サキソフォン・コロッサス:ソニー・ロリンズ
January 15 2011
モダンジャズ不朽の名盤25選
この特集連載が 10枚選出であったとしても、5枚選出であったとしても、絶対にはずせない名盤中の名盤。漢のモダンジャズ決定盤。
Saxophone Colossus Sonny RollinsPrestige 1. St. Thomas ソニー・ロリンズ(ts) 1956年6月22日録音 |
豪快かつ男性的な音色とフレーズで人気を得たテナー奏者、ソニー・ロリンズの最高傑作。人間味あふれるおおらかでホットなプレイの「モリタート」。ラテンリズムが楽しい「セント・トーマス」。エモーショナルなバラード演奏の傑作「あなたは恋を知らない」。フラナガン、ワトキンス、ローチの完璧なリズムセクションをバックに、典型的なワンホーン・ジャズの醍醐味を満喫させる「ブルー・セブン」。録音から50年以上を経た現在でも輝きを失わない、モダンジャズ史に残る不動の名盤。
最近の世情にとんと疎いので、かなり偏向というか認識が間違っているかも知れんが、このところ「歴女」なるものがブームだそうですね。歴史上の人物、特に戦国期の武将たちをアイドルと崇め、その伝説となったキャラに「萌え」ている女性を指すらしい。片やセックスレスのふにゃまらイケメン男子を「草食系」と称し、これまた「萌え」だそうで。
惑乱困窮の萌え列島。どうするどうなる日本男児!
そんなことはどーでもいいが……
40年代後期に勃発したビ・バップ革命により、50年代のジャズ・シーンはまさに下克上の戦国乱世。白人による白人のための娯楽音楽だったはずのジャズが、黒人の、しかも若い世代の台頭によってドガジャガに掻き回され、栄耀栄華を極めたスイング、ダンス・ミュージックの牙城をまたたく間に壊滅させてしまったわけで。この時期に登場するチャーリー・クリスチャン、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、セロニアス・モンク、バド・パウエル、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガス、マイルス・デイビスなどなどの黒人ミュージシャン(こうやって並べてみると、どいつも喧嘩が強そうな奴らばかりだな)は、戦国武将に例えられてもおかしくないだろう。
浅学無教養の身で大変恐縮だが、ジャズが白人による白人のための娯楽音楽だったなどと書くと、そりゃ違うだろと反論してくる人もいるので、ちょっこし説明。
もともとニューオリンズなど南部の売春街で、主に黒人たちが提供していた、西洋楽理(いわいる楽典)に則らないヘンテコ風味の音楽を、JAZZ(または JASS)と命名したのは白人ジャーナリズム。ニューオリンズで演奏していたコルネット奏者のバディ・ボールデン(黒人)は、後年、初代ジャズ王と呼ばれるようになるが、彼が精神病を患って引退した1907年の時点で、彼の音楽はまだジャズと呼ばれていない。彼ら黒人ミュージシャンの多くは楽譜を読めず、曲を耳コピで覚え、黒人社会に伝わる教会音楽(ゴスペル)や俗曲(ブルース)のフレーズやコードを即興で折り込みながら演奏していた。
レコード史上初のジャズ吹き込みをしたオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド( Original Dixieland Jass Band:ODJB )のメンバーはオール白人。これが東部の白人たちに大ウケし、ジャズは一般で用いられる言葉となった。
レコードとラジオが普及し、映画がトーキー化されると、ジャズは商業ルートに乗り、アメリカの都市部にジャズ・エイジと呼ばれる文化が発展。第一次世界大戦の軍需労働力を補填するため南部の黒人たちはシカゴを経てニューヨークへ。黒人ミュージシャンも東部へ流れ、白人と一緒にステージに立ち、白人たちと一緒にレコーディングするようになる。
しかし、それら娯楽音楽の消費者はオール白人。
アイルランド系ギャングの親分オウニー・マドゥンが、1923年にハーレム地区にオープンした高級クラブ「コットン・クラブ」は、出演者や給仕スタッフは黒人だが、客はオール白人。黒人客お断りの店だった。
1950年代までは、白人と黒人の住み分けがはっきりしていた。
