チェット・ベイカー・シングス
January 3 2011
モダンジャズ不朽の名盤25選
モダンジャズ名盤第3弾はチェット・ベイカー。
ラリルレロが3人並んでしまったが、これ、狙ってたわけじゃなくて、選出した25枚を年代順に並べたら偶然こうなってしまったのです。
たぶん、25枚のなかで唯一のボーカル・アルバムとなります。
CHET BAKER SINGS
チェット・ベイカー(vo,tp) 01-14
ラス・フリーマン(p) 01-14
ジョー・モンドラゴン(b) 12
シェリー・マン(ds) 12
カーソン・スミス(b) 07-11, 13-14
ボブ・ニール(ds) 07-11, 13-14
ジミー・ボンド(b) 01-06,
ピーター・リットマン(ds) 01, 02, 05
ローレンス・マラブル(ds) 03, 04, 06
01 That Old Feeling (3:03)
02 It's Always You (3:35)
03 Like Someone in Love (2:26)
04 My Ideal (4:22)
05 I've Never Been in Love Befor (4:29)
06 My Buddy (3:19)
07 But Not for Me (3:04)
08 Time After Time (2:46)
09 I Get Along Without You Very Well (2:59)
10 My Funny Valentine (2:21)
11 There Will Never Be Another You (3:00)
12 The Thrill Is Gone (2:51)
13 I Fall in Love Too Easily (3:21)
14 Look for the Silver Lining (2:39)
Recording Date: October 1953 - July 1956
Pacific Jazz
数多いチェット・ベイカーのレコードの中でも、最も人気が高いヴォーカル・アルバム。余計なフェイクを加えず、ノン・ビブラートでクールに(隠微な香りを漂わせて)唄うチェットの声とシンプルなトランペット演奏。有名なスタンダード・ナンバー14曲が、独自のカラーで繊細に染めあげられ、延べ4回のセッションに統一感をもたらしています。
リチャード・ロジャース=ロレンツ・ハートの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」は、この曲の決定的名唱。
長い間、ジョー・パスのギターをオーバーダビングした疑似ステレオ盤しか流通していませんでしたが、80年代にオリジナル・テープが発見され、本来の形でCD化されました。
しかし世界は広い。おそろしく評判の悪いギター入りアルバムを、サウンド・グッドなどと言って喜ぶ人もいる。おれはゴメンだけどね。
隙間だらけの歌唱法は胃にもたれないから聞き流すのに最適。
オシャレ居酒屋の定番BGMとなっております。
クールに、感情の片鱗もみせないで歌うチェットの微声を、オカマのぼやきと言って嫌悪する人は多いです。
声質が中性的なのもあるけれど、感情を込めないで、まるで他人ごとのようにサラリと歌詞を流して歌うからジャズっぽく聞こえない、物足りないと言う人もいます。
一聴して、ハタと膝を叩き、鉦太鼓鳴らして褒め上げるようなタイプの歌手じゃないですからね。
ジャズ温泉にどっぷり浸かっているファンのあいだでも、好き嫌いが極端に分かれるのがチェット・ベイカー。
ジャズを聴き始めたばかりの人は、ここに収録されている14曲の中から気に入ったメロディを数曲選び出し、ほかのプレイヤーの演奏なり歌なりと聴き比べしてみてください。
そのなかに、ドンピシャリ、あなたの嗜好にベストマッチなジャズがあるかも知れません。
自分だけのドンピシャ盤を探すことも、ジャズを末永く愉しむためのひとつの手段です。
いろんな演奏や歌を聴き比べしているうちに、初めて聴いたときは気持ち悪く感じていたチェットの声が、如何に個性的であったのか、気付くこともあるでしょう。
それはさておき、麻薬はおそろしい。
ジャズ界きっての美青年だったチェットが、こうなってしまうのよ。
トランペット吹きにとって生命線ともいえる前歯をヤクザに抜き取られてしまったり、旅行中のホテルで不審死してしまったり。ロクなことがない。
麻薬にだけは手を出さないほうがいい。
法律はちゃんと守りましょう。
チェット・ベイカー Chet Baker
1929年12月23日オクラホマ州エール生まれ。1988年5月12日、アムステルダムにて、滞在中のホテルの2階から転落して死亡。享年58歳。
ハイスクール時代にトランペットを始め、46〜48年、陸軍に入隊し軍楽隊に所属。除隊後、LAのエル・カミノ・カレッジで楽理と和声を学ぶが、 50〜52年、再び軍楽隊に戻る。この頃より盛り場のジャム・セッションに参加するようになる。
52年、ジェリー・マリガン・カルテット(ピアノレス)のレギュラー・メンバーとなる。西海岸を楽旅中だったチャーリー・パーカーに見出され、急遽、彼のツアーに参加。ウエストコースト・ジャズの先鋒として脚光を浴びる。
53年、自己のコンボを結成、初めてのリーダー・セッションを録音。一般にこの時期(50年代)がチェットの絶頂期とされ、Pacific JazzやRiversideレーベルに残した録音(人気のヴォーカルものを含む)はどれをとっても好演揃い。
西海岸とヨーロッパを中心に活躍していたが、1959年に麻薬所持で刑務所に入り、60年代後半は演奏・録音の機会が激減。1970年に麻薬売買のトラブルで前歯を抜かれ、引退を余儀なくされる。
73年夏、ニューヨークで奇跡のカムバックを果たす。以前と変わらぬトランペット・プレイと歌声に、ファンは驚喜した。
来日しない最後の大物ジャズメンと呼ばれていたチェットも、1986年に初来日。このときのライヴ演奏は晩年期のベスト・プレイのひとつ。2枚組の実況盤『Chet Baker in Tokyo』(Evidence)で聴くことができる。