アメイジング・バド・パウエル Vol.1
December 29 2010
モダンジャズ不朽の名盤25選
こんなウェブサイトをやっていると、リアル世間の知り合いお友だちから「ジャズ聴きたいんですけど、なにから聴いていいか分からなくて〜オススメあったら教えてくださぁい」と、退屈な質問をいただくことがよくあります。
あほか、ジャズだろうとクラシックだろうと、それを演奏して飯の種にするわけじゃあるめえし、自分がを好きなもんを好きなときに好きなだけ聴けばいいじゃん。聴きたいものがなきゃ無理して聴かなくていいよ。ってな本音を口にすれば、まあ本人はそれでも良いのだけど、相手は「なにその返事、わたし嫌われたの?」みたいな誤解を招くこともあるわけで……
なにも本気でジャズが聴きたいわけじゃなくて、たんなる社交辞令、ご挨拶で「オススメあったら教えてくださぁい」だったりするケースがほとんどなんだろうし。
閑話休題(それはさておき)
ずいぶんまえに「モダンジャズ不朽の名盤25選」というのをリストアップしました。
なにから聴いたらわからないの〜、というご質問をいただいたとき、とりあえずそっち見てくれ、みたいに使おうと思って。
ジャズって音楽も、世間にその名称が知られるようになって 90年くらいになります。
発祥の地ニューオリンズの地名をそのままにニューオリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズといったトラディショナルなジャンルから、白人による白人のための黒人音楽として発展したスウィング・ジャズ、その娯楽版ともいえるダンス・ミュージック。このあたりまでが1940年代までに登場し、ビ・バップ革命が勃発して俄然黒人が自己主張するようになり、その反動としてクール・ジャズが西海岸の白人たちによって演奏され、ビ・バップはハード・バップからファンキー・ジャズに大衆化し、マンネリ化する隙も与えず新しいサウンドが投入されて、サード・ストリーム・ミュージックやらボサノヴァやらアヴァンギャルドやらフリーやらクロスオーバーやらフュージョンやら。ジャズ・ロックってものあったけど。これはジャズなのかロックなのか、もうなにがなんだかさっぱりわからん。
最近はスムース・ジャズって言葉もよく目にしますね。
これらみんなひっくるめて広義のジャズ。
それぞれのジャンルで 200枚くらいの名盤と呼ばれているディスクがあるだろうし。数えたことないからもっとあるかも知れないし、意外と少ないかも知れないが。
早い話、日本の流行歌(いまは J-Pops っていうのか、いつまでこの呼称が通用するか分からんけど)が好きっていう若者に、藤山一郎とかディック・ミネを薦めたりしたら、どうなるよ?
ジジイ認定されるでしょ。
加齢臭を吸い込まないように、鼻つままれちゃうでしょ。
それがこわいのよ。
だって、モダンジャズの名盤って昭和20年代〜30年代の録音よ。
郷ひろみや西城秀樹はもちろんのこと、橋幸夫も西郷輝彦もデビューしてない頃のディスクなのよ。
最近録音のジャズだって聴いてないこともないんだけど、ジャズってレッテル貼って売ってるだけで、実際はジャズじゃないものも数多く出まわっているし。そんなもん無責任にオススメできんのよ。
正真正銘、これがモダンジャズだ! って呼べるのは、やっぱり 1950年代〜60年代に録音されたものになっちゃうのよ。
ジャズも日本の流行歌も同じよ。
時代と共にいろんな変化があるの。変化しないで、40年代から現在まで、ずっと同じようなことやってるミュージシャンもいるけどさ。
逆に若いミュージシャンでも、あえて 40年代の古いスタイルを再現してるケースもあって。
いろいろ複雑なのよ。
それで「モダンジャズ不朽の名盤25選」をリストアップしたので、今回はその第1弾。正真正銘、これがモダンジャズだ!
バド・パウエルの不朽の名盤『アメイジング・バド・パウエル Vol.1 』。
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The Amazing Bud Powell Vol.1Bud Powell 01. Bouncing with Bud 01-11 12-20 |
バド・パウエルが1949年-53年にブルーノートに録音した演奏を、別テイク4曲と未発表1曲を追加して、録音順に収録したデジタル・リマスター完全版。
自由にシンコペイトされた和音を、強烈なタッチで弾きだす左手。情熱的でホーンライクなフレーズを、流動的にめくるめく紡ぎ出す右手。力強く躍動的でありながら耽美な響きを醸しだす。モダン・ジャズの原点=ビ・バップ・ピアノのスタイルを確立し、ピアノ・ジャズの歴史に決定的な影響を与えた、天才バド・パウエルの代表作。
ファッツ・ナバロとソニー・ロリンズをフロントに置いた49年録音の「バウンシング・ウィズ・バド」(1曲目)、「異教徒たちの踊り」(3曲目)、「52番街のテーマ」(4曲目)、「ウエイル」(9曲目)では、このあとナバロと殴り合いの喧嘩があったのではと思えるほど激しいバトル・プレイが聴ける。 1951年のトリオ・セッションもスリリング極まりない白熱の名演。
おすすめの1曲
1951年のトリオ・セッションから「ウン・ポコ・ロコ Take1」。
なんでしょうね、このヘンテコなタイトルは。「ウン・ポコ・ロコ」、笑っちゃうよ。日常生活の場では普通に口に出せない。「ウン・ポコ・ロコ」。語感から日本人は「うんKO」と「TI んぽこ}を連想してしまう。イタリア人だったら違うイメージを持つだろうけど。
マックス・ローチの煽りが凄い。「take1」のしょっぱなから飛ばしまくり。主役の座を奪われてはなるものかと、これにガンガン応じ、スキあらば主導権を奪還しようと躍起になって突っ走るバウエルの猛烈ピアノ。まさに神業。これがモダンジャズだ!