現在レコードとして残っている当時のジャズ録音は、白人向けに制作販売されたものばかり。
20世紀に入って急速に経済力を伸ばしてきたアメリカでは、黒人たちの生活も(奴隷時代よりは)豊かになり、ラジオや蓄音機を買える者たちも現れた。しかし、彼らが聴くのは白人向けに演奏されるジャズではなく、レイス( Race Music )。
劇場も白人向けと黒人専用に分けられ、映画や演物も黒人向けに作られていた。
1865年に奴隷制度が禁止され法律上では解放されていた黒人たちだったが、公共施設での黒人分離は人種差別に当たらないとする考え方は根強く残り、1950年代末に公民権運動が起こるまで、ほとんど一般常識となっていた。
21世紀の現在でも、アフリカ系の血を引くオバマ大統領に人種差別的発言を行う白人政治家やマスコミ関係者は多数存在する。
Race は、いまではアメリカでは僭称語扱いされ、リズム&ブルース( R&B )とかブラック・コンテンポラリーとかに名称変更され、白人も聴いたりしている。
裕福な白人男性が黒人女に孕ませて産まれたのがクレオール。
彼らのなかには白人と同等の教育を与えられ、西洋楽典に詳しい者もいた。
クレオールのミュージシャンは譜面に強く、いきあたりばったりの即興性が強い黒人のジャズを、口当たりの良い白人向けジャズに発展させるのに役立った。
面倒くさくなってきたので……中略。
20年代〜50年代に製作された古いハリウッド映画を見てください。
スイング時代にダンスホールで飲み食いし踊っているのは白人ばかりでしょう。演奏しているバンドのリーダーは白人が多い。
ベニー・グッドマン楽団、アーティ・ショウ楽団、バニー・ベリガン楽団、チャーリー・バーネット楽団、ポール・ホワイトマン楽団、レイ・ノーブル楽団、レッド・ニコルスとファイヴ・ペニーズ、グレン・ミラー楽団、トミー&ジミー・ドーシー楽団、レス・ブラウン楽団、ウディ・ハーマン楽団、スタン・ケントン楽団。
つまり、そーゆーことです。
以上のような経緯を経てきたジャズの歴史に異議を唱え、黒人音楽の復権を訴えたのが、デューク・エリントンであり、マックス・ローチであり、チャールズ・ミンガスであり、今回の主人公ソニー・ロリンズであったりするわけですが……
この続きはまた別の機会に。
ソニー・ロリンズの魅力は、豪快な音色とおおらかなアドリブ・フレーズ。
いわいるロリンズ節、これに尽きます。
1981年7月、田園コロシアムでの「ライブ・アンダー・ザ・スカイ '81」のステージは忘れられません。豪雨のなか聴いた「セント・トーマス」、「アルフィーのテーマ」「ドント・ストップ・カーニバル」……凄かったっす。
何度も来日しているロリンズですが、おれにとってはこれがロリンズ初体験、最初のステージ。
あの伝説のジャズ・ジャイアンツの演奏が生で聴けるのだと、胸の高まりを抑えきれず、電車が止まるかも知れない危険をかえりみず、行きましたとも。
(実際、帰りの電車は止まっていました)
30年前、神保町の純喫茶「響」のカウンターにて。
いやー、ロリンズ良かった凄かったっすよー、などとマスターと談笑していると、隣にいた常連さんから、だけど『橋』(RCA/1961年録音)以降のロリンズってダメになったと聞きいてますけど、と絡まれたんですね。
ジャズも何年か聴き続けてると誰でも一家言持つようになって、独自の意見や主張を開陳したくなるものです。これはおれもそう。あなたもそう。みんなそうなるのよ。ジャズに限らず趣味に翻弄される一般凡人は、みんなそういう風に小生意気なこと口にしたくなるものなの。
相手はおれより年上だしジャズ歴も長そうだし、困ったな〜と愛想笑いしてたら、これまた常連で知的論理派のセキヤさん(仮名)が、この人はロリンズの音色にぞっこん参っちゃってるんだよ、だからどのレコードが良いとか悪いとかは関係なくて、ロリンズだったら全部好きなんだよ、と助け舟を出してくださいました。
そうなのよー、全部好きだから世間の評価とか関係ないのよー。
ロリンズが、ぶおぉーって音出しただけで圧倒されちゃうからねー。
