エリック・サティ
Erik Satie(1866-1925)
西洋音楽の伝統に大きな風穴を開け、20世紀前衛音楽への道を開拓した革新者エリック・アルフレッド・レスリ・サティは、1866年5月17日、フランス・ノルマンディー地方の港町オンフルールに生まれた。
1870年、海運業を営んでいた父親アルフレッドが転職しパリに移住。1879年、サティはパリ音楽院に入学。在学中にピアノ小品「オジーヴ」「ジムノペディ」「グノシエンヌ」などを作曲したが、欠席が多く、1886年に退学。
文学者ペラダンが主宰する神秘主義的秘密結社「薔薇十字教団」の専属ピアニストに就任。現在の BGM、イージーリスニング、環境音楽の原点といわれている「家具の音楽」(酒場で客の邪魔にならない、まるで家具のように存在している音楽)を発表。
ペラダンと喧嘩別れした後、「主イエスに導かれる芸術のメトロポリタン協会」を設立。
サティは、非伝統、非論理の姿勢をつらぬき、調性、和声進行、リズム、あらゆる西洋音楽規則から自由で、しかもシンプルなアイディアから新しい表現を試みて未来を予見。フランス印象主義の作曲家たちに多大な影響を与えた。
モーリス・ラヴェルは「あふれる才気と不器用さを併せ持った先駆者」と称賛し、多くの作曲技法はサティによって決定づけられたものだと公言。クロード・ドビュッシーも長年にわたって親交をもっていた。
ディアギレフ主宰のバレエ・リュス(ロシアバレエ団)のために作曲した「パラード」では、ジャン・コクトーが台本を書き、パブロ・ピカソが舞台装置と衣装を担当。
「干からびた胎児」「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」「嫌らしい気取り屋の3つの高雅なワルツ」「官僚的なソナチネ」「冷たい小品」「梨の形をした3つの小品」「裸の子供たち」「あらゆる意味にでっちあげたれた数章」など、奇抜な題名の作品を多数作曲。
パリ貧民街の安アパートに住み、生涯独身のまま、1925年7月1日、肝硬変で死去。遺体はアルクイユの公共墓地に埋葬された。
これだけは聴いておきたいサティの代表作
「3つのジムノペディ」「ジュ・トゥ・ヴー(お前が欲しい)」