フェリックス・メンデルスゾーン
Jacob Ludwig Felix Mendelssohn(1809-1847)
生年の出来事……ヴァグラムの戦い(ナポレオン戦争)/間宮林蔵の樺太探検(文化6年)
没年の出来事……リベリアがアメリカ合衆国より独立/水戸家慶喜が一橋家を相続(弘化4年)
フェリックス・メンデルスゾーンは、1809年2月3日、ハンブルクの富裕な銀行家の家庭に生まれました。一家は1812年にベルリンに住居を移しましたが、ユダヤ人として迫害を受けることが多く、フェリックスの家族は、1822年にユダヤ教からプロテスタントのルーテル派に改宗、姓に「バルトルディ」を加えました。
フェリックスは、20歳になったとき、3年がかりでヨーロッパ周遊の旅に出ています。このときの経験は、「フィンガルの洞窟」や「イタリア」交響曲として、後年の作品に反映されました。またルネサンスやバロック時代の音楽を深く研究し、1829年にJ.S.バッハ「マタイ受難曲」の復活上演を成功させています。「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と評され、いっきに名声を高めたメンデルスゾーンは、1835年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の第5代指揮者に就任。シューベルトの遺作である交響曲第8番の初演を指揮し、過去の作品でも価値あるものは敬意を払って演奏するという方針のもと、ベートーヴェンなどの音楽を積極的に取り上げ、忘れられていた名曲の数々を蘇生させました。
メンデルスゾーンの音楽は、古典派作曲家が築き上げてきた形式・スタイルの尊重と、文学、自然、歴史など音楽以外の文化を反映させたロマン派としての側面を併せ持ち、音楽史的にも重要な位置にあります。しかし、19世紀末から始まったユダヤ人排斥の風潮によって、彼の音楽は演奏される機会が減少。ナチズムが猛威をふるった20世紀前半は、彼が積極的に紹介してきたベートーヴェンやシューベルトの隆盛とは逆に、メンデルスゾーンが演奏会場から消えるという、皮肉な状況に陥ってしまいます。第2次世界大戦がドイツの敗北で終結し、1960年代になってようやくレコードも録音され、再評価されるようになりました。