冷静に考えてみると、やっぱり 1956-57年に録音された『ワークタイム』(Prestige)、『ベイズン・ストリートのクリフォード・ブラウン&マックス・ローチ』(EmArcy)、『ソニー・ロリンズ・プラス・フォア』(Prestige)『テナー・マドネス』(Prestige)、『サキソフォン・コロッサス』(Prestige)、『ロリンズ・プレイズ・フォー・バード』(Prestige)、『ソニー・ボーイ』(Prestige)、『マックス・ローチ・プラス・フォア』(EmArcy)、『ジャズ・イン・3/4・タイム:マックス・ローチ』(EmArcy)、『ブリリアント・コーナーズ:セロニアス・モンク』(Riverside)、『ウエイ・アウト・ウエスト』(Contemporary)、『サウンド・オブ・ソニー』(Prestige)、『ソニー・ロリンズ Vol.2』(BlueNote)、『ビレッジ・バンガードの夜』(BlueNote)、『ソニー・サイド・アップ』(Verve)が出来がよいです。
このなかでは『サキコロ』と『ウエイ・アウト・ウエスト』の2枚が突出して語られること多いけど、ロリンズに関してはどれも同じ、遜色なし、全部ロリンズ節、どこを切っても金太郎。たった2年でこんなに録音してるのも凄いでしょ(56−57年の録音はあと何枚かあります)。
ひところ『オン・インパルス!』(Impulse!/1965年)ばかり聴いていたこともあったし、『アルフィー』(Impulse!/1966年)のテーマはもちろん外せない。
ヒットチューンの「セント・トーマス」「モリタート」「アルフィー」をブイブイ吹きまくる『イン・ジャパン』(Victer)もだんぜん楽しい。RCA盤は近年リマスター盤が出て、その録音の良さにびっくりしちゃったな、もう。
つまり……ロリンズは全部良いので、『サキコロ』だけで終わらせないで、他のディスクも聴いてください。
ソニー・ロリンズ Sonny Rollins
1930年9月7日、ニューヨーク生まれ。
11歳からアルトサックスを始めたが、近所に住んでいたコールマン・ホーキンスに影響を受けてテナーに転向。ハイスクール卒業後にプロとして活動開始。ファッツ・ナバロやバド・パウエルなど、ビバップの巨匠と共演し、1949年1月20日、J.J.ジョンソンらと初レコーディング。
1951年から半年間マイルス・デイビスのコンボに加わり、しばらくはニューヨークで演奏していたが、54年秋にシカゴに移り、地元のローカル・バンドで演奏(最初の引退)。
1955年、クリフォード・ブラウン=マックス・ローチのクインテットに参加。ブラウニーの事故死によりクインテットは解散したが、マックス・ローチとのコラボレーションでモダンジャス史に残る『サキソフォン・コロッサス』(Prestige)を録音。1957年、ピアノレス・トリオでビレッジ・バンガードに出演、自信に満ちたプレイを繰り広げ不動の名声を獲得。セロニアス・モンクの野心的なジャムセッション『ブリリアント・コナーズ』(Riverside)の録音にも参加。西海岸のリズム・セクションを得て歌心溢れるアドリブを披露した『ウエイ・アウト・ウエスト』(Contemporary)など注目作を連発。伝統的なコード分解に基づくアドリブ・プレイの頂点を極める。
人気の絶頂にあった1959年8月、突然プレイを中断してジャズシーンから引退。禁酒禁煙のストイックな生活で精神修養につとめ、ウィリアムズバーグ橋で黙々と楽器の練習に明け暮れる毎日を過ごす。その間、後進のジョン・コルトレーンは大きな変容をみせ、フリージャズの旗手オーネット・コールマンも登場。モダンジャスの伝統を覆す異変が起きていた。
61年11月、ジャズ界に復帰すると RCAと契約し、恩師コールマン・ホーキンスとの共演盤を発表。また、ドン・チェリーやビリー・ヒギンズをメンバーに加え前衛的なアプローチをみせてファンを驚かせた。マイノリティ問題を啓発するため、あたまをモヒカン刈りにしたのもこの頃。
1965年にインパルスと契約し4枚のアルバムを発表すると、精神修養のためインドを旅し、69年に再び隠遁。1972年に再度復帰。
以後、円熟のプレイでコンスタントに活躍。ローリング・ストーンズのアルバムに客演したり、フュージョン・サウンドを取り入れたアルバムも発表。
1985年、ニューヨーク近代美術館において無伴奏ソロ・コンサートを開催。1986年には「テナー・サックスとオーケストラのための協奏曲」を作曲。同年5月18日、イッキ・サルマント指揮 読売日本交響楽団の演奏で東京にて初演。
1961年の初来日以来、何度も日本のステージに立ち、その度に豪放磊落な名人芸でファンを熱狂させている。