フレデリック・ディーリアス
Frederick Delius(1862-1934)
生年の出来事……リンカーンの奴隷開放宣言/寺田屋騒動(文久2年)
没年の出来事……アドルフ・ヒトラー総統と首相を兼任/室戸台風上陸(昭和9年)
フレデリック・ディーリアスは、ロンドンから北北西250Kmに位置するブラッドフォードに生まれました。両親はドイツ人で、本名はフリッツ・テオドール・アルバート・ディーリアス。音楽好きの家庭環境でしたが、父親は羊毛産業で成功した実業家で、息子を音楽家に育てる意志はありませんでした。学校卒業後、しばらく父親の仕事の見習いをしていましたが実業は肌にあわず、オレンジ栽培を勉強したいと父親を説得して渡米。そこでピアノを購入し、黒人労働者の歌曲に触発された「フロリダ組曲」を作曲。1886年にようやく父親の許しが出て、ライプツィヒ音楽院に入学します。1897年からパリ近郊のグレ=シュール=ロワンに定住し、生涯の音楽活動の拠点としました。1903年に41歳で結婚。これを機に英国式にフレデリックと名乗るようになったそうです。
ディーリアスは、交響曲と宗教曲を除くあらゆるジャンルの音楽を作曲していますが、一般的によく知られているのは「春初めてのカッコウの声を聞いて」、「楽園への道」、「ブリッグの定期市」などの自由な形式の管弦楽曲です。彼の音楽は「ロマン主義の最後の作曲家」と呼ばれるくらいロマンティックで瞑想的、メランコリックで懐古的なカラーに彩られています。トーマス・ビーチャムが演奏会で積極的にとりあげたことにより、故国イギリス国民の支持を獲得しました。
1934年6月10日、梅毒により死去。遺体は翌年亡くなった妻と一緒に、ロンドン郊外の墓地に埋葬されています。