フーゴー・ヴォルフ
Hugo Wolf(1860-1903)
1860年3月13日、オーストリアのヴィンディッシュグレーツ生まれ。両親はスロヴェニア人で、音楽好きな父親は皮細工職人だった。
1875年ウィーン音楽院に入学し、ピアノと和声を学んだが、いたずらに書いた校長宛の脅迫状が問題となり放校処分となる。以降、独学で多くの歌曲を作曲。「メーリケ詩歌曲集」53曲(1888年)、「ゲーテ詩歌曲集」51曲(1888-90年)、「スペイン歌曲集」44曲(1889-90年)などを発表。名声を獲得。
いっぽう音楽評論家としても活動し、妥協のない辛らつな文章でブラームスを批判。ワーグナー派とブラームス派との対立に油をそそいだ。
1897年9月、梅毒の影響により発狂し、強制入院。翌年1月に退院したものの、すぐに入水自殺を未遂。狂気のまま5年を過ごし、1903年2月22日、ウィーンの療養所にて死去。享年42歳。
ヴォルフは熱中すると1日に2曲も3曲も作曲していたという。それらの歌曲は、極めてデリケートな歌詞の解釈、言葉の持つ本来のアクセントにも気を配り、自然体の美しさ、素朴な肌触りは無類のものである。