ジャズに癒しを求めている方、ぜひこの1曲を聴いて、心身ともに癒されてください。これで癒されなかったら、モダンジャズに向いてないです。
パウエルが真に天才を発揮していたのは、精神病院で電気療法を受ける前の、『アメイジング Vol.1 』録音の前後 47〜53年で、モダン・ピアノ・トリオの聖書と称される『バド・パウエルの芸術』(47年/Roulette)、バラッド・プレイが美しい『ジャズ・ジャイアント』(49年/Verve)、圧倒的なスピードでピアノが疾走する『ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル』(50年/Verve)、ソニー・スティットとのインタープレイがスリリングな『スティット、パウエル&J.J.』(49年/Prestige)など、名作が揃っている。
ブルーノート・レーベルの稼ぎ頭、「クレオパトラの夢」で有名な『シーン・チェンジズ/アメイジング Vol.5 』(58年/BlueNote)は、再発売されるたびにトップセールスを記録する超人気盤。
晩年の演奏が聞けるパリ録音も、全盛期の迫力こそないが、枯れた哀感が味わい深くファンに根強い人気がある。
バド・パウエル以後に登場したジャズ・ピアニストで、パウエルの影響を受けていないジャズ・ピアニストっていないのよ。
他の楽器だったら、例えばチャーリー・パーカーの影響を受けていないアルト・サックス奏者とか、例えばマイルス・デイビスの影響を受けていないトランペッターとか、いるだろうけど。
パウエルの影響を受けていないジャズ・ピアニストはいない。
もしいたとしたら、そいつはジャズ・ピアニストではない。
そのくらい、モダンジャズに多大な影響を与えた偉大なピアニストです。
あと、音楽とは関係ないことだけど。
パウエルは酒と麻薬で精神おかしくしちゃて、悲惨な死に方してるのね。
そのあたりのことは、パウエルの晩年をモデルにしているデクスター・ゴードン主演のフランス映画『ラウンド・ミッドナイト』(監督ベルトラン・タヴェルニエ/1986年)でも描かれていたけど。
ジャズ・ミュージシャン=麻薬常用者、ジャズ・ミュージシャン=破滅型、ジャズ・ミュージシャン=野垂れ死に……みたいな。
悪しきイメージを作っちゃったのよ。
いちおう音楽家だから、みんながみんな麻薬やってたわけないんだけど、どうも、そういった不良なイメージをもたれちゃってる。
ほとんどのミュージシャンはマジメなんですよ。マイルスなんか(チャーリー・パーカーにずいぶんひどい目に合わされたせいか)かなり嫌ってたそうだし。麻薬やってるって理由からジョン・コルトレーンを馘首にしてるくらいだもの。そのコルトレーンも、麻薬断ちしてからは品行方正、健康第一だったというし。
何千人かのうちの、ほんの一握り。隠れてやってたかも知れないけど。
ビリー・ホリディとか、チェット・ベイカーとか、アート・ペッパーとか。
この3人は、隠しようがないけどね。
バド・パウエル Bud Powell
1924年9月27日、ニューヨークの音楽一家に生まれた。
6歳からクラシック・ピアノを習っていたが、当時の楽壇は黒人に対する偏見が強く、15歳でブロンクスのハイ・スクールを中退し、地元のバンドに加わってジャズの演奏を始める。4歳年上のセロニアス・モンクに気に入られ、41〜43年「ミントンズ・ハウス」でチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらと共演。
1943年、クーティ・ウィリアムス楽団に加入し、44年に初レコーディング。44年末に同楽団を退団した以降は、ニューヨーク52番街をメインに演奏活動を続け、天才バップ・ピアニストとして評判を高めたが、深酒と麻薬によって体調を崩し、45〜47年は入退院を繰り返す。
47年1月、カーリー・ラッセルとマックス・ローチとトリオを結成し、ルーストに初リーダー・セッションを録音(『バド・パウエルの芸術』)。このときの編成(ピアノ、ベース、ドラムス)はピアノ・トリオの基本フォーマットとして定着した。
49〜51年は自己のトリオを率いて「バードランド」などに出演。ヴァーヴ、ブルーノート、プレステッジに名演を残すが、51年8月に麻薬所持の容疑で逮捕される。獄中で再び体調を崩し精神病が再発。ベルビュー病院にて電気ショック治療を受け、53年2月に退院。
53年から59年まで、ときおりレコーディングはあるものの、出来不出来の差が激しく、引退同然の暮らしをおくる。
1959年に家族と共にパリに居を移し、旧友ケニー・クラークらと演奏。このころの演奏は『バド・パウエル・イン・パリ』(63年/Reprise)や『姿なき檻』(64年/BlackLion)、デクスター・ゴードンの『アワ・マン・イン・パリ』(63年/BlueNote)などで聴くことができる。
64年の夏にアメリカに帰国したものの、体調は悪化するいっぽうで、ミュージシャン仲間に小銭を借りたりしながら生活していた。
1966年7月31日、肺結核と栄養失調で死去。享年41歳。