グスタフ・マーラー
Gustav Mahler(1860-1911)
生年の出来事……米国大統領にリンカーン当選/桜田門外の変(安政7年/万延元年)
没年の出来事……帝国劇場(日本初の洋式劇場)開場(明治44年)
グスタフ・マーラーは、1860年7月7日にボヘミアのカリシュトに生まれました。農村の居酒屋主人を父として生まれたマーラーは、早くから非凡な才能を発揮し、15歳でウィーンの音楽院に入学。同期には同じ1860年生まれのフーゴー・ヴォルフもいました。
1879年、ハレの歌劇場の指揮者に迎えられたマーラーは、ライバッハ、カッセル、プラハ、ブタペスト、ハンブルクなどの歌劇場で指揮者を歴任。転任のたびに地位を高め、1897年にはウィーン宮廷歌劇場の正指揮者に就任。指揮者として最高の名誉を得た彼は、1907年にアメリカに渡りニューヨーク・フィルハーモニックの指揮台に立ちます。1910年にはミュンヘンにて、交響曲第8番「千人の交響曲」を自らの指揮で初演。自作自演で初めての成功をおさめます。しかし病を悪化させ、すぐにウィーンに戻ったものの、1911年5月18日、敗血症で死去。享年50歳でした。
一方、作曲家としてのマーラーは、リヒャルト・シュトラウスとともにドイツ後期ロマン派音楽を、その究極点に導いた一人として位置づけられています。マーラーは室内楽曲や器楽曲も青年時代に手掛けていますが、創作活動の主体となるのは交響曲とオーケストラ伴奏付きの歌曲で、特にナンバーが付された9曲と「大地の歌」の交響曲によって、シンフォニストとしての名声を築きあげました。これらのマーラー作品には、独特のペシミズムと死に対する深い洞察が濃厚に反映されており、そうした終末感・無常観が、いまでも多くのファンを魅了しています。