カール・オルフ
Carl Orff(1895-1982)
カール・オルフは、1895年7月10日、ミュンヘンの軍人の家庭に生まれた。
幼少の頃から音楽的才能を発揮し、公立学校を中退してミュンヘン音楽学校に進学したときも、家族の反対はなかったという。
1920年、ハインリッヒ・カミンスキーに師事。
1925年、舞踏教師のドロテー・ギュンターと共に、ミュンヘンにギュンター・シューレ(体育・音楽・舞踏を教える専門学校)を設立。
1936年まで同校で音楽教師を務める。
1936年、ベルリン・オリンピックのための「オリンピック輪舞」を作曲。
ナチス・ドイツは国庫補助金を与え、ヒットラーユーゲント少年団の音楽教育を任命。
1937年6月8日、フランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演された世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」がドイツ国内で評判となったが、この作品が世界に紹介されるのは第2次世界大戦が終結してからずっと後のことである。
カール・オルフは、世代的にはプロコフィエフ (1891-53年)、オネゲル (1892-55年)、ヒンデミット (1895-63年)と同じ20世紀の作曲家ではあるが、単純で力強く明快な構造を持つ彼の作風は、原始的なバーバリズムを強く感じさせ、同時代作曲家のなかでもひときわ個性的。
これはヒンデミットの実用音楽論に大きな感化をうけ、20世紀以降の様々な実験音楽を経験してきたオルフの到達点であり出発点であった。
オルフ自身、「今までの作品はすべて破棄して欲しい。私にとって本当の出発点は、カルミナ・ブラーナです」と手紙に記している。
1982年3月29日、死去。
これだけは聴いておきたいオルフの代表作
世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」