マックス・ブルッフ
Max Bruch(1838-1920)
1838年1月6日、プロシャの首都ケルンに生まれたマックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフは、19世紀後半のドイツを代表する作曲家で、オペラから交響曲、室内楽、歌曲、合唱曲まで幅広いジャンルに作品を残している。
歌手であった母親から音楽の手ほどきを受け、ボンの学校に進学。14歳で最初の交響曲を作曲。モーツァルト協会から4年間の奨学金を授与され、ケルンでフェルディナント・ヒラー、カルル・ライネッケ、ブリューニングに師事。1858年より3年間、ケルンで音楽教師を務めていたが、その間、ゲーテの詩をテキストにした喜歌劇やガイベルの詩「ローレライ」をもとにした三幕のオペラを作曲、マンハイムで上演している。
1865年、コブレンツ音楽協会の音楽長、ついでシュヴァルツブルグ大公の宮廷音楽長に就任。1878年、ベルリンに出てシュテルン声楽協会の指揮者となり、1880年にはイギリスに渡り、リヴァプール・フィルハーモニック協会の首席指揮者に就任。1881年、ソプラノ歌手のトゥチェックと結婚。3年間をイギリスで生活したのちドイツに戻り、ブレスラウ演奏協会にて指揮者を、1891年よりベルリン高等音楽院にて教授職を歴任。
ケンブリッジ大学より音楽博士の称号、プロシャより勲功章を授与され、フランス・アカデミーの客員にも推薦されている。
1920年10月2日、ベルリンのフリーデナウにて死去。享年82歳。
以上のように輝かしい職歴と数多くの作品を残したブルッフだったが、悲劇は彼の死後にやってきた。
1933年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)はアドルフ・ヒトラーを首相に任命。立法権を政府が掌握、ナチス党以外の政党の存続・結成を禁止、独裁体制が確立された。
チェロ独奏と管弦楽のための「コル・ニドライ」やオペラ、歌曲・合唱曲など、ブルッフの作品にはしばしばユダヤ的主題が垣間見えたため、当局は、ブルッフにユダヤ人の血が流れていたのではないかと嫌疑をかけ、1935年、生国のドイツではすべての作品が演奏・上演禁止となった。
ブルッフの作品はその旋律の美しさとロマンティックな響きが魅力だが、現在、頻繁に演奏されるのは「ヴァイオリン協奏曲第1番」「スコットランド幻想曲」「コル・ニドライ」の3曲に限られている。室内楽曲や歌曲・合唱曲など作品の多くは演奏される機会が皆無に等しく、一日も早い再評価の声が望まれている。
これだけは聴いておきたいブルッフの名曲
「ヴァイオリン協奏曲第1番」「スコットランド幻想曲」「コル・ニドライ」