ジェリー・ゴールドスミスを聴く(1)
August 6, 2004
「うちゃこROOM」のうちゃこさんが作った、MV系映画音楽の聴きどころ・聴かせどころを短くつないだサントラ・メドレー集がことのほか面白かったので、自分も真似して作ってみようかと……
冒頭は20世紀フォックス・ファンファーレから「風と共に去りぬ」のタラのテーマ、そのあとマックス・スタイナーやアルフレッド・ニューマンなど、往年の作曲家たちによる名曲を1分前後の長さでこちょこちょ編集したりして……最後の方は、コルンゴルトやワックスマンやローザの剣劇アクション音楽をてんこ盛りにして、ひっちゃかめっちゃかになっちゃいましたけど……
往年の映画のサントラ盤は音量レベルがまちまちで、70年代の録音でもノイズが多かったり、逆に40年代の録音とはにわかに信じられないくらいクリアなものがあったりします。
音楽編集ソフトを使って、音量をノーマライズしたりノイズ・フィルターで洗ったりすれば、違和感がないくらいに上手く編集できるのですが……
今回は音量のレベルを均一化するのが面倒だったので、ほとんどSILVA SCREENのカバー演奏盤で作りました。
で、そんなことやって遊んでいて、
偶然、『エイリアン』のエンド・タイトルを聴いてしまいました。
先月の訃報以来、意識して避けてきたジェリー・ゴールドスミスの音楽です。
ゴールドスミスが亡くなった。
その第一報を目にしたときの感情は、言葉では表せません。
長く体調不良が報じられていたので、突然の訃報に驚いたわけではなく、かといって、来るべき時が来た、といった諦観みたいなものもありませんでした。
当日、あちこちのサントラ・サイトにJGの訃報と追悼の言葉があふれました。しかし、自分には言葉が出てきません。
JGの死を、ネット上のお祭り騒ぎにしたくない、そんな気分でした。
これは極めて私的な感情のなかで起こったことです。JGの死去に関して言葉を述べられたファンの方々を非難するものではありません。
私自身、有名人の訃報をキャッチするたびに、これまで幾度も「○○が亡くなりました」と、自分のサイトや懇意にさせていただいているサイトの掲示板に書き込んできました。
今回の訃報も、某サントラ・サイトの掲示板で知りました。
情報を提供してくださった方に感謝はあっても、非難する気持ちは微塵もありません。
追悼の言葉を書き込みされていた方々にも、悪い感情はまったく抱いていません。
ただ、私はそれらの中に入っていきたくない。加担したくない気分でした。
同様の奇妙な気分は、今年5月にエルビン・ジョーンズが亡くなったときも、味わっています。
この世界最高峰のジャズ・ドラマーとは何度も顔を合わせ、Jazz喫茶のカウンター席で(拙い英語で)言葉も交わしたりもしていたので、特別なんだろうと思っていました。
彼もまた、来日公演中にステージを途中で降りて控えのドラマーと交替したりとか、体調不良のニュースは頻繁に流されていたので、死去が報告されても驚きませんでした。
しかし、エルビンが亡くなったということに関して、どのような態度で接していいのか分からず、彼の音楽(CD)にも触れたくない気分になりました。
過去に演奏(録音)された音楽を聴くことが、彼の死を全面的に受け入れてしまうことになる。それが怖いというか嫌なので聴かない……そんな理由なのかも知れません。
退行とか逆行とか呼ばれる(詳しくは知りませんが)極めて幼児的な精神状態に陥ってしまったようです。
そのようなわけで(どんなわけなのか自分でもまだ分かっていないのです)、ずっとJGの音楽はタブーになっていたのですが……
偶然、『エイリアン』のエンド・タイトルを耳にしてしまいました。
SILVA盤のカバー演奏は、ニック・レイン指揮のシティ・オブ・プラハ・フィルです。スコアはアーサー・モートンがオーケストレーションしたものを使っているので、独自の解釈は加えられていません。基本的にオリジナルに則した演奏になっています。
ですが、リードをとるトランペットのブレスが気になったので、クリフ・エイデルマンが1996年にロイヤル・スコティッシュ・ナショナル・オーケストラを指揮したVarese Sarabande盤『エイリアン・トリロジー』と聴き比べてみました。
こちらのトランペットはスムーズです。ブレスの位置も気になりません。
よく映画雑誌などに、ロイヤル・スコティッシュの演奏は(音の強弱、テンポの緩急)が派手だと書かれていますが、私には逆に繊細に聞こえます。
音楽の専門家が書いている記事に、素人の私がケチをつけても信憑性はないでしょうけど。
そこで、こんどは1997年に同じくロイヤル・スコティッシュ・ナショナル・オーケストラを作曲者のゴールドスミス自身が指揮した、『フロンティアーズ』(Varese)を聴いてみました。