現れています。
作者のエド・マクベインは2005年夏に亡くなってしまったので、新作はもう望めませんが、未訳のものがあと2冊ほど残っているそうです。50冊もあれば多少の出来不出来はありそうなものですが、どの1冊を取っても水準以上の面白さがあります。

   この小説に現れる都会は架空のものである。
   登場人物も場所もすべて虚構である。
   ただし警察活動は実際の捜査方法に基づいている。

『殺意の楔』はシリーズに脂が乗ってきた第8作目(文庫本の解説に9作目とあるのは間違い)で、分署に勤務する刑事たちの個性にも馴染み、第1作から順を追って読んできた読者には、毎度お馴染みのキャラクター描写だけでも充分満足できます。実はこのシリーズを読んでいた頃、同時進行で池波正太郎の『鬼平犯科帳』も読んでいたのですが、両者には共通した魅力があります。映画『男はつらいよ』シリーズの脚本家、朝間義隆さんも「これはキャラクターで読ませる小説だ」と何処かに書かれていました。そのキャラクター造形がいかに成功しているかは、シリーズが50年も続いてきたという事実が証明している以上、多言は不要でしょう。
未読の方も数冊読めば、確実にハマります。

そんなタイプのシリーズ小説ですが、『殺意の楔』は、これ1冊だけ単独で読んでもかなり愉しめます。というのも本作は50冊を超えるシリーズのなかでも、かなりの異色作なんです。いつもは(実際の警察署がそうであるように)、大小さまざまな事件が時間差攻撃のように同時多発し、それら複数の事件を担当の刑事たちがそれぞれ追っていくという展開(モジュラー型警察小説と呼ばれているそうです)。そこでニューヨークをモデルとした架空都市アイソラの風俗や住人たちがイキイキと描かれるのも、このシリーズの魅力のひとつ。
ところが今回は、突然現れた逆恨み女に刑事部屋をジャックされ、(各々受け持ちの事件があるのに)身動きできないままストーリーが進行。外回りから帰ってきた刑事たちも、次々とカゴの中に閉じこめられてしまう。ただひとり自由に動き回っているのは、女が目的としてるキャレラ刑事だけ。
このキャレラ刑事が捜査している密室殺人事件は、刑事部屋でのサスペンスを盛り上げるために用意されたサブ・ストーリーでしかなく、正直いってあまり面白くない。メインはあくまでも87分署の刑事部屋。ここでマクベインは、趣向を凝らしたサスペンスを手を変え品を変え披露するわけです。
その緩急自在な手際の良さは、監禁小説ナンバーワンと称されるほどで、実に巧妙。タイムリミット・サスペンスの舞台劇を書きたい劇作家は必読。三谷幸喜信者に特にお薦めの1冊。

事件が解決した後の、ラスト3ページは粋で洒落ていて、最高のエピローグ。何度読んでも、自然に頬が緩んできます。娯楽小説はこうでなくっちゃ!

エド・マクベイン Ed McBain (1926−2005年)
高校卒業後海軍に入り、第二次大戦後に除隊して大学入学。その後教師など幾つかの職業を経て出版代理店に勤務。
1954年、かつての教師経験をもとに高校生の非行を描いた『暴力教室』(エヴァン・ハンター名義)が評判となり映画化。1956年より、架空の街アイソラに勤務する警官たちの活躍を描いた「87分署シリーズ」をスタートさせ、警察小説と呼ばれるジャンルを確立。その他、ホープ弁護士シリーズなど著書多数。
1986年にアメリカ探偵作家クラブ(MWA)巨匠賞、1998年にはイギリス推理作家協会(CWA)ダイヤモンド・ダガー賞を受賞。

詳しくはこちら > エド・マクベイン読本(87分署ファン必携!)

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