ニコロ・パガニーニ
Nicolo Pagannini(1782-1840)
生年の出来事……タイ王国でラーマ1世即位/天明の大飢饉はじまる(天明2年)
没年の出来事……アヘン戦争勃発/ジョン次郎吉、イギリス船にてハワイ出帆(天保11年)
1782年10月27日、北イタリアのジェノヴァに生まれたニコラ・パガニーニは、5歳のころからヴァイオリンを弾き始め、11歳のころから演奏活動を開始。
三度のダブル・トリルや甘美な二重フラジョレット、左手のピツィカートなど、それまで誰も試みなかった技法を駆使した演奏で人気を獲得。西洋音楽史上最高のヴァイオリニストとされています。
パガニーニは、その超絶技巧を活かした数多くのヴァイオリン曲を作曲していますが、現在楽譜が確認できるのは、6つの「ヴァイオリン協奏曲」や「24のカプリース」などごく僅かしかありません。
これは、他人に技術を盗まれるのを恐れたパガニーニが、楽譜出版を生前に一切おこなわなかったことと、遺族が楽譜を含む遺品のほとんどを焼却してしまったからです。
なぜそのようなことになったのか?
ヴァイオリンの鬼神と呼ばれたパガニーニには、膨大な数の奇怪なエピソードがあります。
パガニーニは幼いころから病弱で、身体は痩せ、肌は浅黒く、鬼神と呼ばれるのにふさわしい容貌だったそうです。超絶技巧を可能にした柔軟な手首や長い指も、マルファン症候群(先天異常症による結合組織病:遺伝障害、遺伝病)に罹っていたためとも言われています。
慢性の咳など体調不良に悩まされ、体内の毒素を抜くために常時下剤を飲み、1823年に梅毒と診断されると、水銀とアヘンを用いた治療を始めます。やがて水銀中毒になって演奏を続けられなくなり、1834年ごろに引退。1840年5月27日にニースで臨終を迎えますが、死因は水銀中毒による上気管支炎、ネフローゼ症候群、慢性腎不全、喉頭結核もしくは喉頭癌と、様々な説があります。
青年期のパガニーニは、恋愛と賭博を好み、演奏会の前日に愛用のヴァイオリンを博打で巻き上げられたこともあります。
ある演奏会で儲けた金を貧しい女性に全部あげたとか、美談めいた話もありますが、ナポレオン1世の妹のエリーズ・ボナパルトやポーリーヌ・ボナパルトと愛人関係を持ったため、投獄されたこともあります。
博打で楽器を失ったパガニーニに、リヴロンという商人がグァリネリ晩年の名器を貸与。あまりの素晴らしい響きに驚嘆したリヴロンは、パガニーニ自身が一生使用することを条件に楽器を譲渡。パガニーニはこのヴァイオリンを「カノン」と命名し、生涯愛用しました。
パガニーニの秘密主義は徹底していて、自作を発表する際にも、楽団員にパート譜を渡すのは演奏会の数日前で、演奏会終了後にすべて回収。リハーサルでは自身のソロ・パートは一度も練習せず、本番ではじめてオケとあわせるという具合でした。
パガニーニの技法が人間離れしていたことから、彼は悪魔に魂を売り渡した代償としてヴァイオリンの技を手に入れた、などと噂されるようになりました。
ある日の演奏会で、パガニーニの熱演によって、ヴァイオリンの弦が切れました。しかし彼は中断することなく、前よりも増して激しく演奏し、また1本、そして1本と弦は切れ、ついに最後の1本が切れても、なおヴァイオリンから音が鳴り続けていた、というエピソードも残っています。
今から200年前の話ですから、このような噂を本気にする人も多かったのでしょう。彼の演奏が始まる前に十字架を切ったり、周囲に黒い影がまとわっていないか目を凝らしていた聴衆もいたそうです。またパガニーニ自身も、そうした奇怪なエピソードを宣伝に利用していたと思われます。
しかしそのような不気味な噂が半ば本気で信じられていたため、彼の死後、遺族は遺品のほとんどを焼却してしまいました。膨大な数あったはずの楽譜もそのとき失われてしまったのです。
また彼の遺体は教会から埋葬を拒否され、防腐処理を施されて各地を転々とし、死後86年を経た1926年に、ようやくジェノヴァの共同墓地に安置されました。
以上のように、奇々怪々なエピソードに事欠かない人物(博打打ちで女たらしでオカルト好き)であったため、パガニーニを題材にした映画も製作されています。
「魔法の楽弓」(1946) ビデオ改題「令嬢ジャンヌ パガニーニ物語」
「パガニーニ・ホラー 呪いの旋律」(1988)
「パガニーニ」(1989)
1946年の「魔法の楽弓」は、スチュワート・グレンジャー、フィリス・カルヴァート主演。ニコロとヴェルモン伯爵の令嬢ジャンヌの愛憎を中心に描かれた、メロドラマ仕立ての伝記映画。ヴァイオリン独奏はユーディ・メニューイン、伴奏はベイシル・キャメロン指揮のナショナル・シンフォニー・オーケストラ。
1988年の「パガニーニ・ホラー 呪いの旋律」は、女性ロック歌手がプロモーション・ビデオの撮影のためパガニーニが死んだ屋敷を訪れると、バンドのメンバーや監督が続々と不可解な死を遂げてゆくという、悪魔の遺曲「パガニーニ・ホラー」にまつわるB級ホラー。
1989年の「パガニーニ」は、怪優クラウス・キンスキーが監督・脚本・主演した、幻想的な映像と音楽の、ポルノチック伝記映画。
色物あつかいされる挿話の多いパガニーニですが、ショパンやリスト、シューマン、シューベルト、ベルリオーズ、ロッシーニなど、彼の実演に接したことのある音楽家たちからは絶賛を得ており、彼のために曲を作って献呈したり、パガニーニ作の主題を用いた変奏曲も数多く作られています。
経済的苦況にあったベルリオーズは、パガニーニから2万フランの大金を贈られ、その返礼として劇的交響曲「ロメオとジュリエット」をパガニーニに献呈しました。
「24のカプリース」は、シューマンの「パガニーニのカプリスによる練習曲」、リストの「パガニーニによる超絶技巧練習曲」、ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」ほか、多くの変奏曲のモチーフとして使用されています。
これだけは聴いておきたいパガニーニの代表作
「24のカプリース」「ヴァイオリン協奏曲第1番」